第17話 責任転嫁

すぐに廊下が騒々しくなった。


いかつい強面のスーツ男たちがバタバタと廊下を走り回っていた。


「何だ今の銃声は?」

「どこの組の鉄砲玉だ?」


何人かの組員らしき男たちが入れ違いに各部屋を探して回る。


怪しい者たちの姿もなく、いつもの事務所の部屋がそこにあるだけであった。


と、1人の赤髪の少女が例の応接室から廊下に飛び出してきた。


「おうてめえは」


いかつい男に取り囲まれたその赤髪の少女は困惑した表情を浮かべていた。


玲奈は明らかにうろたえていて、両目に涙を浮かべている。


必死に何かを訴えようとしているが、指を差すことしかできなかった。


そのうちに涙が決壊したかのようにとめどなく溢れ出した。


「お、こいつは熊田の坊主の女ですぜ」

「どうした?何があった?」


玲奈は両手で顔を覆って泣き出してしまい、組員たちも困惑の表情を浮かべている。


「くそ、何なんだ?」


組員たちが、玲奈が飛び出してきた応接室の扉を開ける。


その瞬間に飛び込んできたのは、首と肩がどす黒い血で塗れた、目をカッと見開いたままの熊田の姿だった。


熊田は応接室の事務椅子にだらんと力なく腰かけていた。当然、既に息はなかった。口からも大量の吐血の跡があった。


 組員たちは冷汗を浮かべて、大口を開けて硬直する。


「こ、こいつは」

「おい、坊主」


組員たちが続々と室内に入って行く。


玲奈は真っ暗闇の中、ひたすら泣きじゃくっていた。


熊田の死で悲しみに暮れていた。傍らの和田は未だに血塗れのまま気絶している。


熊田の遺体を部屋の中央から椅子まで引きずった跡も見られ、おびただしい血の跡が床にへばりついていた。


「おい、これを見ろ」


熊田が机の上に放り出した左手に握っている封筒を、組員の1人が発見した。


「こいつは?」


組員の1人が熊田の左手をこじ開けて、封筒内の白い紙を取り出す。


そして、その手紙を読み上げた。


「私の名を騙る愚か者には制裁を ホタルイカ」


新聞記事の文字を、1文字ずつ丁寧に切り抜いて貼り付けた手紙だった。


「ほ、ホタルイカだと」


組員たちは驚愕した。


思わず、冷汗だらけの顔を見合わせる。


もはや部屋の惨状よりも目の前のホタルイカからの手紙に興味津々といった様子だった。


「あの大量殺人鬼がここに来るとは。こいつはボスに知らせた方がいいな」

「ああ、ただこいつは正式な組員じゃねえから。あんまり深入りはしない方がいいな」


組員の1人が放った言葉に、すっかり泣き腫らしていた玲奈がピクリと反応した。


玲奈はスッと立ち上がり、応接室中央付近の2人の組員に詰め寄った。


「なんでよ。敵を討ってよ」


玲奈の視界は涙でまだ歪んでいる。


組員たちは突然の玲奈の変貌に驚いた。しかし、組員たちはすぐにつゆ知らずと言った表情を見せた。


「いや、でもお前らは正式な組員じゃねえし」

「そうだよな。お前らがホタルイカの側近だとか嘘ついたのが悪いって書いてあんだろうが」


組員たちは示し合わせたように態度を硬化させた。


玲奈からしたらそれが気に食わなかった。


どうせホタルイカが怖いだけなんだろう。


確かにホタルイカの名前を騙ってここを間借りしていたのは事実だ。


だが、組への家賃のつもりでお金も入れていた。


それを正式な組員じゃないからと言って突き放すのもひどいじゃないか。


玲奈は事務机を力の限り叩いた。


「怖いんか。ホタルイカが怖いんか」


玲奈は叫んで威嚇した。


と、組員たちも頭の血管がぷっつんと切れてしまったようだ。顔を真っ赤にして吠え出した。


「てめえ、クソガキが。居候の分際で俺たちに盾突こうなんてなんて10年早いぜ」

「まわしたろうか、このクソガキが」


玲奈は強面の組員2人に詰め寄られて恐怖を感じた。


そのまま応接室を飛び出して行ってしまった。


涙が再びとめどなく出てくる。廊下、階段をそのまま走り抜けていく。


組員の男2人は舌打ちする。


事務机を叩いたことで、肉塊と化していた熊田はそのまま椅子から滑り落ちてしまった。


組員の男2人は短い悲鳴を上げたが、すぐに状況を理解し、ボスの指示を仰ぐために応接室を飛び出していった。






 朝の職員室。


教師たちは本日の授業に向けてミーティングを実施していた。


教師は各自の席の前で立ち、情報交換を実施する。これは大宮聖征高校教師陣の伝統行事だった。


校長からこれ以上のロスト・チャイルド現象の犠牲者を出さないこと。


1人での下校を絶対にさせないこと。教師陣の武蔵大宮駅までの人員配置などを徹底するよう通達があった。


 総理のクラスの担任教師である橋本多佳子も同様にミーティングに参加していた。


学校で唯一ロスト・チャイルド現象の発生してしまっているクラス。


橋本のショックは大きかった。


 ミーティングの最中に事務員から電話が来たと橋本に声が掛かった。


