第二章 グリモワールとチュートリアル

第十一話 エメはグリモワールと出会った

──わたしはグリモワール。ダンジョンマスターがその業務を滞りなく行うために用意された魔道書情報端末です。


 グリモワールと名乗る本は、エメの目の前でエメにその頁を見せつけるように開いている。宙に浮いたまま。


「ダンジョン……マスター?」


 頁に浮かび上がる文字の中に馴染みのない言葉を見付けて、エメは呟いた。エメの声が聞こえているのか、グリモワールはそれに応えるように文字を綴り始めた。


──ダンジョンマスターとは、ダンジョンマスター契約を行い、ダンジョンの運営・管理業務を行う者のことです。


 知らない言葉を知らない概念で説明されたエメは、さらに混乱した。グリモワールは言葉を止めず、綴り続けた。


──ここはメテオールのダンジョン。あなたがいたシロシュレクから馬車で二日ほどの距離にあります。


「メテオール……ペティラパンから一番近いダンジョンは、レオノブルだったはず。そんなところにダンジョンなんて、なかったと思うけど」


 エメは周辺の地図を思い出そうとするが、ダンジョンがある街のことしかはっきりと思い出せない。それ以外の小さな村は記憶が曖昧だった。


──メテオールのダンジョンは、ダンジョンマスターを失ってから活動を停止しました。百五十年以上前の話です。それ以前はメテオールは街と呼ばれる規模でした。冒険者ギルドもあり、冒険者で賑わっていました。ダンジョンが活動を停止してから冒険者ギルドは撤退し、訪れる者もほとんどなく、暮らす人も減り、今では小さな村です。


「そうなんだ。知らなかった……」


 エメは素直にそう呟いた。寝起きだったせいか、グリモワールとの奇妙なテンポの会話は夢の続きのようで、エメはすんなりと受け入れてしまっていた。

 頁が埋まったらどうするんだろうと思っていると、最初に綴られた文字が飛び立つように頁から離れ、そのまま蒸発するみたいに消えていった。


──わたしは、新しいダンジョンマスターが訪れるのを待って眠りに就きました。メテオールのダンジョンを訪れる者は長らく誰もいませんでした。

──ですが、三ヶ月ほど前に突然目覚めたのです。ダンジョンを訪れている者はおらず、わたしは最初のうち自分がなぜ目覚めたのかわかりませんでしたが、シロシュレクに素晴らしいMPマナの持ち主がいることに気付きました。

──わたしはその者との接触を試みようとしましたが、その者はすでにシロシュレクを発ちわたしの力の及ぶ範囲を超えてしまっていました。

──わたしはその者がまた現れることを期待して待ち続けました。そして昨日、ついに同じMPマナの持ち主が現れました! MPマナは三ヶ月前よりも成長していましたが、このようなMPマナの持ち主がそういるとは思えません。間違いない。そしてわたしは、その持ち主と接触を試みました。


「そのMPマナの持ち主がわたしってこと……ですか?」


 エメが首を傾けて聞くと、グリモワールは返事をするかのように頁を震わせた。


──はい。あなたはダンジョンマスターとして最高のMPマナの持ち主です。あなたがダンジョンマスターになれば、きっと誰よりも素晴らしいマスターになれる。

──お願いします。このメテオールのダンジョンマスターになってください。あなたの力でこのダンジョンを蘇らせて欲しい。ぜひわたしのマスターになって欲しい。


 グリモワールは、宙に浮いたままエメにぐいっと近づいてきた。本も感情が高ぶったりするのだろうかと思いながら、エメは両手でそれを押しとどめる。そもそも高ぶる感情が存在するのかもわからない。


「ちょっと……待ってください。いきなりそんなこと言われても、ダンジョンマスターが何をするものなのかもわからないし」


──ダンジョンマスターについて説明しますか。それとも何か質問がありますか。


「待って……ちょっと待って……とりあえず、床じゃなくて椅子とかに座りたい。それと、お腹空いたし」


──ソファとテーブルなら用意できます。残念ながら食事の用意はできません。わたしにはその機能は実装されていません。


「食べるものは、自分で持っているので大丈夫です」


 エメは床に放り出してあったブーツを履きながらそう応える。エメがブーツを履いている間に、床の魔法陣が光って部屋の中にソファとローテーブルが現れた。

 ブーツを履き終えたエメがソファに移動すると、バッグの中から携帯食干し肉を出してそれをかじりながらグリモワールに目を向けて話の続きを促す。ふかふかで座り心地の良いソファだ。グリモワールは宙を滑るようにエメの目の前にやってきて、ローテーブルの上にその身を落ち着けた。


