第2部 繭子 2013年の冬 12月下旬

柳下繭子やなしたまゆこは28歳の画家志望のフリーター。


長く伸びた髪を後ろで結わいてぼ〜っとしながら昭和記念公園の寒空の下、スケッチブックにシャープペンを走らせる。


絵画教室のバイトで出会った戸叶英輔のことを考えて、“優しい人だったなー”と空を仰ぐ。


「はっ!」繭子は頭をポンと叩き「男にうつつをー」と言いかけて回りを見回す。


彼女は絵以外のことに神経を使わない。


いつも野暮ったい服をまとい、結構イケてるルックスなのに化粧もしない。


「でも優しい男の人っていいよね……」


繭子はまた頭をポンと叩き正気に戻って、だめだ、だめだ、おっ男?あたし男に囚われてるの?


うっそー!マジ?……戸叶英輔さんに惹かれてるの?


「うっそー!」また声を出してしまった。


繭子はスケッチブックを閉じ、スマホでLINEを見る。


「え!ええ!えー!何これ?」


画面一杯に絶賛の嵐。


「シェー!繭子についに恋人ができた!」


「繭子好きな人できたんでしょ?」


「堅物、繭子やっと春が来たね」


「おめでとう、涙くんさよなら、涙くんこんにちは」


なんだ、なんだ、なんで漏れてんの?ヤバいよ……まさか佐久間先生が?……あのお喋り親父、あれほど釘差しといたのに!畜生!」


繭子は昭和記念公園を後にして、立川駅ビルの喫茶店でカッカしていた頭を冷却した。


まあ、佐久間先生に思わず喋ってしまうくらい意識はしてるから自爆したのはあたしだ。


「あーアンニュイなあたし」


思わず漏れてしまう一言。


結局人生に退屈してるから異性との接近は相当な負荷というか刺激にはなる。


夕焼けの立川駅はいつも通り活気に溢れてる。




夜7時頃繭子は居酒屋を営んでる実家に戻る。


中野の辺境地にある小さな店である。


厨房では板前の源さんが動き回ってる。


母は店主をやってるが、店は大体源さんが切り盛りしてくれてる。


父は繭子が10歳の頃浮気して追い出されてる。


5、6年に1度帰ってくるが、まあ3時間くらいで母に追い出される。


「繭子、こういう乱暴な女になるなよ」とまあ説得力のかけらもない捨てゼリフを残していく。


母は51歳。父は54歳……髭を蓄えたまあまあのイケメンと言える。俳優によくいそうなタイプ。


女性にモテるのも分かるけどどうでもいいな、今のあたしにとっては……。


「ま〜ゆちゃん」


また来た勘違い40男。自称イケメン鹿野浩一郎40歳。


40のくせして30代のふりをして女を引っ掛けてるんでしょう。


確かに若く見えるし、誰の目から見てもイケメン。


「ま〜ゆちゃんってば」


なんかまとわりついてくる。40男がじゃれるな、まったく。


「鹿野さん、私みたいに野暮な女よりもっと可愛い女の子いるでしょ」


「何言ってんのさー1番可愛いのは繭ちゃんさー」臆面もなく言いよる。


「あたしなんか褒めても何も出ないわよ」


「俺と結婚しない?」ほらね、こういうこと平気で言う男なんだからね。ムシ、ムシ。


「ねえ源さんこの人出禁にしようよ」繭子はそう言って奥に入る。


2階の彼女の部屋は7畳。物持ちではなく、部屋は質素だ。


繭子はベッドに横になりため息をつく。


「あ〜アンニュイなあたし」


認めたくないが、戸叶英輔の顔ばかり浮かぶ。


「あたし重傷だ」


2020(R2)7/14(火)





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