第13話 美稀の音信不通

放課後。


やや雲行きの怪しい空が広がっていた。もしかしたら雨が降るかもしれない。じめじめとした空気が充満している。


総理は大聖に声を掛け、一緒に帰宅するように促す。2人で美稀に声を掛けるも、


「今日緊急で学園祭実行委員会を開くことになっちゃったから」


と教室をそそくさと出ていってしまった。美稀が伏し目がちだったのが総理も違和感を抱いた。


「あいつも忙しいよな」


大聖は溜息をこぼす。


久々に2人で街に繰り出そうということになり、総理もそれに従った。念のため傘の購入だけを駅前のコンビニで済ませておき、南銀座通りのゲームセンターに2人で向かった。


自動扉が開くと同時に襲い掛かってくる音圧のシャワー。


2人で格闘ゲームに興じ、レースゲームでも興奮した挙句、リズムゲームで笑い、久しぶりに心の底から楽しむことができた。


最後の最後に大きな熊のぬいぐるみのUFOキャッチャーを発見する。大聖が500円を投じるも、全く取れる気配もなく終わってしまった。


総理が何気なく100円を投じただけで、いとも簡単に取れてしまった。


「さすがにこれで電車は気が引けるな」


ゲームたちの音圧に負けないよう、総理が大きな声を出す。


と、傍らに熊のぬいぐるみをじいっと見つめる黒いワンピースの金髪のボブカットの髪の毛の欧米風の少女がいた。


少女は右目が潰れているのか、左目に比べて半分ほど閉じた状態で瞳を失っている。


片目しか見えていないらしい。年齢は小学生くらいであろうか。しかし、不気味なくらい落ち着いている。


総理はこの少女に熊のぬいぐるみを渡すことにした。総理は膝を折った状態にし、熊のぬいぐるみを少女に手渡した。


少女は黙ってぬいぐるみを受け取り、しばらく熊の顔をじいっと見つめていた。


しばらく見つめ合った後に、少女はぬいぐるみを抱きしめて抱え直すと、自動扉を飛び出し、そのまま南銀座通りの人混みの中に消えていった。


総理と大聖もそのまま自動扉をゆっくりと出てきた。


「なんか不思議な雰囲気の女の子だったな」


大聖がぼそりとつぶやく。


「まあ喜んでくれたならいいんじゃないか」


総理は言う。


ストレス解消もできて程よく心もリラックスできたので、帰宅する。


時刻は既に午後8時を回ってしまっていた。


雨は既に降り止んでしまっていたようで、水たまりがどころどころ見られた。夕立ちだったようだ。


じんわりと湿気の多い空気を浴びながら、酔っ払いの人混みを掻き分けて武蔵大宮駅まで歩く。


千鳥足のスーツ姿の集団と何度もぶつかりそうになる。


と、そこに制服姿の見かけたことのある少女がスーツ姿の中年男性と歩いているのを発見した。


「あ、田部井だ」


大聖が総理に耳打ちした。大聖が指をさす。


総理が視線を向けると、確かにそこにピチッと決まった化粧で色気を身に纏った田部井が、中年男性の腕にしがみつきながら歩いている。


田部井はこちらに気付かず、人混みに紛れながらも2人の脇をすっと通り過ぎていった。


総理と大聖はしばし立ち止まって、田部井らの動向を目で追った。田部井らはそのままホテル街へと姿を消してしまった。


「あれがもしかして教育委員会の人か」


大聖が言う。


「ああ、たぶんそうだろうな。大胆だな」

「これからお楽しみかよーいいねえ」


2人は再び駅に向けて歩き出した。


総理は何気なく腕時計を確認した。時刻は既に午後8時30分。


そろそろ帰らなければ姉に殺されかねない。


今日は帰ると宣言したので、何としても帰らなければならない。


総理はヒヤヒヤとした気持ちで駅へと向かった。


横山家に辿り着いた頃には既に午後9時を回っていた。


リビングルームに入るや否や、突如酒の空き缶が総理の顔面を直撃した。


カランカランと廊下に転がっていく空き缶。時既に遅しだったか。総理は悔やんだ。


ソファ上にはだらしなく寝そべり、ポテチと酒を貪りながらドラマを観ている姉の愛理がいた。


「遅いじゃないのよ。何時だと思ってんのよ」


顔を真っ赤にした愛理が刺々しく言い放った。どうやらすっかり酔っ払っているらしい。


空き缶がテーブルの上に5本放置されていた。


こんな姿を彼氏に見られたら、別れられてしまうのではないだろうか。結婚が遠のくのではないか。


「まだ9時だろ」


総理が廊下の空き缶を拾ってテーブルの上にポンと力強く置いた。そして、相向かいのソファに腰かける。


「はあー?もう9時5分なんですけど?総理さん。門限タイムオーバー」


愛理はアウトとジェスチャーをしてみせた。呂律はからきし回っていなかった。


横山家には鉄の掟があり、高校生の総理は午後9時まで。大学生の愛理は午後10時までに帰宅しなければその日は家の中に入ることができない。


