石碑

 遮蔽物のない壁の上では反対側の壁もよく見える。それだけ、空気が澄んでいるという証拠だった。


 二人のいるはるか上空では街の喧騒も聞こえず、ただただ北の台地を覆う雪と、吹き荒れる風の音が聞こえる。


 その風は、階段を登る時以上に顕著に二人を包み込んだ。


 いつの間にか鉄柵は消え、段々と強固に展開された結界が解かれていき、気がつけば結界は完全になくなっていた。


 しかし、二人が風に吹き飛ばされることはなかった。


 まるで、風が二人の来訪を祝福するように吹き抜ける。



「先生――?」



 イリヤは不思議そうにアインを見て首をかしげるが、アインはにこやかにその様子を見るに留めた。


 イリヤは何も言わずにアインの先を進む。


 少しずつ降り注ぐ雪結晶と、それを運ぶ柔らかな風がイリヤを包む。



(思ったより同調が早い)



 北の台地を開拓したガーランド公爵が後に「北の台地の守護神・風見鶏は、激しいやり取りの末、自身を守護者として認めた」と記した様に、極致魔法にはどこか意思が宿っていると考える者も多い。


 守り神が認めた者に対して、その力の一端を貸し与えているのではないかと。


 その推測が正しいのではないかと思われる事象は多く観測されていて、イリヤのこれもまたその一つではないかとアインは感じていた。


 この様子を見るに、風見鶏はずっとイリヤを待っていたのかも知れない。


 だからこそ、家庭教師としてやってきたアインにもまたその力を貸し与えた――そう考えると納得のいく部分も多い。


 しかし、それは同時にイメージを現出させるという魔法概念を根本から否定するということだ。


 だからこそ《紅蓮蝶》や《風見鶏》は極致魔法と呼ばれ、未だ現代の魔法師がその全貌を解明できていない魔法の到達点なのである。


 日が傾き夕日が街を照らす。


 長い長い壁の上をゆっくりと歩く二人は、ようやく目的の場所へと辿り着いた。



「石碑ですか?」



 二人の前には丁度、検問所の反対側に建てられた柱は、他よりも広い広場の様になっている。


 その中央に一つの石碑が建てられていた。



――風に魅入られここに辿り着きし者。約束の地にてその力を示せ。



 ただ簡潔にそう掘られていた。



「――約束の地?」


「そうです。約束の地です」


「先生は知っているんですよね?」


「勿論、これは試練ですから一通りクリアしていますよ」



 しかし、答えは教えませんよとアインは付け加える。


 当然ながら、試練である以上、アインは答えに直結するような助言をすることは出来ない。


 なぜなら、これはイリヤ自身が自ら超えなければいけない壁だからだ。



「この石碑の真意が分かるまでは、公爵に許可を貰っていますので、何度か通ってみると良いでしょう。

 午前中は座学、午後は自習としますから」


「この石碑の真意ですか――」


「先程も言いましたが、これは一種の試練であり、この石碑を用意したのもこの地を築いた当時のガーランド公爵です。

 ガーランド公爵が何故、石碑をここに建てたのか――それを考えれば自ずと答えは導けるはずです」



 少し話しすぎたか?と思ったアインだったが、このくらいは大丈夫だろうと最初にして最後の大ヒントをイリヤに与えた。


 あとは、イリヤ次第である。



「さて、後は戻るだけですが……最後に私から試練に挑む教え子に選別をあげましょう」


「選別ですか?」


「役に立つかは分かりませんが、いいきっかけの一つにはなると思いますよ」



 そう言って、アインはイリヤの両肩に手を置く――否、強く掴んだ。


 イリヤは突然のことに体を強張らせた。



「えっと……先生?」


「さ、帰りましょうか」



 イリヤの抗議を無視して、アインはそのまま後ろへとイリヤを連れて跳躍。


 あろうことか、二人揃って壁から飛び降りたのだ。



「いやぁぁあぁ⁉」



 突然、宙に放り出され絶叫するイリヤ。いきなり過ぎてバランスが取れていない。


 クルクルと――では言葉足らずなほどに回転しながら落ちていく。


 一方のアインは胸を下に向け、イリヤと並走するように降りていた。



「イリヤ。そのままでは首を痛めてしまいます。

 まずは落ち着いて。バランスを取って下さい。

 大丈夫。着地は私が補助しますから」


「そっ、そんな、こと、言っても! 一体、どう――すれば‼」


「聞く相手を間違えていますよ」



 バランスが取れずに回転するイリヤが一瞬捉えたアインの表情は穏やかなものだった。


 落ち着きを取り戻したイリヤは、アインが言った言葉の意味を考える。



(聞く相手? 他に相手なんて――)



 そう思った瞬間に、耳元で何かが囁いた様な気がした。

 まるで、自分もいるぞと言いたげなその現象にイリヤは目を見開く。



(風――そうね。ここは北の台地・ガーランド公爵領で、私は《風使い》ガーランド公爵の娘なんだから!)



 叩きつけるようにイリヤを襲っていた風が段々と弱まっていく。

 やがて、抱き上げるような柔らかい風へと変わり、落下速度はそれに応じてゆったりとし始めた。


 やがて地面が近づき、イリヤとアインは体を起こし、足から地面へと向かう。


 壁の上から落ちてきたとは思えないほどにふんわりと、二人は地面に足を下ろした。



「正解です。風は常にイリヤと共に――そして、貴方の味方です。勿論、私もね」


「はい。ありがとうございます」



 イリヤの頭をアインが撫でると、イリヤは嬉しそうにそう笑みをこぼした。


 これで、第一段階はクリアしたと言っても過言ではないだろう。


 二人はそのまま迎えの馬車に乗って、公爵邸へと帰宅したのだった。


 これから起こる騒動を予想できぬままに――


――

あとがき

 次回でとりあえず、二章は終了。

 三章前の閑話になります。

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