3-52 気丈

 球速表示は95km/ hのその球は見事にストライクゾーンを捉まえたが、その軌道は極めて不規則に揺れ打者を幻惑した。

「ひょっとしてあれ、『運玉』か?」

「よくご存じで」

 『運玉』はナックルと呼ばれる球種。テレビ局が取材のときにそうネーミングされた。岡田は放送を観てくれていたのだろう。

 無回転で放られるので、ボールが不規則に揺れる。右に曲がったと思ったら左に戻ってきたり、急に浮き上がったり、その変化は投げている本人ですら分からない。

 当然、そんな球をキャッチャーが捕球するのは容易ではない。プロでも高校野球でもナックルを操る投手は少なく、繁村自身捕球するのは初めてだった。


「岡田選手は、直球も変化球も軌道を読むのに長けているのなら、軌道が読めない『運玉』を投げればいいんです」

 愛琉はそう耳打ちした。確かに三振が少なくミートが巧い岡田の長所を、唯一消すことができるのはナックルだろう。しかし、実戦で投げたためしがないボールを、プロ相手に放るなんて、無謀すぎると思ったのだ。

 しかし、ちゃんと決めてくるなんて愛琉の投球技術とメンタルの強さに脱帽する。


「2球目も『運玉』ですよ」

 繁村は岡田に予告した。

「いいねー。実はナックルボーラーと対戦したことがなくてね! ぞくぞくするよ」

 ナックルはその特性から唯一球種を読まれても大丈夫なボールである。

 愛琉が先ほどと同じモーションから、今度は浮き上がるように変化するボール。繁村は辛うじてファウルにした。

「いやー、これがナックルか。これ速球とスローカーブと組み合わされたら、ひとたまりもないな」

 岡田は珍しく弱気な発言をしている。

 3、4球目は外れるも、5球目は、少し速めのナックルが見事にストライクゾーンに放り込まれ、岡田は手が出ず見逃し三振となる。

 また球場が大いに盛り上がり、3アウト交替となった。繁村はとにかくパスボールをしなかったことに安堵する。


 次は六回裏。釈迦郡からだ。愛琉のピッチングは光っているが、1-2と負けている。そろそろこのあたりで点を入れたいところ。しかし、三番の坂元、四番の栗原が連続ヒットで出塁するも無得点に終わる。普段はラッキーボーイ的な存在の釈迦郡は、珍しく今日は良いシーンがない。

 七回表は、五番の吉澤からだ。吉澤もまたファインプレーにも阻まれ打撃で良いところがない。プロに進む選手としてこれで終わるわけにはいかなかろう。1位で指名されたプライドが黙っちゃいないだろう。

「さぁ来い!」

 吉澤にはいままで通りストレートと『フェニックスカーブ』を主体とした攻めで挑むが、吉澤自身、目と身体が慣れて来つつある。ファウルも良い当たりが多くなって来ている。5球目、140 km/hの渾身のストレートだったが、やや甘めに入る。吉澤は狙っていたか。巧くバットを振り抜くと、レフトのライン際に痛烈な当たりが出る。ツーベースヒットだ。

 0アウト二塁。下位に向かうとは言え、強力打線の大阪黎信相手では、状況的にかなり得点を入れられやすい場面である。

 六番の右打者を迎えるに当たって、吉澤のリードがやけに大きいことが気になる。吉澤はスラッガーによくあるガタイの良さを誇っているが、横山によると実は盗塁も甲子園大会で決めている。体型に見合わずと言ったら失礼だが、俊足らしいのだ。

 三盗を狙っているのか、と即座に思った。千葉ロッテの首脳陣も観ているかもしれない前で、守備や打撃だけでなく脚力でもアピールしたい気持ちもあるだろう。昔、赤木の走塁を刺した捕手から盗塁を決めたとなれば、印象は良いだろう。

 ならば、2球目当たりピッチアウトで様子を窺うことにした。愛琉には抜群の速球でアウトコースに投げさせる。それが功を奏した。吉澤は走ったのだ。

 しかし、繁村はすでに捕球とともに送球の体勢を取っている。『速投そくとう』と呼ばれる動作を極限まで速くした高校時代のあの動きが無意識に蘇る。吉澤のスタートも素晴らしいものがあったが、泥谷のグローブにボールが届いたときには、身体1つ分の余裕があった。盗塁失敗で追加点のピンチを防いだ。

「監督! ナイスです!」

「1アウト!」

 まだ、ツキは清鵬館宮崎にもある。六番の長谷はせがわ、七番の瀬戸を打ち取り結果的に3人で切り抜けた。


「愛琉、大丈夫か?」

「全ッ然、大丈夫です! 九回完投でも行けますよ!」

「いや、七回までだ」

 どこまでも元気で気丈だ。愛流には緊張とかプレッシャーを、エネルギーに変える特殊な内燃機関でもあるのか、と思ってしまうほどだ。

 続くは、六番の下水流からだが、代打攻勢もそろそろありかと思っている。

「銀鏡、行ってみないか?」

「か、監督!? キャッチャー、ギンナンに代わるんですか?」

 慌てて言って来たのは愛琉である。

 本音を言えば、繁村はかなり疲れていた。18年ぶりの試合、キャッチャーという試合においてピッチャーの次に疲労が大きいポジションで、プロ相手のプレッシャー、マスコミの存在。代わってもらえるなら代わってもらいたいものだが、愛琉の必死の訴えで、うん、と答えるのが阻まれる。

「あ、いや、赤木も岡田も、俺に出て欲しいって言ってるし、そのつもりはない」

「それなら良かった〜! さぁ、ギンナン、ホームラン打ってこいよ!」


 ホームランではなくて、まずは先頭打者らしく出塁してくれと思ったのは、繁村だけだろうか。

『六番、しも水流つるくんに代わりまして、銀鏡くん。バッターは銀鏡くん』

「え、アイツの名前、『すいりゅう』じゃなくて、しも水流つるって言うのー!?」

 愛琉の爆弾発言に、ベンチの選手一同がずっこけたのは言うまでもなかった。

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