第15話 県庁前の変
放課後になり、すぐさま宮葉と大槻が総理の元へとやってきた。
宮葉と大槻は普段、総理らが居住する県庁前駅とは逆方向に帰宅する。
そのため、県庁前駅は初めての訪問と言う。
総理と大聖が道案内しなければならない。
県庁は総理が普段利用している南口を歩いて徒歩10分程度である。
総理の家も県庁から徒歩5分ほどで着く。そして、美稀と大聖の家は逆の北口となる。
それぞれ駅の北口から徒歩10分圏内なのでそこまで遠くはない。
放課後からまわって十分に夕食までに帰ってくることができる。
そして、武蔵大宮駅まで辿り着き、東京方面の電車に乗り込む。
普段であれば他愛もない世間話をしているのだろうが、道中全くと言ってよいほど会話がなかった。
それだけ宮葉たちの熱意が本気なのだろう。
あの大聖ですら空気を察して、1人ずっと携帯電話を操作していた。
目的の県庁前駅で電車から降りると、学校からの帰宅者と思われる学生服姿がチラホラ見られた。
駅周辺はデパートや商店街が広がっているが、数分ほど歩くと県庁や市役所といった公務施設、住宅街が現れるため、人通り自体も少なく、商業都市としてもやはり武蔵大宮の方が栄えていた。
商店街を抜け、なだらかな坂を下っていく。
そして、見えてきたのが平屋の県庁である。700万都市埼玉の県庁としては見栄えが良くない。
時刻は既に4時を回っていた。まもなく公務が終了してしまう。急いで県庁の隣にある市役所に向かう。
市役所入口にて施設案内の図面を探す。
どうやら2階の教育課というところがそれにあたるらしい。
宮葉が相手の名前を、田部井とのライン履歴から拾ってきていたので、その情報を頼りに捜索をする。
その教育委員会の男の名前は腰塚要一と言った。
総理も大聖も一瞬だけではあったが、昨日にその男のナリを確認済である。
エレベーターで教育課に出向くと、数名がまだ事務作業に明け暮れていた。
パソコンに顔を沈めている人がほとんどなので、やはりカウンター越しではわかりづらい。
仕方なく宮葉が手前の女性に声を掛けた。
「すみません、田部井史織の友人なんですが、腰塚要一さんという方はいらっしゃいますか?」
女性は宙を見上げる仕草を一瞬見せたが、
「腰塚ですね。少々お待ちください」
と言って奥の席へ腰かけている凛々しめのスーツ姿の男の元へと向かった。
大聖がハッと息を漏らした。
「総理、あいつだったな」
総理にひそひそと耳打ちした。その通りだ。
あの男が昨夜、南銀座通りを田部井と一緒に歩いていた人物だ。
腰塚は困ったような素振りを見せていたが、あたふたとした様子でカウンターに近づいて来た。
「ええと、君たちが田部井さんのお友達?」
「そうですよ。史織を」
宮葉が噛みついたが、腰塚はしいーと人差し指を口に持っていった。
「すまないけど、ここだと話せないので、応接室を用意します。来てください」
腰塚が手慣れた手つきでカウンターを通り越し、廊下へと現れた。
先導されて総理と大聖、宮葉と大槻が後ろからついて行く。教育課の受付カウンターから3つほど隣の会議室風の部屋に通された。
総理と大聖がそのまま窓側からパイプ椅子に腰かけ、その隣に宮葉と大槻が腰かける。腰塚も相向かいの真ん中の位置にゆっくりと腰かけた。
「早速ですが、史織がいなくなったのはご存知ですか?」
宮葉が威嚇気味に尋ねる。腰塚は呆気に取られたような顔を見せる。
「え?ほ、本当かい?」
「本当です。昨夜から今日の今まで史織から家族に連絡はいってないみたいなんです」
「そ、そんな」
腰塚は血の気が引いた顔で俯く。どうやら本当に失踪のことを知らなかった様子だ。
「そこで、昨夜最後に史織と行動を共にしていたであろう、腰塚さんにお話を聞かせていただきたくて今日突然お邪魔させてもらいました」