──それでは、ダンジョンマスター業務について説明します。ダンジョンマスターは、ダンジョンの運営と管理が仕事です。

──まず、ダンジョンを構成する素材オブジェクトを集めます。素材オブジェクトは、モンスターやアイテム、内装のことですね。それらを組み合わせてダンジョンを設計デザインします。そして冒険者が訪れたら、あらかじめ設計デザインしたダンジョンを活性化アクティベートします。


「えっと、ごめんなさい……さっぱり意味がわからないです」


 グリモワールの使う言葉はあまり馴染みのないものが多くて、エメの理解を妨げる。グリモワールはしばらく反応を返さなかったが、やがてまた言葉を綴り始めた。


──非常に簡単にまとめるなら、冒険者のためにダンジョンを作ったり手入れしたりするのが仕事です。


「あ、それならわかります」


 ようやく理解できてエメはほっとする。


「でも……なんでそんなことをするんですか?」


──冒険者を集める目的がありますが、ダンジョンマスター契約を締結した後でないと話すことができません。機密情報コンフィデンシャルな内容を含んでいます。


 わかったような、わからないような、エメは首を傾けて考え込む。


「それで、わたしはその、冒険者のためにダンジョンを作ったり手入れしたりする仕事をするんですか?」


──引き受けてくれるのでしょうか。であれば、早速契約内容の確認を。


 グリモワールがローテーブルからその身を浮かせて、頁をめくろうとするのをエメは慌てて止める。


「待ってください。まだするとは言ってないです」


 しゅんとしたように、グリモワールはローテーブルに戻った。


「ええとですね。わたしは、冒険者になりたいんです。冒険者としてダンジョン探索をするのがずっと憧れでした。ダンジョンマスターになっても、ダンジョン探索はできますか?」


──契約内容を確認します。しばらくお待ちください。


 それだけを綴った後、グリモワールはしばらく沈黙する。沈黙と言っても、もともと声を出していた訳ではない。はたから見たら、エメは本を相手にひとりで会話している状態だ。

 あまりに反応がなくなったのでエメが不安になった頃、グリモワールがようやく言葉を綴り出した。


──契約内容には含まれていませんが、利用規約では明確に禁止事項として挙げられています。「第十三章 禁止事項 我々は、本機能に関するダンジョンマスターによる以下の行為を禁止します。」として列挙されている中に「6. 自らが運営するダンジョン、あるいは他のダンジョンマスターが運営するダンジョンの攻略行為」というものがあります。

──ダンジョンマスターが冒険者として活動するのは、これに違反する行為になるかと。


 グリモワールの言葉は、一部何を言っているのかわからないところがあったけれど、ダンジョンマスターになったらダンジョン探索ができなくなることはわかった。エメは首を振って、グリモワールの言葉を拒否した。


「わたしは、さっきも言ったけど冒険者になりたいんです。冒険者になれないなら、ダンジョンマスターにはなりたくないです」


──なぜでしょう。


「なぜ?」


──冒険者になりたいのはなぜですか? 冒険者になって、何を成し遂げたいのでしょうか。冒険者はできなくても、あなたのやりたいことはダンジョンマスターになっても叶えられるかもしれません。


 エメは眉を寄せてグリモワールの綴る言葉を見る。エメはずっと冒険者になりたかった。冒険者になってやりたいことなど、ダンジョン探索に決まっている。ダンジョン探索はできないのだと、今グリモワール自身が伝えてきたことだ。


「ダンジョン探索はできないんですよね、ダンジョンマスターって」


──はい。ダンジョン探索は、ダンジョンの攻略行為と見做されるので、禁止事項です。


「じゃあ」


──ですが、あなたがダンジョン探索に求めるものはなんでしょうか。マジックアイテムを手に入れたいのですか。


 エメは考え込んでしまった。マジックアイテムは、手に入れば嬉しいけれどそれだけじゃないことはわかる。じゃあ、モンスターと戦うことだろうか、でも戦うだけが探索ではない。パーティで協力するのも憧れだけど、独りソロでも構わないと思っていたのも事実だ。それに、テオドールはたった一人で黒竜ブラックドラゴンを倒した。

