序章 それは紅く染まった秋の日に

 夏の気だるい暑さが段々と静まり返り、冬へと向けて季節が移ろいゆく秋の日のことだった。


 ここシェフィールド王立サンフォード魔法大学の研究室では、今日も教授の思いつきが炸裂していた。



「アイン。そろそろ、後期課程が始まるが……一つ私の課外授業を受ける気はないかね?」



 教授が声を掛けたのは、研究室に身を置く優等生の一人、アイン・スティアードだった。


 一見、教授と教え子の当たり前のような会話に見えるが、実際のところ、面倒を押し付ける口実としてよく使われる単語だった。


 大抵の生徒が適当な言葉を並べてあしらうが、面倒を押し付けられると分かった上で、ちゃんと話を聞くのがアインのいいところで悪いところだった。


 お人好しが過ぎる――後輩たちからもそう言われるアインは今日も今日とて、教授の狂言に耳を傾けるのだった。



「いきなりどうしたんですか教授。

 俺はすでに卒業単位を取り終えてますし、卒業までの二年半は研究室に籠ろうと思っているんですが?」


「ああ、確かに、今更君に単位は必要ないだろうさ」



 本当であれば卒業も出来るのだが、特に進路が決まっている訳でもなく、大学に所属していないと読めない貴重な書籍も多くあるためアインは飛び級せずに在籍していた。



「まぁ、私の友人が困っているようでね。解決するに当たって君が適任そうだから一つ頼まれてくれないかと」



 この通りである。


 これで果たして何回目のお願い事だろうか――と思いながらアインは、場合によっては引き受けようと詳細を確認する。



「何をさせるつもりか知りませんが、流石に教授のお使いをタダでやるほど俺はお人好しではないですよ?」


「それは私を含め、一部の人間に対してだけだろう? この人たらしがよく言う」


「人聞きの悪い」



 人たらしと言われるだけの交友があるのはアイン自身も自覚していないこともなかったが、それは教授のコネや偶然が呼んだ産物に過ぎない。


 この人の方がよっぽど人たらしだろうとアインは思った。



「自覚がないならなお悪いな。

 少なくとも君はこの国における最高戦力を、を持って動かせるだけの力があることをよく理解しておくれよ」



 国の最高戦力――なんて呼ばれる戦姫こと腐れ縁の相棒のことを頭に浮かべながら、陛下よりもこっちの頼みを優先しそうだと言われて気づきどうしたものかと考える。


 考えたところで、どうしようもないのだが……


 しかし、そんなアインの心配をよそに、教授は話を進める。



「さて、話は逸れたが引き受けて貰うぞ。

 無論、バイト代は先方が払ってくれる手はずになっているから安心してくれていい」



 やはりと言うべきか、最初からアインに拒否権はないらしい。


 人を驚かすことに人生を掛けているような人間を信じるのは些か不安が残るが、教え子を危険な目に合わせるほど落ちぶれてもいない。


 どうせやることがないのだから、一つ行ったことのない地へ赴くのもいいかもしれない。


 課外授業ということは、出席日数に関しても問題ない上に、臨時収入まで手に入るのだ。


 断る理由はあまりない――胡散臭いだけで……



「分かりました。それで依頼内容は?」


「北の守護者・ガーランド公爵家三女の家庭教師だ」


「お断りします」



 やはり信用した自分が愚かだったとアインは決断を悔いた。


 北のガーランドと言えば、国を代表する貴族、四大公爵家の一つである。


 そこのご令嬢の教育係とは、いくら成績が良かろうが、平民のアインには荷が重かった。


 無論、それを考慮しても問題ないと教授が判断しての決定ではあるとアインも理解はしているが、精神的に保つとは言えない。


 過去の経験上、令嬢には聞き分けがいいお嬢様と、人の意見なんか聞きやしないじゃじゃ馬がいるのだ。


 前者であることを祈りつつ、アインは覚悟を決めていた。


 ここまで来てしまった以上、断れないのは明白だからだ。



「残念。すでに君が快諾してくれたと伝えてある。

 不敬罪に問われたくなければ行ってきたまえ」


「はめましたね?」


「さて、何のことかな?」



 アインが教授を睨みながら言うと、教授はどこ吹く風である。


 これもいつも通りのことであるため、アインはため息一つ付いて頭をかいた。


 慣れというものは怖いもので、もはや怒る気力すら今のアインにはなかった。


 それが、お人好しが過ぎると言われる所以とも自覚せず……



「それよりも、すでに北行きの汽車を取っておいた。

 明朝の便で向かってくれ」



 随分と急なスケジュールだと思いつつ、こうなっては素直に向かうしかないので、教授に分かれを告げアインは研究室を出る。

 

 その際、せめてもの仕返しにと、強力な結界と暗号呪術をアインは研究室全体に施しておいた。


 教授でも部屋から出るのに数時間は掛かるだろう。


 もう少し強力なお仕置き呪式を用意しておこうと決心しつつ、明日からの旅行の準備をするため部屋へとアインは戻った。


 道中思い浮かべるは、行き先の領主のことだ。


 四方に分かれた建国当初から王国に仕える公爵たちは守護者と呼ばれ、王位継承権も末端とは言え持ち合わせた由緒正しき一族であり、公爵の発言力は王太子を上回るとされている。それが



――四大公爵家



数百年続く王国史において、ただの一度たりとも黒い部分が現れたことのない、王家に使える臣下たちである。


 それほどまでに強い権力と忠誠心を持ち合わせた方からのオファーともなれば、たかが平民のアインには断りようがないというもの。


 不敬罪というのも、王族に対する不敬と同等の処罰が下されかねない。


 とはいえ、男の一人旅で、公爵家の一室を借りられることになっていたため、あまり荷物が必要なわけでもない。


 必要なものは現地で買えばいい。


 幸い、この半年間で色々と仕事を請け負ったこともあり、アインの貯蓄には少なからず余裕がある。


 なるようになるだろう。


 それに課外授業なのだから、日用品なんかは領収書で教授宛に請求してやればいいのだ。


 そう思えば若干嫌々だった仕事も、実は手軽な長期旅行に見えてくる。


 後の問題と言えば、教える生徒の性格と、確実に邪魔になる故に置き手紙しか残していけない相棒の、後に来るであろう追求くらいなものだ。


 もっとも、相棒の追求が一番の問題なのだが……この辺はもう一人の腐れ縁にでも任せておけばなるようになるだろう。


 明日の準備を終えたアインは、相棒にして王国最強の騎士、リーナ・ウィルフォードと、腐れ縁の第一王女、アイナ・シェフィールド宛に置き手紙を書き、リーナの手紙は普段から使っている作業台の上に置いておいた。


 今知れば間違いなく付いてこようとするからだ。


 逆に彼女をよく知る者が止めればある程度は抑えられるはず。


 流石に仕事をしに行く関係上、邪魔になる可能性がある彼女を連れて行くわけにはいかなかったのだ――当然、後日埋め合わせは必要だろうが……


 一方のアイナには手紙を届けることにする。


 アインが開発し三人で共有している、手紙を任意の相手に届けるための魔法。


 变化の魔法から派生したこの魔法は、手紙を一羽の鳥に変えて受取人に向けて飛び立っていった。


 明日は朝早くに出るため、その日はそのまま床についた。


 果たしてどんな出会いがあるのか楽しみになる一方で、半年という長い期間王都を空けることへの不安もアインにはあった。


 年末には一度帰ってこようと思いつつ、アインの意識はまどろみの中に沈んでいった。

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