第3話 いじめ

放課後の校舎の屋上。


眩しい夕暮れの肌寒いこの屋上で、2つの人影が1つの人影ににじり寄っていた。そう、飯尾と和田が楠田に詰め寄っていたのだ。飯尾はいかつい顔をしかめ、楠田に詰め寄る。楠田は恐怖なのか寒さなのか、ぶるぶると小刻みに体を震わせている。


「おい、金払えって言ってんだよ」


おらついた表情の飯尾が低くうなる。和田もまたにやりと嫌らしい笑みを浮かべている。と、飯尾が楠田の襟を引っ掴んで顔を近づけてきた。威圧感のある風体に楠田は恐れおののいている。


「てめえみたいなクラスの最下層民があのクラスに金も払わずにいられると思ってんじゃねえぞこら。いいか、お前はクラスの最下層民なんだ。お荷物なんだよ。だったら、最下層民は最下層民らしく、俺らにちゃんと税金を払わないといけないだろう?なあ、聞いてんのかこら」


飯尾は楠田の頬を平手打ちした。じんわりと赤く染まる楠田の左頬。両目には涙が浮かび、左頬を庇う左手。恐怖のせいかおどおどと体を極端に震わす楠田。和田はケタケタと悪趣味な笑い声を上げた。


「…です」


と、突如何事かぼそりとつぶやく楠田。

「ああん?聞こえねんだよてめえ」

怒鳴りつけた飯尾がその瞬間、楠田の左脇腹を力強く殴りつけた。

 楠田はぐえっと喚いてその場にうつ伏せに倒れこんだ。楠田の口の中に酸っぱい液体が充満した。


そこへ、すかさず楠田のポケットに手を伸ばす和田。固い感触があり、それを力強く引っ張り出す。黒いテカテカと光った長財布が申し訳なさそうに姿を現す。和田はそれをすぐさま飯尾に手渡す。飯尾は黄色い歯を見せながら受け取り、チャックを乱暴に開けた。収納している札束を乱暴に全て引き抜き、1枚ずつ丁寧に数え始めた。数え終わるや否や、飯尾が顔をしかめて吠えた。


「何だよてめえ、めちゃくちゃ持ってんじゃねえかよ」


飯尾はすっからかんにしなびた長財布を楠田の後頭部に叩きつけた。ぐわっと短い悲鳴を上げる楠田。飯尾と和田は札束を目の前ににやにやと興奮を抑えきれないでいる。


「最初からおとなしく渡せば殴られなくて済んだのによ、無駄な抵抗しやがって。学習できねえ奴」


嬉々とした表情の飯尾と和田は、吸い込まれるようにして屋内へ通じる扉を開けて立ち去って行った。力強くバタンと閉められる。


先程の喧騒が嘘のように、しーんと静まり返る屋上。時折吹く風が楠田のボサボサの髪の毛をさらっていく。


そして、程なくして屋上に響く嗚咽。楠田は大粒の涙を流しながら、鈍く痛み続ける左脇腹を左手で力強く押さえていた。屋上の床に叩きつけられるように降り注ぐ大粒の涙。


太陽は既にとっぷりと暮れ、暗闇が周囲を支配し始めていた。


 