シーンと静まり返る室内。腰塚は目を閉じる。そして、口を開いた。
「口外しないということを約束してくれたら、全てをお話しします」
「しませんよ」
大槻がすぐに答える。
「ありがとうございます。ご存知だから来てくださったのでしょうが、私と史織は関係を持っておりました。昨夜も一緒に武蔵大宮で食事をして、南銀座通りのホテルに行ったのです。それがおそらく8時くらいとかだったでしょうか。そこで2時間くらい過ごしてそのままホテルの外で解散をしました。時刻は午後10時くらいを過ぎていたかと思います」
「何故あなたはそこで史織を1人にしてしまったんですか」
宮葉が急に涙交じりに叫んだ。
「そこで史織が1人になってしまったから、犯人に誘拐されてしまったんじゃないんですか?」
宮葉が牙を剝く。腰塚は慌てて訂正する。
「いや、その場と言っても駅の入口までは勿論送っていったよ。夜遅くて酔っ払いも多いし、少しでも路地を間違えると不良も溜まっているしね。だから、もちろん駅の入口でさよならしました」
総理が口を開いた。
「その帰り道に怪しい人物につけられている様子はなかったのか?」
「つけられている様子は全くなかったね」
腰塚は俯いたまま話す。
「あ、でも史織は武蔵大宮から歩いて帰れるんじゃない?」
大槻が思い出したように口を開く。
「熊谷寄りの隣のステラタウン駅とのだいたい中間くらいだから、最悪歩いて帰れるって言ってた記憶があるし。もしかしたら、駅を挟んで南銀座通りから反対の北銀座通りを通って帰ったかもしれないね」
大槻が携帯にマップを表示させる。全員が覗き込むと、武蔵大宮駅周辺のマップが表示されていた。
「田部井は電車に乗りましたか?」
総理が尋ねる。
「いや、正直改札を通ったところまでは確認していないね。エスカレーターに乗るまでは確認したんだけど」
「田部井の家がどこにあるかは知ってましたか?」
「いや、ステラタウン駅の近くとしか聞いていなかったよ。それ以外は何も」
「そうか」
総理は大槻の携帯画面を見つめながら答える。
「仮に武蔵大宮から田部井の家に歩いて帰ったとしたらどれくらいで着くんだ?
総理が大槻に尋ねる。大槻は武蔵大宮駅とステラタウン駅との徒歩での所要時間を算出させる。
「徒歩だと両駅間は25分だね。その中間地点となると、12、3分掛かる」
「北銀座通りの繁華街を抜けて閑静な住宅街に入るまでがだいたい5分くらいか。その閑静な住宅街でさらわれたとしたら、腰塚さんと別れて10分前後くらいに誘拐されたことになるか」
総理は言った。
「腰塚さんの家は武蔵大宮駅周辺なんですね」
「ええ、僕は南銀座通りを越えた近辺なので、そこから道を戻ってそのまま自宅まで歩いて帰りました」
「徒歩10分くらいですか?」
「隣の新都心中央駅との間くらいなので、そうですね。10分掛からないくらいです。それは家内なんかに確認してもらえれば間違いない」
「俺らは別にあなたを疑ってないよ」
総理は目をぱちくりさせた。
腰塚は神妙な面持ちだった。総理には歯を食いしばって悔しがっているかのようにも見えた。
それからすぐに4人は市役所を後にした。
時刻は5時を回ってしまっていた。
これから美稀の家に行くのだから、また時間が掛かってしまう。
「とは言ったものの、怪しいよねあの腰塚って人」
宮葉が口を開いた。
「絶対、史織とのこれ以上の関係を断られたから口封じのために誘拐したんじゃないかな?」
「ああーそれ怪しいよね。史織自身も言ってたもんね。ロスト・チャイルド現象の実行者の中に教師がいる可能性があるって」
大槻も同調する。
しかし、総理からしてみたら腰塚が嘘をついているようには思えなかった。
