3-50 鬼才

 女子の愛琉にとって野球のヘルメットはSサイズでもぶかぶかである。野球帽の上にヘルメットを被っている。

 野球をやっている女子は、特にピッチャーをやっている女子は、下半身が鍛えられてがっちりしているが、愛琉はさほどガタイが良いわけではないし身長もさして高いわけではない。細身ながらそれとは裏腹のとんでもない速さのボールを投げる。きっと全身がバネのようになっていて、まったく無駄なく機能しているのだろう。それはバッティングにも活かされていて、女子硬式野球選手権ではサイクル安打も記録していたか。


 だからバッティングは期待できないわけではない。むしろ意外性のある渾身の一打を放ってくれるかもしれない。

 しかし、愛琉はホームランを打つ気でいる。愛琉は好打者だが、さすがにラッキーゾーンのなくなった甲子園で、それを打つのはさすがに難しかろう。

 バットの先をライトスタンドに向けて、「さあ来い!」って言っている。予告ホームランのつもりか。報道陣はパシャパシャとシャッターを切り、ブラスバンドの『サウスポー』の演奏も心なしか大きくなる。


 愛琉は、初球の城座のストレートを見送る。高めに外れボールになる。2球目もボール。やはり身長160 cm台前半の愛琉には、投げにくそうにしている。

 バッティングカウントから、置きにいったストレートを愛琉は思い切り振り抜いた。スイングスピードは男子顔負けのフルスイングは、ライトの頭上を越えようとしていた。

 しかし、ライトに守っている瀬戸が、先ほどの栗原のファインプレーに続けとばかりのダイビングキャッチで、フェンス間際の大飛球を抑える。

 セカンドランナーの下水流は楽々、三塁へタッチアップし、結果的には送りバントと同じになった。

 球場全体が歓声でどよめいた。

「くー、悔しいーっ!」

 ラッキゾーンがあったらホームランの飛距離だった。予告ホームランにはならなかったが、物凄い当たりだった。と言うか、愛琉はバッティングにおいても鬼才っぷりを発揮している。3年近くともにやっているのに未だに驚かされる。


 さて、ラストバッターは監督兼選手の繁村だ。二死三塁なので、スクイズも犠牲フライもない。タイムリーになるか凡退するか四死球で歩くだけだ。

 最初の打席ではバントだったので、ヒッティングは本日初である。と言うか、最近はノックばかりでしっかりしたヒッティングは本当にご無沙汰だ。念のためバッティングセンターにひっそりと通ったものの、人間が投げる生きた球とはまた違うだろう。しかも夏の甲子園の覇者だ。いくら18年前に四番打者だった繁村でも、筋力の衰えには抗えない。

 いまさらながら緊張する。チャンスの場面だから余計にだ。つとめてそれを出さないようにして、城座にたいする。

 改めて、この城座は、たとえ監督相手でも自分のペースを乱さずぽんぽんと投げる。最初の変化球、2球目の直球、両方ともストライクが決まる。ただ、愛琉の球に比べていかにも打ちやすそうな気がした。愛琉と球速はさほど変わらないはずだが、変化球との球速差、球の出所の分かりづらさ、ボールのキレと伸び、際どいところをつくコントロール。贔屓ひいきでなくいずれも愛琉の方が上回っている。

 打てる。そう思った。愛琉の球を受けていて、体感速度150 km/hと評された速球に目と身体が慣れてきていたのだ。

 3球目を思いきり振った。しっかり捕えた感覚。よし行った。打球は勢いよくセンターのややレフト寄りに飛んでいく。ホームランかもしれない。高校時代、繁村も何本かホームランを放ってきたが、久しぶりにその感覚が蘇る。

 センターの赤木が懸命に追いかける。もともと深めに守っていた赤木が俊足を活かし、あっという間にフェンスに到達する。しかし彼は諦めていなかった。何とフェンスによじ登っている。

 まさか、と思った瞬間、赤木は飛躍した。同じ36歳とは思えない身軽さで空高く跳躍し、ここしかないというタイミングで腕を伸ばすと、グラブに打球が吸い込まれた。着地してなお、打球を把持して離さない。

 再び球場がどよめく。間違いなく好プレーとしてテレビで紹介されそうな、美技であった。

「まじかぁ!」

 ガッツポーズの用意までしていた繁村は、ヘルメットを取って頭を掻いた。3アウト交替。センター、そしてサードに打ったら、望みはないことを痛感した。


 続いて六回表。愛琉の登板はあと2イニングである。この回の先頭打者は先ほど大ファインプレーを魅せたばかりの赤木だ。

 繁村は、戻ってレガースやマスクをつけているので、その間に、今日は控えの銀鏡杏悟が、一時的に愛琉の球を受けている。

「ナイスボールっす!」愛琉の大ファンの銀鏡は、嬉しそうだ。

「当たり前っちゃ! 今日は150 km/h出すと!」

 さすがにいくら何でもそれは無理だろう、と繁村は心の中で呟いた。


 ようやく準備ができて、ボール回しを終えると、赤木がやって来た。

「赤木監督じゃなかったら、ホームランでしたよ。あれは。あんなプレーする人、プロでもなかなかいないです」

「ありがとうございます。引退するの早かったですかね?」

 赤木はそう言ってはにかんだ。


 赤木は、引退前の数年は、若手の台頭にレギュラーの座を譲った。代打、代走、守備固めなどで出ることもあったが、代替わりを目指すチームの構想に、赤木は入らなかった、と何かの記事で見た。

 こんなにも美しいプレーをする選手でも、年齢を理由にチームを去らざるを得ないプロの厳しさに、思わず溜息が出る。ひょっとしたら他のチームからお声がかかった可能性もあったが、赤木は指導者としての道を決意した。しかも学生野球として。

 プロ野球でのコーチなど、もっと良い活躍の場があっただろうに、思い切った決断だろう。しかし、いま高校野球の指導者で、1年目でしっかり甲子園優勝を達成するのは、なかなかできるものではない。やはり赤木という人物は凄い。人格的にも優れていると思うし、同い年ながら尊敬に値する。


「赤木監督、お願いします!」愛琉が大きな声で挨拶をする。

「よし、ぶつけてもいいくらいの気持ちで、かかって来なさい!」

「はい! 分かりました! ぶつけるつもりでいきます!」

 いや、ぶつけちゃダメでしょ、と繁村はすぐに心の中で呟いた。

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