普段ならば職員室の内線に繋げてもらうが、現在はミーティング中のため、橋本が事務室に移動した。


電話に出ると、和田の母を名乗る女性が出た。


「橋本先生、いつもお世話になっております」


楠田暴行の件も説明はしたが、すぐに母親は治療費の支払いをすることで同意した。


そして、電話を掛けてきた理由を尋ねると、母親は口を開いた。


「息子の恭平からお金を無心する電話が掛かってくるんです」


「お金を無心する電話ですか」


橋本は驚きのあまり、言葉を失った。


「何と申し上げますか、鬼気迫ると言いますか、恭平の電話にそういった感情が滲み出ていました。息子があまりにも泣き叫ぶものですから。つい可哀そうになってしまいましてそれで、つい昨日500万円を指定された口座に振り込んでしまいました」


「ほ、本当ですか。和田さん」

「すみません、本当にすみません」


和田の母は本当に反省しているやらわからないが、奇妙なくらい腰が低かった。


「これはロスト・チャイルド現象ではなく、恭平くんは別の犯罪に巻き込まれているかもしれませんね。ロスト・チャイルド現象に巻き込まれた人が自宅に電話を掛けてくるものなのでしょうか」


「た、確かにそうかもしれませんね。私も迂闊だったかもしれません。どう致しましょう?先生」


橋本は脳味噌をフル回転させた。


「ともかく、一度警察に相談をお願いします。前例と対応法を教頭と調べて報告させていただきます。明日のこの時間にまたお電話いただけますか」

「わかりました。宜しくお願い致します」


橋本は電話を切った。


傍らで話を聞いていた事務員もただならぬ橋本の雰囲気に開いた口が塞がらなかった。


「橋本先生、大変なことが起こりましたね」

「ええ、今の話はまだ伏せておいてくださる?教頭に指示を仰ぐから」

「承知致しました」


橋本は職員室へと戻っていった。


すると、ミーティングは既に終了しており、生徒たちも一部職員室に出入りを始めていた。


 橋本は教頭を探す。教頭は何らかの資料を眺めていた。


「教頭」


教頭に先程の電話の内容を耳打ちした。すると、教頭は首を傾げた。


「近隣の学校も、そういう自宅に電話をするといった行動があると報告があったところはなかったと思うなあ」


「そうですか。ではやはり別の犯罪に」


「うむ。ここは1つわが校の一番最初のロスト・チャイルド現象被害者家族に聞いてみるしかないな」


「一番最初?和田ではないんですか?」


「そうだよ。さいたま市のロスト・チャイルド現象発生ニュースが流れただろうけれど、その被害者家族がこの学校に在籍しているんだ」


「そうだったんですね」


「そう、その子は1年A組の井関聡美。さいたま市初のロスト・チャイルド現象被害者の妹さんだ」


「1年A組の井関さん」


「そう。しかも成績優秀で和風美人。担任教師の西谷先生に相談してみなさい」


「承知致しました」


橋本が頭を下げる。


担任教師の西谷昇がパソコン画面に集中しているところに橋本が近づいた。


西谷は英語担当なのだが、何故か本棚には昭和詩人の詩集が大量に並んでいた。40代のアーティスティックで神経質な先生である。


「西谷先生、今お時間宜しいでしょうか」


「はいー何でしょうか?橋本先生」


西谷はパソコン画面を突き飛ばす勢いで橋本に向き直った。


「1年A組の井関聡美さんなんですけれども、放課後に少しお話を伺いたいことがありまして。職員室に呼んでいただけないでしょうか?」


「ええーうちの井関ですね。橋本先生のお力になれることがあるんでしたら、結構ですよ」


「ありがとうございます」


橋本は深々と頭を下げた。


西谷が橋本に耳打ちする。


「もしかしてうちの井関が何か悪いことしてしまいましたか?」


「いえ、そんなんじゃないですよ。ほら、ロスト・チャイルド現象のことでちょっと」


西谷はオーバーリアクションなほどに手を叩いてみせた。


「あーなるほどですね。井関はまだ心の傷が癒えておりませんので、あまり個人に関わる質問だけはしないであげてくださいね。良い子なんですが、大変傷つきやすいですので」


「ははは、ご安心ください」


取っつきにくいような表情を浮かべる橋本。橋本はまたも一礼して自席へと戻っていった。


 橋本は椅子に腰かけるや否や、大きな溜息をこぼした。


それを聞いていた田村優という同僚の女性教師が話しかけた。


「たかちゃんも大変ね。ロスト・チャイルド現象に、喧嘩に、保護者対応に。」


「しんどいよー本当。あれ今何時?」


橋本が机の上に突っ伏しながら尋ねる。


「もう8時よ」


「まだあいつ来ないのね」


「あいつって?」


「飯尾。うちの超問題児よ」


「あー和田君の親友だっけ?」


「そう。うちの楠田って子が和田と飯尾にいじめられててさ。和田はもう叱りようがないけど、飯尾も共犯だっていうからさ。今朝登校するって言うから、始業前にちょっと職員室来いって」


