守護の壁
気がつけば、二人を乗せた馬車は検問所へと辿り着いていた。
公爵家は都市の中心にあり、一つ目の壁までの距離はたいしたことはないが、それでも馬車で数十分の距離だ。
それだけ、集中してイリヤが話を聞いていた証拠だった。
検問所の手前で馬車を停めたアインは、馬車から降りイリヤに手を差し伸べる。
二人揃って下車したあとは、検問所へ向かって歩き出した。
開閉式であるが故に脆くなりやすい門の前に設けられた検問所は、重要な施設の一つであるうえ、この壁では唯一の検問所のため規模も大きく、騎士たちも多く駐在していた。
そのうちの一人にアインは近づき声をかけた。
「こんにちは。アインと申します。ガーランド公爵様から連絡は来ていますか?」
「貴方がアイン殿ですか。お話は公爵様から伺っています。
イリヤ様もようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへ」
検問所で待機している騎士は要件を聞くと、二人をすぐに立ち入り禁止と書かれた扉の方へと案内した。
一見物々しい雰囲気はあるものの、壁の警備を行う検問所の騎士たちはよく利用するものだった。
中に重要な機密が……なんてことはなく、そこから見上げれば、天井が見えないほどの螺旋階段が上へ上へと続いていた。
「じゃあ、イリヤ。早速登りましょうか」
「え?」
「ほらほら、早く。どんどん登って下さい。目指すは天辺ですよ」
イリヤは理由も分からず、アインに押されたため登り始めた。
その足取りは重い。
一方のアインは騎士に言伝しているようだった。
「帰りは別ルートで降りますので、ここは閉じてもらって大丈夫ですよ」
「別ルートですか? この城壁はここからしか登れないはずですが……」
「確かに登るのは難しいかも知れませんが、降りるだけならたいしたことありませんよ。
では、私もイリヤを追いかけて登ってきます」
呆然とする騎士を置いて、アインはイリヤを追いかけ始めた。
イリヤと対称にアインの足取りは軽い。
普段から走り込みなど、基礎体力を付けるための鍛錬を欠かしていないアインは、そこらの騎士たちよりも体力があった。
数刻もすれば、アインはイリヤに追いついていた。
「先生。これに一体どんな意味が?」
イリヤは息も絶え絶えに、アインへ質問する。
ただの見学にしては、なかなか大変な移動であることに変わりはない。
イリヤの疑問はもっともだった。
「各公爵領はそれぞれ城塞都市と呼ばれ、シェフィールド王国の守護者として君臨しています。
それぞれが城壁を持ち、隣国の侵攻を食い止められるよう備えているのです。
その中でも、ここガーランド公爵領は最も堅牢な城壁を築いています」
不意にアインは城壁に手を当て、目をつむる。イリヤも手を当て、それを真似た。
二人はやがて目を開け、静かに一歩ずつまた登り始める。
イリヤは時折止まっては、上を見て息を深く吸い込む。
息を整えるため――というのもあっただろうが、それ以上にこの空間独特の空気を深く吸い込んでいるように見えた。
外は常に活気に溢れた街が広がっているが、ここは壁の中。二人の足音と風の音が響き渡る。
まるで、時が止まったかのような無限回廊を二人で歩いているかのように……
どのくらいそうしていたか、ふいに、イリヤは呟く。
「私は――壁とはあって当たり前のものとして、今まで生きてきました。
生まれた時にはあったし、今まで壊れたこともなかったから」
その言葉にアインは頷きを返して、静かに聞く。
アインの目論見通り、イリヤは何かを感じ始めたようだった。
「でも、こうして歩いていて、ご先祖様はこれだけの質量の物を作り上げたんだって、少し知ったかぶりかも知れないけども、なんか誇らしくなってきました」
イリヤはそう言って笑みを零す。
これだけの質量――というイリヤの表現は適切で、一番外周の短いこの壁でさえ、幅は五十メートル。長さは数十キロに及ぶ。
人の手で積み上げては魔法式で強化し、それを少しずつ繰り返すことで、この強固な壁は出来上がったのだ。
近くにあるからこそ気づかない物。愛情や想い、意味に理由。それらは深く考えようとして初めて気付くことができる。
当たり前という固定観念を捨てて、その物に向き合わなければいけない。
そして、そんな想いを乗せて作られた壁だからこそ、幾度となく、他国の侵攻を防ぎ、退けてきたのだ。
それから長い時間を掛けて二人は頂上へと到達した。
昼ごはんを食べてすぐに公爵家を発ち、それから登り始めたが、ゆっくりとしたペースだったため、すでにおやつの時間を過ぎていた。
閉められた扉を開けると、吹き飛ばされそうなほどの突風と冷気に襲われる。
素人が登ればたちまち転落していたかも知れない。
アインはイリヤを守るように、自分たちの立つ範囲を囲うように結界を展開する。
全面からの干渉を防御する魔法障壁の上位魔法。それが、この結界魔法と呼ばれるものだった。
全方向に球体状に展開することと、魔法障壁以上の規模から、相応の魔力と制御力が必要になる。
しかし、アインはそれを難なくこなしてみせたのだ。
「先生。幾らなんでも結界魔法は贅沢過ぎるのでは?」
「まぁ、確かに私一人だったら使わないのですが……あそこに何が見えますか?」
アインの指差す方向には、少し太めの鉄柵が見える。
それは、壁にそってずっと続いているようだった。
「柵――ですか?」
「柵というよりは、命綱みたいなものですね。
ここは並の兵士でもあんまり来ないところなんですよ。
風で吹き飛ばされてしまいますからね」
などと、アインはさらりと言うが、実際問題、もともと風の強い北の台地である。
壁に打ち付けた風が天辺を通り過ぎるのは自然の道理だった。
つまり、この結界は二人が風に飛ばされないように展開している風よけというわけだ。
二人はそのまま、壁の上を歩く。
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