本当に今しがた田部井の失踪を知り、真実をしっかりと語ってくれたように思う。
もちろん、仕事場にそんな隠し事をしている人間だから完全に信用できるとは思えないが。
見慣れた白塗りの一軒家が目に入った。ピンク色の軽自動車はガレージに入っている。美稀の母である理美もいる様子だ。
美稀は父親がいない。
美稀が小学生に上がる頃に離婚してしまったらしい。
それ以来、女手1つで美稀と弟、妹の3人を育て上げた。
養育費は3人が成人するまで父が支払ってくれているらしい。
そんな状態で私立高校に入れたのも美稀は特待生としての入学だったためである。
「ここだ」
総理がつぶやく。大聖がインターフォンを押す。
宮葉と大槻は唇を強く結んで、うずうずとした表情でいる。
総理もやや緊張の色が見えている。美稀は果たしてしっかり在宅しているのかどうか。
ラインは既読がついたが、またしても返信がなかったのだ。姿を確認するまでは安心できない。
心臓はバクバクと鼓動が鳴り響いている。
と、玄関扉の奥から明朗快活な声が響いた。
「はーい、あれ?」
玄関扉がゆっくりと開かれ、現れたのは美稀と同じ色白の中年女性がだった。
さながら美稀がそのまま主婦にしたような女性、
この人物が美稀の母、理美だった。理美は総理と大聖を発見するや、笑顔をはじけさせた。
「あれ?総ちゃんと大ちゃんじゃない?久しぶりねー美稀のお見舞いに来てくれたのね」
「久しぶりです。こんにちは」
大聖と総理も頭を下げる。理美は宮葉と大槻にも視線を向けた。
「あらあら。可愛らしいお連れさんもいてね。美稀はあ、ちょっと待っててね」
母はそのまま扉を閉めて中へと戻っていく。
宮葉と大槻は目を見合わせる。
「あれ?美稀のお母さん?」
「可愛いね」
確かに昔から若々しくて可愛らしい印象はあった。美稀と比べて肌の白さや、くしゃっとなる笑顔の雰囲気は、瓜二つと言っても言い過ぎではなかった。
とても女手1つで苦労しているような印象はない。と、宮葉が尋ねる。
「そういえば史織のことはどうする?」
「さすがにまだ伏せといた方がいいんじゃないか?体に障るだろう」
大聖が答える。一同はそれに賛同した。と、ここで玄関扉が再び開かれた。
「どうぞ、入って入って」
理美が笑顔で4人を招き入れる。4人はお邪魔しますと腰を低くして家の中に入っていく。
美稀の家に入るのは中学生以来だろうか。
特に大きく変化していることはなく、ぬいぐるみやカリフラワーなどの置物は相変わらず所狭しと置かれている。愛犬コリーのサムも元気良く尻尾を振って出迎える。
2階への階段を上がる。美稀の自室は階段を上がってすぐ左の部屋であった。
滑らかな木材の階段を上っていき、すぐ左の扉をノックする。はーいと聞き慣れた声がドア越しに響いた。
扉を開けると、美稀が寝間着姿でベッドから身を起こしていた。
それを見届けるや否や、宮葉と大槻が美稀に力の限り抱きついた。総理と大聖も安堵の溜息をこぼす。
不安が払拭されて緊張の糸がほどけていく。
「ちょっとー痛いって」
「美―稀―」
美稀がくすぐったそうな笑顔で言う。まるで愛犬が飼い主に甘えているような微笑ましい光景だった。
顔色はあまり良くなさそうだったが、重病といった様子には見えなかった。
「どうしたの?今日は」
あっけらかんとした表情で美稀が言う。
「どうしたの?じゃないよ。お見舞いに来たの。連絡もよこさないでー心配させやがってー」
美稀の頭を軽く叩く宮葉。3人の笑顔が絶えない。何とも微笑ましい光景である。よほど安心したのだろう。
「ごめんね、ありがとう。ちょっと体調悪かったからさ」
美稀が舌をぺろりと出して笑う。4人とも部屋の中央にあるテーブルに腰かける。程なくして、母の理美がお茶菓子とジュースを運んできてくれた。