「おーおー橋本先生は怖いですねえ」


田村がおどけた調子で笑う。


橋本がガバッと起き上がって田村に熱弁する。


「だってしょうがないじゃん。いじめなんて高校生がやるんじゃないわよって話じゃない?いじめる奴にはいじめてやんないとわかんないのよ。今日はマジでとっちめてやる」


「あはは。一理あるよね」


田村も同調して笑う。


 と、ここでようやく職員室に入ってきたいかつい顔があった。


頬に湿布1枚を貼り付けた飯尾が欠伸をしながら入ってきたのだ。


「来たね」


田村が橋本にアイコンアクトを送る。橋本は扉に視線を向ける。


発見した飯尾に手招きをし、息を整える。飯尾は気だるそうにして橋本の席へと向かう。


飯尾はパイプ椅子にどっかりと腰かけた。股を開いて随分とふてぶてしい態度である。時折、貧乏ゆすりもしている。


橋本は机の上の書類を整えて、1冊の小さなメモ帳を取り出す。


メモ帳には昨日の楠田とのやり取りが記載されていた。


楠田を暴行していた時やお金を毟り取った時の状況が詳しく記載されていたのだ。橋本はやや緊張した面持ちで口を開いた。


「楠田君のことなんだけどね」


それを聞いた飯尾はビクッとして、貧乏ゆすりをピタッと止めた。橋本は構わず続ける。


「飯尾君は何か心当たりある?」


飯尾は気だるそうに考え込むような仕草をすると、ポリポリと頭を掻き始めた。


橋本は飯尾から放たれる一言一句を聞き逃すまいと構えた。橋本にとっては大変長い時間だった。


飯尾は何度も唸った挙句、ようやく分厚い唇を開いた。


「いや、和田の指示なんすよね」


飯尾は悪びれた様子も見せずに言った。


橋本からすれば、あまりにも意外な回答だった。


嘘をついているのは見え見えだった。


橋本は厳しい目つきになって追及する。


「嘘でしょ?和田君は飯尾君に従っていたというのは言っていたけど」


橋本はカマかけをした。


これは実際に和田から聞いていたわけではない。


飯尾の自白を促すためのカマかけだった。


しかし、頑なに飯尾は首を縦に振らなかった。気だるそうに首を傾げる。


「いや、それは違うっすよ。和田がこの件を仕切っていたんすよ。俺は和田の言うとおりに動いてただけで。和田はそりゃ俺のせいにしたがると思いますよ。結構楠田にむごいことしてましたしね。でも、実際に楠田にむかついていたのはあいつだし」


「そんな責任転嫁でごまかせるわけないでしょ」


言い訳ばかりつらつらと並べ立てる飯尾に、橋本の堪忍袋の緒が切れた。


周囲の先生たちも一瞬、橋本と飯尾に視線を送る。


飯尾も突然の橋本の変貌に大口を開けて驚いている。


「いや、本当っすよ。和田に聞いてみてください。和田も呼んでくださいよ?」


飯尾は和田を探すような仕草をする。


橋本は和田の行方について言うべきか迷っていた。


どうやら飯尾は本当に和田の行方は知らないらしい。ロスト・チャイルド現象ということは言わずに、学校に来ていないというべきか。


「最近、和田君は学校に来てないのよ。飯尾君は何か知らないの?」


橋本はロスト・チャイルド現象のことは一切伏せて飯尾に尋ねる。しかし、飯尾は何も答えなかった。


とぼけているのかわからないが、気だるそうに答える。


「わかんないっす」


話し合いは平行線になってしまった。


ともかく、和田がいないと責任の所在が曖昧なままだ。


和田の不在がともかく橋本にとっては歯がゆかった。


このままでは、飯尾主犯ということで、飯尾の厳重処分にも持っていきづらい。


飯尾がとぼけているのもこれが狙いなのだろうか。どうするべきか。橋本は唇をかんだ。


「もういいわ。教室に戻りなさい」


橋本は冷たく言い放った。飯尾は舌打ちをしながら立ち上がり、肩を揺すりながら職員室を後にした。


 橋本は机をバンと強く叩いて憤った。そこへ、先程のやり取りを近くで見ていた田村が心配そうに声を掛ける。


「ありゃあひどいね。絶対クロでしょ」


「本当ムカつく」


橋本はメモ帳をバアンと力いっぱい机に叩きつけた。

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