4-03 成就

 崎村とはちょくちょくやり取りしていて、たまに男女の関係ではなく友人として飲みに行ったりもしていた。崎村にとって、愛琉は妹のように気になる存在だと言っていた。そして崎村は、愛琉のリハビリの3年間、土、日曜日のどちらかで暇を見つけては清鵬館宮崎高校の練習風景を観に来ていた。

 甲斐教頭の情報は、本来はオフレコ情報らしいのだが、この際仕方あるまい。女子の野球指導者としての心得を教授してもらわないといけないと思って、繁村は相談した。

『え!? まじでまじでまじでまじで……!? 宮崎に女子プロ野球チーム!? そこに愛琉ちゃんが行くの!? 繁村くんが初代監督!? え? え!? えーっ!? 本当なら超おめでとーじゃん!!』

 崎村は盛大に驚く。声が大きすぎて思わず繁村は受話口から耳を遠ざけた。

「あんま、大きな声で驚かないで下さいよ、オフレコ情報らしいんですから」

『あ、でも大丈夫だよ。いま家に一人なんだし』

「それならいいんすけど。で、どう思います?」

『結論からすると、もうやるっきゃないでしょ。繁村くんが務まるかどうかじゃなくて、繁村くんしか務まらないんよ。この一大プロジェクトを成功させるのは』

 もっと崎村なら、たんのない意見、悪く言えばダメ出しを連発されるのではと思っていたが、少し意外な答えだった。崎村は続ける。

『だってさ、愛琉ちゃんは監督の下でプレーしたいんでしょ。愛琉ちゃんのづなは繁村くんしか握れない。じゃ、決まりでしょ』

「そ、そうですかね。でも心配ですよ」

『私はね、繁村くんが愛琉ちゃんをはじめとする新チームを引っ張っていくところを見てみたい。繁村くんなら上手くいくと思う。繁村くんは控えめだから自分ではあんま気付いてないようだけど、繁村くんが思う以上に指導力があると思ってる。女子の指導経験が少ないとかは実は二の次で、やはり人間性で選手がついていくかどうかが決まると思う。そういう意味じゃ、繁村くんは女子相手でもばっちり適性があると、私は思うな』

「ありがとうございます」素直に礼を言った。

『あ、でも一つだけ、女子相手にどぎまぎしすぎるところがあるからそこだけは直して』

「……」否定できないウィークポイントを指摘された。

『分かったかな』

「はいっ!」

『上出来、上出来』受話口越しに崎村が笑っているのが分かる。さらに崎村は続けた。少し落ち着いたトーンで。

『でさ、愛琉ちゃんとの関係はどうなの?』

「関係って?」

『も! 関係って言ったらアレしかないでしょ!? コクったの?』

 コクるって聞いて、かーっと顔があかくなる。

「コクってないっすよ! だって教え子ですよ」

『教え子でも愛琉ちゃん21歳でしょ? 愛琉ちゃんは繁村くんのこと待ってるし、放っといたらあんな絵に描いたようなスポーツ美女、年俸の高いプロ野球選手の誰かにナンパされて獲られちゃうよ』

「いや、しかし、監督と選手の関係になったら、そんな関係になれないでしょ!?」

『そこは上手くやるの!』ピシャリと崎村は言う。『私だって繁村くんのこと……、その……、す、好きなんだけどさ、前にも言ったじゃん。私は愛琉ちゃんがダメだったときのリリーフ登板でいいって。愛琉ちゃんのことを考えると、繁村くんと結ばれて欲しいと思ってる。愛琉ちゃんが自分の意志で繁村くんをフらないと、私は納得できないよ』

 よく分からない女子の感情の機微を、繁村は理解できないが、21歳になった愛琉は美しさに磨きがかかっていた。メイクの影響もあるのかもしれないが、女子から大人の女性に変わっていっているのは感じていた。率直な話、愛琉のことを恋愛対象に見ていないと言えば嘘になる。