 そこまで考えて、エメは子供の頃の憧れを思い出す。エメはダンジョン話おとぎばなしにずっと憧れていた。その憧れが、ロラという金髪の魔法使いソーサラーとの出会いで形になった。

 エメは服の上からお守りアミュレットをぎゅっと握り締めると、エメはグリモワールに向かって、真剣な眼差しを向けて話し出す。


「わたしは……ダンジョン話おとぎばなしに出てくる冒険者みたいになりたいんです。そりゃ、レベル100とか無理だって、わかってます。でも、あんな風にダンジョンに潜って、危険な目に合うけどなんとか切り抜けて、強いモンスターに出会っても挫けずに、素晴らしいマジックアイテムを持ち帰る。

 ダンジョン話おとぎばなしみたいな冒険がしたいんです」


 グリモワールは、エメの言葉に応えるように、頁を一枚めくった。めくっても、ただまっさらな何も書かれていない頁が出てくるだけだ。その頁に、また文章が綴られる。


──なるほど。参考になりました、ありがとうございます。

──あなたはダンジョン話おとぎばなしに憧れているのですね。ですが、ダンジョン話おとぎばなしの主人公のようになれる人は、冒険者の中でもごく僅かです。


「そんなの、わかってます! でも、頑張れば少しは近付けるかもって」


──それは、あなた自身がダンジョン話おとぎばなしの主人公になろうとした場合の話です。


「……え?」


──世の中の冒険者全員を見れば、ダンジョン話おとぎばなしの主人公として通用する人も見付かるはずです。


 グリモワールが何を言おうとしているのかがわからず、エメは黙って次の言葉を待つ。そうやって待っていると、グリモワールが言葉を綴るのが、ことさらゆっくりに感じられた。


──ダンジョンマスターになることで、あなたはそれらの冒険者を迎え入れることができるようになります。ダンジョン話おとぎばなしのような胸おどる冒険をあなた自身が生み出せるようになります。


「どういう……ことですか?」


──あなたがこのまま冒険者を続けても、ダンジョン話おとぎばなしの主人公のようになれるかはわかりません。頑張ればなれるかもしれませんが、結局なれないかもしれません。もちろんダンジョン話おとぎばなしのような冒険ができるかもわかりません。

──ですが、あなたがダンジョンマスターになって、ダンジョン話おとぎばなしに出てくるようなダンジョンを作れば、ダンジョン話おとぎばなしの主人公のような冒険者がやってきてダンジョン探索をするでしょう。あなたは、その冒険者の活躍を作り出すことができる。あなたのダンジョンが新しいダンジョン話おとぎばなしになるかもしれない。


 エメはぽかんと口を開けてグリモワールを見詰めていたけれど、やがて黙ったままグリモワールの言葉を反芻して視線を彷徨わせる。


ダンジョン話おとぎばなしのようなダンジョン……黒竜ブラックドラゴンとか出せる?」


──黒竜ブラックドラゴンはランクがSRスペシャルレアなので、すぐに配置できるとは限りません。ダンジョンマスターとしてのレベルも必要です。

──黒竜ブラックドラゴンを狙って入手するのは難しいですが、可能性はあります。同程度の強さステータスSRスペシャルレアモンスターを配置するので良ければ、可能性はもっと高くなるでしょう。


 馬車の中でずっと冒険者を続けられるだろうかとそればかり考えていたエメの心に、ダンジョン話おとぎばなしのようなダンジョンという言葉がするりと入り込んできた。

 このまま冒険者を続けても、あんなにわくわくするようなことはもうないかもしれない。そもそも冒険者としてやっていけるかもわからない。

 でも、自分でダンジョンが作れるなら。

 自分がダンジョンを作って、そこでダンジョン話おとぎばなしのような冒険が起こることを想像すると、幼い頃にダンジョン話おとぎばなしを聞いてどきどきしていた頃みたいに、胸が高鳴る。


「ダンジョンマスターになったら、自由にダンジョンを作れるの?」


──完全に自由にとはいきません。制約はあります。ですが、レベルを上げることで、できることは増えていきます。

──その範囲内であれば、あなたの思うままに。


 思うまま。エメは、グリモワールの綴る言葉を口の中で小さく呟いた。

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