3-49 恩義

 三番の坂元、四番の栗原、五番の泉川は残念ながら、城座の前に沈黙したが、泥谷のホームランで試合は振出しに戻った。早くも五回表に突入する。いまのところ大阪黎信に互角の戦いができている。

「愛琉、大丈夫か? 疲れてないか?」

「監督、まだ五回ですっ! 全然いけますよぉー!」

 愛琉は見くびられていると思われたのがしゃくだったのか、ふくれっ面を見せた。

 男子相手、夏の覇者相手、プロ相手、マスコミ参入、大応援団の衆人環視、甲子園球場、そして監督がキャッチャー(というのは入らないかもしれないけど)。緊張する要素が満載で、ただの練習試合と同じ精神状況で戦えるわけはなかろう。繁村自身、久々の試合ということもあるけど、既に体力の7割近く消耗している。

 愛琉はここまでホームランの1失点に抑えているし、大阪黎信もマスコミも愛琉の投球を楽しみに来ているのだから、ここで特に理由もなく降板させるわけにはいかない。しかも、当人には悪いが、薬師寺や都留は、この雰囲気に呑まれて本来の投球ができないような気がしていた。


 大阪黎信は六番から。愛琉の球威は決して衰えていないが、若干コントロールが甘くなりつつある。そしてそれをみすみす見逃すほどこのチームはじゃない。

 六番は打ち取ったものの、七番の瀬戸せとには三遊間をしぶとく抜かれた。八番の城座はバントの体勢である。

 このままバントを決められると得点圏にランナーを進めることになる。九番打者は、今日は九番だが、確か夏の甲子園の初戦でホームランを打っていた侮れない打者である。一番は赤木なので歩かせることもしたくはない。さらには、ランナーの瀬戸は、普段はセンターを守る(今日は赤木がセンターなのでライトにいるが)俊足の選手である。


 愛琉が投げると、坂元がチャージを仕掛ける。愛琉もチャージする。初球は外れてボール。2球目もボール。やはりランナーとバントを警戒しながらの投球は、愛琉に絶対的に経験値が少なく、投球に意識を集中させられないような気がした。

 そして、投げては全速力でマウンドに駆けるので、体力の消耗が心配になる。いっそのことど真ん中に投げさせようか。そうした方が多少外れてもストライクになるかもしれない。

 しかし続く3球目はど真ん中ストレートだった。城座はショート寄りの方向にバントの打球を転がした。愛琉は狙っていた。

 何と捕った瞬間、俊足のランナーにもかかわらず、右に身体を回転させながら迷わず二塁に投げた。セーフではフィルダース・チョイスとなり、一死一、二塁となってしまい赤木にも打順が回る。

 ただ、愛琉の送球は、ピッチングに劣らない速さで、ショートの泉川が捕球した瞬間にタッチプレーとなるようなところを狙って投げている。タイミングは絶妙。

 二塁塁審は、0.5秒ほど間をおいて、アウトのジャッジをした。

 一塁は残念ながらセーフとなったが、愛琉のフィールディングの良さに舌を巻いた。二死一塁と二死二塁ではかなり違う。しかもランナーが俊足の瀬戸よりも、ピッチャーの城座である方が好都合だ。


 九番打者のしおは、先ほどはショートゴロであったが、2巡目に入り目が慣れて来たのか、タイミングが合い始めている。ファウルにはなっているが、強い当たりが増えている。

 『フェニックスカーブ』とのコンビネーションが効く打者とそうでない打者がいる。九番は効きにくい打者だ。上位に繋げる九番にこのような打者の存在は、なかなか厳しいものがある。

 フルカウントからの6球目はライト方向の大きい当たりになった。やや前進守備だった栗原は大慌てでバックする。2アウトなので走者は打った瞬間にスタートしている。頭上を越えてヒットになれば、一塁走者もホームインする可能性が高い。

 栗原は右腕を精一杯フェンス方向に伸ばしてダイビングした。打球の落ちるタイミングとドンピシャだったが、打球の勢いで身体が地面に落ちた。

 栗原は倒れたまま、右手のグローブを挙上させた。白球はグラブの先端だったが収まっている。3アウト交替。ヒヤリとしたが何とかこの回も無得点に抑えた。

 ファインプレーは続いているが、少しずつ流れが大阪黎信に向いていっている気がした。

「ありがと、栗ちゃん!」

「あれくらい捕れるわ。お前がメインで注目されちょるけど、俺だってドラフト指名受けた以上、恥ずかしいプレーはできん」そう言った後、一塁側のベンチを見やり、栗原は続けた。「──特に、恩師の岡田さんが観てるかい」

「そうやな。繁村監督のチームの卒業生は、一味違うって見せちゃらな。もうキャンプは始まっちょ」

「ああ、でも、お前には負けん」

 栗原は、オリックス・バファローズに、そして岡田に恩義がある。実家のホテルを再度キャンプに使ってくれたこと、そして一年前の栗原の暴力行為に対する処分を軽くしてくれたこと。

 栗原の両親は、栗原を後継者に考えていたらしいが、オリックスに指名されてことを受けて、全面的にプロ行きを応援してくれるようになったという。野球で活躍をすることで恩返しをする。そのダイナミックな目標への道程はまだ始まったばかりだが、栗原ならやってくれるだろうか。

「忘れちょるかもしれんけど、最初に野球部に勧誘したのはアタシなの、覚えちょると?」

 そうだった。ここで活躍する多くの選手が、愛琉が引っ張って来た部員なんだ。

「ああ、よく憶えてるさ。そして、俺は感謝の気持ちを伝えるのが大の苦手なんだ。何も言わないのが、俺のありがとうの気持ちだ」


 五回の裏は、六番の下水流から始まる。流れが大阪黎信に傾きつつあるので、簡単に終わって欲しくない。

 下水流は打撃に関して発展途上だ。ヒットを打つこともあるが、確実性がない。そして打ち取られるときは、相手が労せずに終わってしまうことが多い。

 城座のテンポに巻き込まれないように、タイムを取るだけでも、相手に負荷をかけることができる。同じ打ち取られるでも、どれだけ疲れさせるか、どれだけ嫌なバッターであると印象づけるかが、その次の打席、次の攻撃に繋がっていく。

 一年生の下水流は、教えどおりにタイムを取ったり、来たボールに喰らいつき、カットしてプレッシャーを与える。4球ファウルで粘った末、フォアボールを選んだ。

「よし、上出来だ!」

 鬼束にはバントのサイン。ここは初球できっちり決めて欲しい。その願いどおり、ファースト方向に素直な送りバント。派手さはないが、堅実なプレーをきっちり行うことはレギュラーの基本だ。


 そして、続くは愛琉だ。

「監督、どうします?」

 おもむろに愛琉は声をかけて来た。でも愛琉には、バント云々うんぬんではなくて、ヒッティングでランナーを進めてきて欲しい。バットを振るジェスチャーを送った。

「なるほど、ホームランを打てばいいんですね?」

 愛琉は満面の笑顔でそう返した。


「ホームラン!?」

 繁村は想像の斜め上を行く思わず返しに、ずっこけそうになった。

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