 崎村に、他の誰かに獲られるかもと言われると、より愛惜しくなる。情けないことに。

 崎村はさらに追い討ちをかける。

『正式に選手と監督となってから付き合ったら、監督としての資質を問われるかもしれないけどさ、先に付き合っちゃえば既成事実なんだから、罪じゃなくなるよ』

 でももしフられたらどうする。

「もしフられたら、いざ選手と監督の関係になったとき、やりにくくないか?」

『安心して、愛琉ちゃんは絶対断らないよ』

「……」

『同じ野球女子として分かるんだ。愛琉ちゃんは絶対断らないよ……』

 崎村の最後の言葉は、少し涙ぐみながら言っているような気がして戸惑った。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 入団が決まって約1週間後、繁村は愛琉を呼び出していた。ファッションに無頓着な繁村が持っている洋服の中でもいっちょうまとって、宮崎市のたちばなどおりのスターバックスで待ち合わせている。

「どうしたんです!? 監督。学校以外にアタシを呼び出すなんて」


 あの日の崎村との電話以来、急激に愛琉のことが愛しくなった。愛琉がいままで近くにいたけど、そして女子プロ野球の監督になれば引き続き近くにいるわけだけど、それでも愛琉がどこか遠くに行ってしまうような気がした。そうしたら、後悔せずにいれるだろうか。恋愛に痛いほど鈍感な繁村が、自分の恋をはじめて自覚したのだ。


「今日を呼び出したのは他でもない、あのな……」

「あ、アタシがプロになったときのチーム構想ですか!? 聞かせて下さい」

 この愛琉という女子も脳みそが野球で組成されているのかというくらい、思考が偏っている。ずっこけそうになった。

「いや、あのね。まだ新チームに誰がいるかも分からないし、まだ監督になるって正式な返事は出していないんだから。それにそんな話、スタバでしないでしょ?」

 繁村にとってスタバはオシャレで敷居の高い場所だ。21歳の女性を誘うのに格好がつく場所として考え抜いた場所なのだ。それを愛琉は見事なまでに察してくれない。

「ええ? そんな、まだ返事出してないんですか? アタシは監督の下で野球したいんです。これまでも、これからも」

 その言葉を改めて聞けて嬉しかった。特に自分が愛琉への恋心を自覚してからは。

「一つだけ、条件がある」

「え、えっ、何ですかっ?」

 繁村はピシャリと言う。急に居住まいを正した繁村に愛琉は困惑を隠せない。

「お、俺と、つ、付き合ってくれませんか?」

 恥ずかしくて顔から火が出そうだったが、何とかこの言葉を言い切った。


 しかしながら愛琉は、「えっ!」と言う。ダメなのか。自分じゃダメなのか、と心の中で問う。

 その後の10秒ほどの沈黙が待ちきれず、しびれを切らして繁村は問うた。「……お、俺じゃダメなのか?」

「か、監督、一旦外に出てくれませんか?」

 発言の意図が分からない。言われるがままに繁村は愛琉とともに路上に出た。

 そして次の瞬間愛琉は思いがけない行動に出る。勢い良く繁村に飛びつき、人目をはばからず抱きついたのだ。

「な、何、何だ!? やめてくれ!」

「監督、嬉しいです! アタシはずっと監督のこと大好きだったんですよ。どれだけこうしたかったことか」

「でも、ここじゃ恥ずかしい。離してくれ……」

「離しません! アタシが監督のミットで受け止めて欲しいのはボールだけじゃありません。アタシの想いも受け止めて欲しいんです」

「で、でもここではやめてくれ。生徒がいるかもしれないだろう」

 道ゆく人は、異様な光景を奇異な目で見ていて、顔は紅潮しっぱなしだったが、愛琉が想いに応えてくれたことが嬉しくてたまらなかった。

 後日知ったのだが、愛琉にとって繁村は初恋の相手であり、一途に想いを寄せていたのだそうだ。出会って6年越し、いや最初に出会ったのは愛琉が幼少の頃だったので約15年越しの初恋を成就させたことになる。

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