3-51 二重

 赤木のヘルメットに当たる音が聞こえた。

 場内が騒然となる。高校野球では、故意に頭部に投じないと判断されない限り危険球退場にはならない。そもそも練習試合なので、危険球退場という概念はないのかもしれないが。


 愛琉は帽子を取って謝っている。しかし、赤木は痛がっていない。

「だ、大丈夫ですか?」

つばに当たったので、痛くないです。それより……」

 審判はデッドボールを宣告しているが、歩こうとしていない。

「あの、いまのボール、僕、避けなかったので、デッドボールにはならないです。ボールにしておいて下さい」

「いいんですか?」審判と繁村の声が重なった。

「ぶつけてもいいくらいの気持ちでと言ったのは僕ですし、これが原因でイップスになってもらっても困るんで良いです。ナイスな攻めですよ」そう言って、バッターボックス上に留まっている。愛琉もきょとんとしている。

 確かに避けている素振りは顕著でなかった。しかし、審判がデッドボールを宣告している以上、儲け物だと思って、敢えて自分が不利になるようなアピールプレーはしない。

「さ、2球目も同じくらい元気な球を、僕に投げてくれ!」

「オッス!」もう一度帽子を取って、男のような返事をすると、また右脚を高く上に挙げた。

 2球目は、先ほどと異なり外角いっぱいのストレート。ぎりぎりでストライクになる。

「元気な球! いいぞ!」

 このままストレートを投げると思わせて、3球目はスローカーブ。惜しくも外れ、赤木はバットを振るのをこらえた。

「あぶねー。思わず手を出すとこだったよ」

 2ボール1ストライクからの4球目。今度はストレートを要求。ど真ん中に速球が入った。

「来た!」

 赤木は一気に振り抜くと、ライト方向に大きな当たりが飛んでいった。栗原が下がる。しかしフェンスまで到達した。先ほどの赤木に負けないかと言わんばかりにフェンスによじ登るが、栗原の頭上遥か上を通過していった。

 ソロホームラン。赤木はプロ野球時代、ホームランバッターではなかったが、引退を促した球団首脳陣が悔しがるような見事なホームラン。球速表示は今日最速の145 km/hだった。


 球場はデッドボールによる進塁を辞退した紳士な対応……からのホームランと、四捨五入すれば150 km/hとなる速球とに、二重にどよめき、大歓声が起こっている。愛琉は球速よりも打たれた方がショックで「赤木さんに騙されたー! デッドボールで歩いてくれた方がマシだったよぉー!」などとわめいている。

「落ち着け、愛琉。去年までプロの選手だ。気にするな」繁村は愛琉を宥めた。

「ボールはめっちゃ速かったよ。間違いなく150 km/hに見えたよ。投げる前からストレートだと決めつけないと、振り遅れてたよ」とフォローする。


 それでも悔しさの反動からか、二番、三番をなんと二者連続三振にした。ややボールが荒れたが、球速以上に見える140 km/h台のボールを巧く振らせた。しかし力む必要はないのだ。

 2アウトランナーなしだが、ここで迎えるのは岡田だ。これ以上に力む可能性があるので、繁村はマウンドに向かった。

「自分の投球をしろ。力む必要はないんだ」

 そう指示すると、意外な答えが返って来た。

「はい、ちょっと力みすぎてました。でも、岡田さんには違う攻め方をします。ストレートもカーブも打たれるなら、あれしかありません」

「あれ?」

 愛琉は耳打ちをしてきた。その内容に驚く。

「まじか? あれで行くのか? 大丈夫か?」

 大丈夫か、という問いには、愛琉に対するものと繁村自身へのものと二重の問いかけが含まれていた。


 岡田がバッターボックスに向かう。最初の打席は直球をホームランに、2打席目は『フェニックスカーブ』をフェンス直撃の2ベースに打ち返している。愛琉の球種はストレートとスローカーブ、あとはシュートも投げるがそこまで多投はしない。しかしもう1つ秘密裏に練習して来た奥の手があった。試合でもまだ投げたことがないあのボール。


 最初は、デッドボールになったらどうすると言って、辞めさせようとしたが、「大丈夫です。ギンナンを座らせて投げまくったので、絶対打ち取ります」そう言って効かない。

 浜風は程よく吹いている。さて吉と出るか凶と出るか。

『四番、サード、岡田くん』

「『くん』付けなんて18年ぶりだから、何かやっぱ気恥ずかしいけど、でも高校時代を思い出していいもんだなぁ」

 岡田は野球が楽しくてしょうがないのか、そんな呑気なことを言っているが、繁村はそれどころではない。

 即席で決めたサインを出す。しかし自信のない繁村は、思わず立ち上がる。

「敬遠??」そんな声が漏れ聞こえて来た。

 誤解だ。練習試合で相手は忙しい中予定を割いてくれた岡田。敬遠なんてできようはずがない。現に、繁村は立ち上がっているだけで、ホームベースからは離れていない。

「行ッきまーす!」

 愛琉が、練習の成果を見せようと、左脚を高く蹴り上げる。

 そして、気持ちぎくしゃくした投球フォームから、ストレートでもスローカーブでもシュートでもないボールが放られる。


「な、なんじゃこりゃ!?」

 岡田が思わず目を見開いた。繁村は立ったまま、何とかそのボールを捕球した。




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