3-53 果敢

 銀鏡はレギュラーで張っていた選手。夏までは二番、三年生が引退してからは主に三番バッターを担っている。線は細いが、俊足でミートが巧い。加えて愛琉が投げている、というところで一発打ってくれないだろうか。

「ギンナン! 行けー!」

 愛琉が声援を送る。追い込まれながらもフルカウントまで持ち込み、2球粘った後、フォアボールを選んだ。さすがだ。最低限の仕事はしてくれる。

「こら、ホームランぶっ放せって言ったっちゃろ!」

「愛琉先輩、すみません」

 味方からの野次に銀鏡はしゅんとしている。次は鬼束だ。

「よし、浜砂はますな、行ってみよう!」

 代打攻勢だ。浜砂は三年生が引退してからはライトに入っている。実戦経験をつけて、遅咲きながら最近伸び盛りの選手だ。

 しかし、浜砂は三振に打ち取られてしまう。浜砂は大いに悔しがっている。


 そして、愛琉が左バッターボックスに入る。バッターボックスに入る前に2、3回素振りをしたが、空を切る音が聞こえるくらい鋭かった。先ほどはライトへの大飛球を放った愛琉にバッテリーも警戒気味だ。

 応援席からは『サウスポー』が流れる中、投じた初球。サインなしでスチールを許されている銀鏡は狙っていた。

 愛琉に集中するあまり、ランナーには無警戒だったか。バッテリーの隙をつく盗塁は、愛琉の盗塁を助ける空振りも邪魔して、吉澤の送球を諦めさせるほどのものだった。

 今度は一転してランナー警戒のバッテリーに対して、愛琉が二遊間に渋いヒットを放つ。愛琉の今日初のヒットに球場が沸く。ランナーコーチを担っていた横山は手を回しかけたが、すぐにストップに切り換えた。センターは赤木。レーザー光線のようなバックホームで、俊足の銀鏡の生還を諦めさせ、愛琉のヒット以上に歓声が起こった。

 

 一死ランナー一、三塁というチャンスで、また繁村に回って来た。通常なら一塁ランナーには二盗を指示することもあるが、一塁ランナーはピッチャーの愛琉だ。無理をさせたくない。

 しかし、初球に何と果敢にも愛琉は盗塁を仕掛けた。ダメだ、と思った。一応わざと空振りをしてみるが、吉澤から二塁に好送球が送られる。女子にしては足が速い愛琉だが、ドラフト1位捕手の前でアウトを喫してしまう。

「ギンナン、走れよ! お前が走ってピッチャーがカットして挟まれれば、上手くいけば2人とも生き残れたっちゃろう!?」

「そんなぁ」

 この無茶ぶりに銀鏡は弱音を吐く。愛琉はアグレッシブすぎて銀鏡の想定を超えていたらしい。銀鏡に思わず同情した。

 しかし、同情ばかりもしていられない。繁村はいまバッターボックスにいる。何とか生還させたい。フルカウントまで粘り、城座に少しでもプレッシャーをかける。そして7球目でバットはボールを捕える。感覚的にはレフトへのタイムリーヒット、のはずだった。サードの岡田が、巨体から想像できない忍者のような横っ飛びで、ライナーをノーバウンド捕球した。球場がまたどよめき、この回も残念ながら無失点で終わる。

「レギュラーシーズンだったら、俺、こんなプレーなんてできなかったかもな!」そんな冗談を岡田は言っていた。


 次は七回表。いよいよ愛琉が登板する最終回となる。銀鏡はレフト、浜砂はセンターに入れた。銀鏡ははじめ練習でもあまりやったことのないレフトに拒否反応を示したが、愛琉に一喝されレフトにつく。

 この回、八番の城座、九番の汐見、そして一番の赤木監督に回るのだが、最後の愛琉は光っていた。今日いちばんの輝きではなかろうか。疲れなんて何のその。無駄な力をまったく感じさせない流麗な投球フォームから放られる速球。まさにフェニックスの枝垂しだれを髣髴ほうふつとさせるようなキレのあるスローカーブ。打ち気にはやる打者の真芯を外すシュート。どれもバットを当てるのがやっとの一級品だった。

 八、九番は二者連続三球三振であった。

 一番の赤木が左バッターボックスに入ると、先ほどの打席のホームランのことなんて忘れたかのように顔つきが先ほどと違う。

 初球は144 km/hの直球がアウトコース低めギリギリに決まる。見事なクロスファイアだ。初速と終速の差が少ないのか体感的には150 km/h以上に見える。2球目は72 km/hのスローカーブがアウトコース低めに決まる。球速差が72 km/hなんてプロでもメジャーリーガーでも翻弄される。赤木は2球とも手が出ない。