「5分くらい良いだろアホ酔っ払い」

「はあー?酔っ払ってねえし」


愛理が起き上がる。


その瞬間、アルコールのプーンとした匂いが総理にまとわりついた。総理は思わず鼻をつまむ。


「酒飲んでないのにその臭さとは、なんて体臭のやばい奴だ」

「ほんと失礼な弟」


総理はそのまま隣のダイニングへ足を運び、残されていた自分の夕食を食べ始めた。


両手を合わせてから箸をつかむ。愛理はリビングで新しい酒の缶に手を出している。


「総理のとこはまだ大丈夫なの?」

「何が?」

「ロスト・チャイルド現象に決まってんでしょう」

「大丈夫だよ」


総理は嘘をついた。


自分の通っている学校でロスト・チャイルド現象が起きていると家族が知ったら、毎日の送迎がついてくることになる。


「お姉ちゃんさーロスト・チャイルド現象の正体わかっちったーえへへ」

「すごいじゃん」


総理は表情を全く変えることなくご飯を口に運んでいく。


「全然すごいって思ってないでしょ?」

「いや、さすが。すごいと思ってる」

「総理なんかもうきらーい」


ぐでーんとだらしなくソファの上に再び寝っ転がる愛理。


大学で何か嫌な事でもあったのだろうか?今日はいつにもましてだらしない。


たまにこれだけ乱れている姉を見ることもあるのだが、今日は度を越している印象だ。


ロスト・チャイルド現象の正体がわかったなんてどこかで聞いたセリフだが、それは本当なのか。


「で、ロスト・チャイルド現象の正体って何だ?」

「教えなーいもーん」


不貞腐れたように愛理が言う。総理は面倒くささを覚えたので、もう構うことを止めた。


しばらくテレビの音と食器の重なる音だけが響いた。


と、ここで寝間着姿の父がリビングの扉を開いて現れた。


「愛理。みっともないからもう飲むのは止めなさい」

「えーだってー洋君がひどいんだもん」


またしても駄々をこね出す愛理。洋というのは愛理の大学の彼氏のことである。


やはり喧嘩でもしたらしい。大学入学してすぐでかれこれ1年半くらい付き合っているとても紳士な彼氏だ。総理も何度か会ったことがある。


愛理が立ち上がり、父とにらめっこしている。総理は構わず箸を進める。


「早くお風呂入って寝なさい」

「父さんの馬鹿―きらい」


愛理が頬を膨らませてリビングを出ていった。


その際、テーブルに派手に足をぶつけ、空き缶がコロコロとリビング内に派手に飛び散った。


愛理は構わずそのまま廊下に飛び出していった。


「こらー愛理。自分で飲んだのは片付けなさい」


父が追い打ちの言葉を廊下に向かって掛けるも、愛理が戻ってくることはなかった。


「全く愛理のわがままは一体いつになったら治るんだ」


父は溜息をこぼした。


「俺がやるよ」


総理が再び両手を合わせた。


「そうかすまんな。後で愛理に何か買ってもらえ」

「そうする」


父は2階の自室に引っ込んだ。


そして、総理はダイニングの食器を洗い、リビングに取り残された空き缶とツマミのゴミを全て捨てた。


片づけを一通り終えて伸びをする総理。


入浴をしたいが、姉・愛理の出てくるのをひたすら待った。


テレビをつけて画面に見入る。バラエティ番組をしばらく観ていると、もう壁掛け時計が10時を回っていた。


「遅いな」


まさか風呂場で寝てはいないだろうか。


すっかり酔っ払っていたので、そのまま湯船で寝ているってことも有り得なくはないだろう。


 と、ここで総理は美稀に電話の用事を思い出した。


 家の固定電話の子機を取り出し、電話する。遅い時間帯ではあったが、これも家族ぐるみの付き合いをしているから許される。


「もしもし、渡井です」


妖艶な声の主は美稀の母親であった。


「おばさん、総理です」

「あらー総ちゃんじゃない。久しぶり。美稀ねえまだ帰ってきてないのよ」

「え?」

「そろそろ帰ってくると思うんだけど、携帯繋がらない?」

「携帯はまだ掛けてないんだ。連絡も来てない?」

「うんそうなの。そしたらちょっと美稀に直接かけてみてくれる?ごめんね」


総理は緊張感に包まれた。


まさか美稀がまだ帰ってきていない?嫌な予感がする。


ロスト・チャイルド現象が頭をよぎる。総理はすぐさま自分の携帯電話を取り出し、美稀の電話番号を表示する。


コール音がいつも以上に長く感じる。ガチャっという受話器を取るような音が聞こえた。


「もしもっ」

「只今、電話に出ることができません。ピーッという発信音の後にメッセージをどうぞ」


総理をさえぎるように機械的な音声がとめどなく流れる。総理は血の気が引いた。


まさか、本当に?総理の手からするっと携帯電話がずり落ちた。


総理はすぐさま大聖に電話を掛けた。大聖はすぐ電話に出た。