 授業を全て無事に消化し終えた生徒たちが校舎から大量に吐き出された。生徒たちは帰宅の途につくか、各々の所属する部活動へと足を運ぶ。教室内はまばらだった。

「美稀」

総理は取りまとめ終えた荷物を携え、教室を出ようとした美稀を呼び止めた。美稀は鞄を携えておらず、メモ帳と筆記用具を片手にどこかへ繰り出そうとしている様子だった。

「あ、総理。今日は先に帰ってて。この後ほら、学園祭実行委員会だからさ」

美稀は申し訳なさそうに、ごめんねと手を合わせる。


「そうだったな」

「今日はこれから長引きそうだからね。挨拶回りもあるし」

「了解」

美稀は笑顔で手を振り、教室を飛び出していった。

と、鞄を携えた大聖が後ろからとぼとぼと力なくやってきて、総理にか細い声を掛ける。


「総理、今日はそしたら俺と2人で帰れるぜ。良かったな」

しょんぼりとした表情全開の大聖。おそらく、原因はこのクラスの本日の最大の関心事にありそうだ。

大聖は何かに取り憑かれたかのように生気を失ってしまっていた。総理は尋ねた。

「だめだったのか」

「だめだった」

大聖は力なくがっくりと近くの壁にうなだれてしまった。

「仕方ない」


総理が扉を開けて廊下に出る。ゆっくりと歩を進めると、酔っ払いのようにやや後ろから千鳥足で遅れてくる大聖。廊下は部活へ向かう生徒もしくは帰路に就く生徒でざわついていた。


 階段を下りて昇降口に降りたち、2人は一定の距離を保った状態のまま、校門をくぐった。校門をくぐってしばらく歩くと帰宅生徒たちの姿はだいぶまばらになったが、武蔵大宮駅近辺になると、ビジネスマンや主婦の姿も目立ち始め、夕飯前の繁華街の様相を呈していた。


 そのまま、駅へ通じる歩道を、総理は人混みを掻き分けるようにして突き進んでいく。すっかりと抜け殻のようになってしまった大聖が、遅れじとついてきているようだ。


総理は何度となく人にぶつかりそうになりながら駅までの道を進んでいく。小学生の頃から3人で遊び場にしていた駅前の街だが、こうして見るとよく小学生の時にこんな遅い時間まで遊んでいたものだと思う。しょっちゅう帰りが遅くなり、母親にこっぴどく叱られていた思い出がある。それを懐かしく思いながら、総理は人の群れを掻き分けていく。ちょうど確かその小学生の頃も近隣の町で通り魔殺人 が発生し、数日間街が騒然としていた記憶がある。


「ロスト・チャイルド現象か」

総理が思わずぼそりとつぶやく。

いつの間にか総理の隣に追いついていた大聖がそれにすかさず反応する。抜け殻状態からは脱して、肩をやや落としている程度にまで落ち着いた様子だ。

「何だ。どうした」

総理は歩を止めぬまま、大聖を静かに見つめる。


「この街にもう起こっているって、実感がまだ沸かないなあと思ってな」

大聖もまた、うんうんと強くうなずいた。

「そうだよな。朝、橋本ちゃんが熱弁してたけど、全く実感が沸かないから共感できなかったわ」

「まだ世間との熱の差があるよな」

「まあ、そんなもんだよなあ世間なんて。自分さえ良ければそこまで他人の心配までしないというかさ」


大聖はまだ憂鬱そうな表情だ。心なしか青ざめてさえいる。

「俺のテストの点数が悪くても、総理は心配してくれねえのと同じよ」

大聖が頭を掻きむしるようにして抱え込む。

「そりゃそうだ」

総理も冷たく言い放つ。

きいいっと喚き出す大聖。思わず耳を塞ぐほどの声量だ。通行人がジロジロとこちらを見てくるので他人のふりをする。


 やがて、とある雑居ビルのゲームセンターが近づいてきた。ふと何気なくガラス張りの壁から店内に目を向けると、手前の筐体の前で2人の見知った少年たちが遊びに興じているではないか。よくよく見つめるとそれは飯尾と和田であった。大聖が出入口の自動扉にかじりついた。総理も溜息をついて後に続く。グワッとゲーム機器の音圧が荒波のように襲い掛かってきた。耳を劈くような破裂音の応酬だ。