「嶋廻さん、ギアチェンジしたのか?」

「メグルの限界は俺も未知数なんです」

「こんな投手が女子Wワールドカップで登板したら、間違いなく金メダルだよ」

「ありがとうございます」

「絶対、野球を続けてもらって下さい。膝ついて頭下げてでもお願いしますよ」

「分かりました」

 3球目も右脚を高く蹴り上げ溜息が出るほど華麗なモーションから、今度は110 km/hのシュートが投げられる。先ほどの超スローカーブからの球速差で球速以上に速く、また軌道の変化はバッターの手元近くで起こるかのような錯覚に陥る。赤木はやっとの思いでバットに当ててファウルにする。

 先ほどベンチで、最後の赤木の打席で『運玉』のサインをどこかで出して欲しいと言われた。4球目でそのサインを出す。

 今度は98 km/hの『運玉』ことナックルだ。浜風に揺られ、左右に行ったり来たりゆらゆらとした軌道にも関わらず、完全に無回転で縫い目はくっきり見える。

 赤木は少し腰を引くが、ボールはストライクゾーンに戻って来て見逃し三振に喫した。あまりの変化に捕球できるか心配になったが、何とかミットの中に白球を収めた。3アウト交替。

「この打席は完敗でしたよ」

 赤木は愛琉と繁村と主審にヘルメットを脱いでそれぞれ一礼した。球場の歓声はいっそう大きくなった。


 そして七回裏の攻撃。

「愛琉の出番はこれで終わりだ。でも試合は続く。本音を言えばここで逆転して、リードした状態でリリーフしたい。この回はチャラごーりからだな。出塁して来い!」

 思わずニックネームが浸透して『チャラごーり』と言ってしまい、緊迫感が欠けてしまったかと反省した。しかし「おいっす!」と、釈迦郡は威勢良く返事した。

「行ッけー! ちゃらー! アタシが投げてんだぞ! 気合いだ! 気合いだ! オウ! オウ!」愛琉は叫ぶ。かの女子レスリング選手のお父さんのような応援のようなかけ声は、女でいることを忘れているのか。

 しかし、ある意味単純な釈迦郡はそれがエネルギーに変換される。

 サード方向もセンター方向も望みが薄いので、ライト方向に思い切り引っ張った。ファーストの頭上を越えるライト前ヒットとなった。凡庸なシングルヒットだったが、大阪黎信ナインは大いに嫌がった。ランナーが釈迦郡だからだ。

 二番の泥谷に1球投じるまでに3球も牽制する。しかし泥谷に投じた初球で釈迦郡は走った。強肩の吉澤だったが、ボールが二塁に到達したときには既にスライディングをして起き上がっているほど、余裕のセーフだった。

 泥谷は2球目でセーフティーバント試みる。泥谷は大学でも野球を続けるので、要求の高いサインをした。ランナーを賑わせ一気に逆転したい。ファースト方向の絶妙なところに転がした。ファーストはラインを割るかと思って見送ったが、ファウルにはならず、何と0アウト一、三塁のチャンスを作る。

 そうなったら、すぐにでも泥谷に盗塁のサインを出す。二、三塁の方が形勢はぐっと有利になる。あわよくばキャッチャーからの送球が高ければ、釈迦郡はホームに突入するだろう。泥谷は初球から走った。キャッチャーからのボールは三塁走者の釈迦郡警戒で、ピッチャー城座がカットした。

 続く三番の坂元はフォアボールを選ぶ。四番の栗原を前に満塁策は得策ではないが、この勢いがフォアボールにさせたのかもしれない。

 四番の栗原にも城座は投げにくそうにしている。押し出しで点が入るかもしれないシーン。置きにいったボールを栗原がうまく合わせる。大きな当たりが飛ぶ。犠牲フライには充分だが一つ気になるのは打球の方向がセンターということだ。赤木は捕殺も得意としている。充分に後ろに下がったところから俊足を活かして勢い良く前進し、捕球した瞬間ミサイルのようなバックホームを正確な位置に投げる。

「釈迦郡、待て!」

 三塁ベースコーチの横山が慌てて止める。釈迦郡はハーフウェーまで行き、急ブレーキをかけて三塁に引き返した。こんな超一級品のバックホームでは釈迦郡でも生還は無理だろう。球場は再三どよめいた。

 そして、五番の泉川は、サードに鋭い当たりを飛ばすも、ここは岡田の鉄壁の守備。ライナーをきっちり捕球する。釈迦郡も他の走者も慌てて帰塁する。

 あっという間の2アウト。バッターは銀鏡。守備で銀鏡を交替させなくて良かったと思った。

「君が次に叩く1回で壁は打ち破れるかもしれないんだ!」

 愛琉は、熱い応援で有名なテニスの名プレイヤーのような声かけをしたが、誰も突っ込まない。そして銀鏡も愛琉の言葉に素直に反応する男だ。

「ハイ! 打ち破ってきます!」

 そう言って勢い良くバッターボックスに走っていった。


 そしてその初球だった。信じられない光景が繰り広げられた。


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