しばし、他愛のない世間話をして時間を過ごす。
「明日か明後日には復活できそうかなあ」
美稀は首を傾げて言った。
「良かったーでも無理はしないでね」
そういえばどうしても聞きたいことが総理にはあった。会話が途絶えたところで、総理は美稀に尋ねる。
「美稀、そういえばお前」
「どうしたの?総理」
「お前、昨夜松坂と南銀座通りにいたのか?」
美稀がポカンとした表情を見せる。大聖はえっと驚きを隠せずにいた。宮葉と大槻は笑いを隠せずにいた。
「えーああ。あれは松坂君がどうしてもって言うからお寿司食べて帰っただけだよ」
「お寿司?」
総理はまたしても目が点になった。
「そう。何か松坂君もしつこくってさ。皆は私がお寿司好きなの知ってるでしょ?その情報をどっかから入手したみたいで、それでほぼ無理矢理連れてかされたの」
ポカーンとした表情の一同。
「まさか、変な噂でも立ってるの?」
美稀が嫌悪丸出しの表情で尋ねる。
「いや、まだ大丈夫だ」
総理が答える。心の中では安堵の溜息をこぼしていた。
「まだってちょっと、そんな噂広めないでよね?」
一同がくしゃっと笑う。今日ようやくこのグループに笑顔が舞い戻った。
時間を少し戻す。
腰塚がすっかりとくたびれて、応接室を片付けようとしていた矢先のことだった。
再び扉をノックする音が聞こえた。先程の学生たちだろうか。まだ何か聞き足りないことでもあるのだろうか。
「はーい」
腰塚がテーブルを拭きながら声を掛けると、室内に入ってきたのは大きな熊のぬいぐるみだった。
「え?」
腰塚は大きな熊のぬいぐるみに突如抱きつかれた。
突如、目の前に黒いワンピースの英国風の金髪のボブカットの少女が立っていた。小学生高学年くらいだろうか。
少女は右目が潰れているのか、左目に比べて半分ほど閉じた状態で瞳を失っている。
「うわ」
一瞬、お化けでも出たのかと腰塚は焦ったが、ニッコリと可愛らしく微笑むとクスクスと笑い出した。
「びっくりしたーおじさんにくれるのかい?」
こくんと少女はうなずいた。
この子も右目は怖いが、それ以外は上玉だ。腰塚は早速女性としての採点を開始した。
史織がいなくなったし、今日からはこの子を。
そう、腰塚は根っからの年下女性好き、いわゆるロリコンだった。
「お父さんかお母さんは?」
と、気が付けばその少女の姿はどこに見当たらなかった。
腰塚は室内をしばらくきょろきょろと見回していたが、どこにも姿は見られなかった。
「……」
ボーッとしていると、何やら胸元の熊のぬいぐるみの中から規則正しい機械音が聞こえてくる。何かと思い、腰塚が熊のお腹に耳を傾けたまさにその瞬間だった。
まばゆい光が室内を包み込み、熊が粉々に砕け散った。
そして、大きな破裂音とともに周辺の備品が全て粉々になって吹き飛んだ。
腰塚は全身血塗れになり、絶命していた。
「クスクス。馬鹿な奴」
金髪のボブカットをなびかせながら、少女は暗闇の住宅街をペタペタと歩いていた。少女は住宅街の一画にある公園に辿り着いた。
怪人は黒いタキシードとマントを羽織り、グレーの仮面をかぶっていた。
しかし、その仮面には細切れの新聞紙のような夥しい量の紙片がびっしりと貼り付けられていた。
「ご苦労だった」
まるで水中にいるかのように、低い声で喋るたびにゴボゴボと異音が混ざる。少女は笑っていた。
「奴は私利私欲に負けたのだ」
「クスクス。馬鹿な奴」
「我が家に帰ろう。屋根裏に」
怪人はそうつぶやくと少女の手を引き、住宅街の森の中へと姿を消していった。
周囲は何事もなかったかのように静けさを取り戻していた。
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