「おい、飯尾」

大聖が声を張り上げて手を振る。

彼らは、2人の存在に気付いたのか、不敵な笑みを見せて手招きする。飯尾と和田は何やら得意げに笑っていた。

「何やってんだ?」

大聖が叫ぶように大声で喋りかける。と、それを聞いた飯尾がさらに嫌らしさのこもった笑顔を見せて叫ぶように声を張り上げた。


「いやあ俺たちよお、ついさっき楠田からお小遣いをたんまりもらったのよ」

飯尾が黄色い歯をこれでもかと見せつけてくる。

総理と大聖は目を点にしてポカンと口を開ける。思わず2人は顔を見合わせた。

「は?」

「だーかーら、あいつが今さっきいっぱい俺たちに金くれたの。まさか3万も軍資金が手に入るとは思わなかったぜ。なあ?和田」

和田も薄ら笑いを浮かべる。


「ま、まじかよお前ら」


大聖が驚嘆の表情を浮かべる。さすがにやり過ぎだと感じているのだろう。しかし、一切悪びれた様子を見せずに飯尾と和田は再びコントロールを手慣れた様子で叩き始めた。

「マジだよ。お前らもやってくか?格ゲーやろうぜ。オンラインで対戦して全国ランク競おうぜ」

「一番負けた奴が全員にジュースおごりな」

飯尾と和田がコントロールを懸命に叩きながら、下品な笑い声を立てている。


大聖は呆れた表情を浮かべ、出入口を顎でしゃくった。総理もまた、呆れを感じずにはいられなかったので力強くうなずく。

「いや、俺らはこの後用事あるから帰るわ」

大聖はそう叫ぶと、ススっと出入口に向かって歩き始めた。総理もまた静かにそれに続く。飯尾と和田は構わずコントロールを叩いてバカ騒ぎしていた。


 店外に出ると詰まっていた空気が嘘のように清々しく感じられた。先程まで鼓膜を乱暴に叩いていたゲームの音からすっかり解放された。清々しい。ただ、そう感じるや否や、目の前の人の群れにさらわれていく。2人は並んで駅までの歩を進めた。総理も大聖もすっかりと肩を落としていた。大聖はしばらく呆然としていたが、はあっと溜息をついた。

「あいつら…最近やり過ぎだぜ」

「まったくだ」

総理もうなずく。大聖は両腕をいっぱいに注に伸ばし、大きく伸びをする。

「あーあ、全くろくでもねえわ。あいつらもテストも」

先程とうってかわって大聖が先陣を切って駅への道を進んでいく。


程なくして駅前のロータリーに差し掛かり、エスカレーターで駅舎の2階部分へと昇っていく。人の群れはここでも続いており、エスカレーター上はほぼ身動きが取れずにいた。

そのままざわついた改札口まで歩き、改札を通過しようとしたまさにその時、優しそうな少女のソプラノが2人の背中に降り注いだ。思わずピタリと足を止める。


「あの、申し訳ございません。与野駅まではどちらのホームに行けば宜しいでしょうか」

振り返ると、そこには茶髪の長い髪を両端で結わえた1人の気品溢れる少女が立っていた。都会のお嬢様という雰囲気の出で立ちだ。背も高く、肉付きも太くもなく痩せてもいなく程よい。目は垂れ目で、無害そうな雰囲気を醸し出している。学生服は総理たちと同じ学校の指定の物を身に着けていた。総理は呆気に取られていたが、電光石火のごとく大聖が答えた。


「あ、ああ。それなら俺たちと同じホームだから案内するよ」

呆気に取られている総理を尻目に、だらしないデレデレ笑顔の大聖が少女の後ろにぴったりとついていく。先程までの意気消沈ぶりはどうしたことやら。どうも大聖は可愛らしい女の子には弱いらしい。いつも以上に腕を振って元気良く歩いている。随分と単純な男だ。大聖と少女が改札を通過し、それに遅れて総理が続いていく。


その間、大聖は遠慮もなしに少女へと休む間もなく質問を浴びせていく。

「同じ学校だね。何年何組?部活は?担任の先生は?趣味は?休日は何してるの?」

少女も大聖の質問に丁寧に1つ1つ答えていく。


「へえー3年A組の浅倉和那さんかあ。俺らの1つ年上だ」

「はい、こちらに越してきてあまり経ってなくてこの辺りの地理がよくわからないんです。部活動は所属しておりません。担任は世界史の曽根先生です。趣味は読書です。休日は映画を観るか買い物をしております」