「なんだよー」

「なあ、美稀がまだ帰ってないらしいんだ」

「え?え?マジかよ?もう10時過ぎてんじゃねえかよ」

「今、美稀ん家に電話したらおばさんがまだ帰ってきてないって」

「マジかよ?学園祭実行委員が長引いてるとは思えねえし、何やってんだあいつ?」


総理は電話を切る。また少し経ったら電話をしてみるしかないか。


それとも学校に行くべきか?いや、学校もさすがに閉まっている時間帯だ。参った。


 と、そこへバスタオル1枚の愛理が廊下をふらふらと現れた。


「総理―出たよ」

「服を着ろアホたれ」

「なーにー?総理くん照れてるのお?かわいい」


まだ酔っ払っているアホ姉にうんざりして無視していたが、そういえばと総理は記憶の回路をたどっていた。


「そういえば姉貴、ロスト・チャイルド現象の正体がわかったって言ってたよな?」

「うーん。言ったかもねー」

「教えてくれ。正体は何なんだ?」

「おせーてほしーい?」


またしても呂律がまわっていない。ぶりっ子のように首を傾げる愛理に苛立ちを覚えながらも総理は我慢した。


「ああ、教えてくれ」

「お姉ちゃん大好き!!って叫んでくれたらいいよ」


総理は愛理に鉄拳を食らわせようか一瞬迷った。


しかし、今は1分1秒も惜しい。美稀の安否確認が先だ。収集できる限りの情報は収集しておきたい。


総理は頭に血が昇るのを必死に血管の道路整理をしながらセリフを口にした。


「お、お、おねえちゃん大好き」

「もう総理ったらしょうがないんだからあ」


キャーと何故か照れ笑いを浮かべる愛理。


総理も、もはや恥ずか過ぎてそのまま息絶えてしまいたいくらい精神的に荒れた。


しらふの時に殴ってやろうと総理は誓った。


2人はそのままリビングルームのソファに相向かいに腰かけた。


「私の友達にそれを専門で研究している生徒がいるの」


愛理が落ち着いた様子で話し始めた。


先程の酔っ払っている時とはうってかわって、いつもの口うるさい愛理の雰囲気であった。表情も真剣になった時の愛理のそれである。


「その友達が調べたことには、教師が絡んでいるんじゃないかって話になっているの」

「教師?」

「そう。もちろん教師って言ってもね、担任の先生の場合もあるし、もしくはただの教科担当や担任を持っていない先生の可能性もある。それはおそらくその学校によって違うのかもね。アンタのところは1人既に失踪したって聞いたけど?」


家族に話していないことを愛理が知っていることに総理は驚いた。


愛理も総理の学校の卒業生のため、もしかしたら高校時代の後輩から情報を仕入れているのかもしれない。


「親父たちに言うなよ」

「言わないけど、アンタも気をつけなさいよ」


それだけ言うと、愛理はソファに再び寝そべった。


確かに教師が絡んでいてもおかしいとは思わない。愛理の友達の言うことにも一理ある。教師は生徒の動向を一番操作しやすい。


ちょっと残れと言われたら残らざるを得ない。


しかし、教師が生徒を誘拐する場合、どうしても学校という場所になってしまわないか。


そうなると、さいたま市最初の失踪者の話が合わなくなってきてしまう。


あのケースでは住宅街だったはずだ。


突如、スース―と安らかな寝息が響き出した。


総理がチラッと愛理の顔を覗くと安らかな寝顔を浮かべていた。


ようやくうるさい姉貴が寝てくれた。


総理はホッと胸を撫でおろした。


と、ここで総理の携帯電話が鳴り響いた。


画面には渡井美稀の表示があった。


「ごめんね総理。今気づいたの」

「おい美稀、お前今どこにいるんだ?」

「え?今もう県庁前駅だよ?」

「なんだびっくりした」


緊張感がスーッと溶け出していくのを感じた。総理は安堵の溜息をこぼす。


「ごめんごめーん。人通り多いから大丈夫だよ。それより電話したのって何?」

「ああ、そういえばお前が忘れてた学園祭資料、俺の鞄に入りっぱなしだったけど平気だったか?」

「え?あっ」


美稀が息を漏らす。


「あーでも今日は何とかなったから大丈夫。明日学校に持ってきてくれない?」

「わかった。すまない」

「ううん。私も忘れちゃってたしさ。わざわざ電話くれてありがとね」

「家にも掛けちゃったから、おばさんにもよろしく言っておいてくれ」

「わかったー」


美稀は元気が良かった。まるでどことなくスッキリしたような感覚だ。


「じゃあまた明日」

「うんおやすみ」


電話は切れた。


どうやら美稀は無事だったようだ。大聖にもラインでその旨を伝えておく。


そろそろ風呂に入ろう。午後10時30分を回ったところだ。

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