「まあそうっすよねえ。この辺は入り組んでいて、他所から来た人は大変っすよねえ」

時折おちゃらけた様子で快活に話す大聖。少女もこれまた1つ1つ丁寧に対応する。総理はそのやり取りを感心して見つめる。この初見の誰とでも仲良くなれてしまうコミュニケーション能力を有する大聖がとてもうらやましかった。


総理自身はコミュニケーションを積極的に取るタイプではなく、どちらかというと人見知りタイプで仲良くなるまでには時間が掛かるタイプだ。美稀もまた若干人見知りではあるが、猫をかぶることに長けているので、それを全く感じさせない。だからなのか、美稀は大聖に惹かれているのかもしれない、と総理は思っていた。それこそが、総理の感じる日常の異変というものだった。


電車に乗り込んでもコミュニケーションは続いていた。このやり取りを眺めるにつけ、既に今日知り合ったということを感じさせない、数年前からの知り合いのような雰囲気さえ醸し出していた。大聖だけでなく、少女も口元を押さえて笑っている。総理はただそれを優しく見守っているだけだった。

電車が「与野駅」に辿り着いて停止した。

「では、どうもありがとうございました」


ぺこりと丁寧に頭を下げ、和那は笑顔のまま下車していった。扉がゆっくりと閉ざされ、電車が走り出すまで少女は笑顔で見送ってくれていた。大聖は酔っ払ったような表情で大きく息をついた。

「いやーめちゃくちゃ可愛かったなあ。あんな子がうちの学校にいただなんて」

大聖は先程の不幸そうな表情から一転して、顔をすっかり赤らめてだらしなくほころばせている。

「そうか?」

総理はぶっきらぼうに答える。と、大聖はにやけた表情で総理を覗き込む。


「ま、お前は美稀が好きだもんなあ」


思わぬ反撃に、総理もやや顔を赤らめる。鼓動の高鳴りを感じた。恥ずかしい。大聖はおそらく、美稀が大聖のことを好きだということに気づいていないだろう。そう、総理の推測ではあるが、美稀は大聖のことが好きなのだ。これが日常のちょっとしたささいな変化だ。

「あほたれ」

総理は心情を悟られまいと、大聖を押しのけてそっぽを向いた。


「あーあ、連絡先くらい交換しとけば良かったなあ。でもま、同じ学校なんだしそのうちまた会えるか」

大聖が悔しがる表情を見せながら、腕を組んでうなずく。

「受験で忙しいだろ」

総理がそっぽを向いたまま、ぼそりとつぶやく。

「何言ってんだよ総理。その受験勉強の疲れやストレスを俺様のとびきりの笑顔で癒してやるのさ」

「お前が何言ってんだアホたれ」


電車のアナウンスが、2人の目的地の駅の名前を告げた。2人はそそくさと降車する支度を整えた。総理の腰ポケットがぶるぶると震えた。取り出した携帯電話を覗き込んだ総理はあっと驚嘆の声を上げた。


「げ、姉貴だ」

「お、愛理さんか。どうしたんだ」

大聖が総理の携帯電話を奪い取って覗き込む。

そこには、

「県庁前駅着いたら連絡して。車で駅前ロータリーで待ってるから」

との文字があった。大聖は思わず苦笑いする。


「愛理さんてば、相変わらずの過保護だなあ」

「困ったもんだ」

「まあいいじゃねえか。美人のお姉さんにここまで愛されて羨ましいぜ」

「どこがだ。酒飲んで酔っ払ってばっかだぞ」

総理がふんと鼻で笑う。しかし、大聖はうらやましそうにこぼす。

「俺には年の離れたくそ真面目な兄貴と生意気な妹しかいねえぜ」

「にぎやかでいいじゃないか」

総理はつぶやいた。夜が深くなる。

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