3-39 悪夢

 この夏最後のミーティングは、思いのほか明るい雰囲気だった。

 優勝を逃したのは残念だが、最大限の力を発揮して、優勝候補の筆頭とも言われる高校に勝利したのだ。

「みんな、そして繁村監督、ありがとうございます。アタシの夏は終わっちゃったけど、ここまで一緒にやってこれて楽しかったです。そして繁村監督のいる清鵬館宮崎で野球がやれたことがいちばん幸せでした」

 思わず泣けるようなことを言う。そう言う愛琉自身も涙を浮かべている。

 いつもポジティブで明るくて、しかし練習や試合になると男子や監督以上にスイッチが入り、部のボルテージを上げる。

 いま思うと、愛琉は部の誰よりも部のことを愛していたのかもしれない。一年生のときは女子である愛琉の存在を疎ましく思う者もいた。しかし、彼女は部への想いを行動で示し続けて、部の中で彼女の存在に異議を唱える者はいなくなった。

 しかし、安全性の理由で女子の試合の参加は認められていない。男子顔負けどころか甲子園に登場する高校のエースとしても活躍できそうな超弩級の実力を持つ愛琉が例外すぎるだけで、一般的な女子野球選手では男子の中で硬式野球をさせるのは危ないと思う気持ちも分かる。前例を作っていつか大きな事故が起きてしまっては取り返しがつかない、というのも理解できる。それだからこそ、近年女子野球が発展し、女子高校野球部を発足させる高校も増えてきた。

 始球式という場ではあったが、マウンドに立たせてもらったのは、旧態依然と揶揄やゆされてきた高野連の大きな進歩ではないか、と思う。本音を言えば、愛琉が甲子園のマウンドで男子をきりきり舞いにするところを観てみたかったが、充分良い夢を観させてもらった。


 キャプテン交代の儀式は18年ぶりに甲子園で行われることになった。新主将は銀鏡だ。レギュラーの大半が三年生のチームが新体制で邁進するのは並大抵のことではないだろうが、釈迦郡をはじめ控えの二年生の成長も目覚ましいものがある。


 余韻に浸っていると、赤木監督が来た。

 思い出話に花を咲かせたいところだが、大阪黎信は準決勝に向けて、清鵬館宮崎は帰る準備をしなければならないので、長話はできない。手短にと言って、赤木は用件を伝えた。その内容は驚くべきものだった。

「清鵬館宮崎さんとの試合は本当に良かった。でも一つだけ心残りがあって、御校の嶋廻さんの試合での勇姿が見られなかったこと。ですので、練習試合を組ませてもらえないでしょうか? いや練習試合と言っては変かもしれませんね。引退した子を出していただきたいのですから。引退試合と言うべきでしょうか。嶋廻さんの引退試合を我々に企画させていただき、その相手を我々に引き受けさせてほしいのです。詳細は甲子園が終わった後また電話等で相談させてほしいのですが……」

 突然すぎる申し出で非常に驚いている。赤木が愛琉のことをそこまで思ってくれていることに。

 嬉しい話だ。だが、いろいろとハードルがある。旅費の問題もある。愛琉自身の問題もある。

 監督の私情だけで言えば二つ返事なのだが、個人だけの判断で決められない問題だ。しかし前向きに検討したい。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 宮崎に戻る手続きをして、ホテルで寝るだけとなった。疲れは溜まっているが、心地良い疲れだ。ベスト8は胸を張れる結果かもしれない。いい土産話ができるのかなと思いながら、布団に入った。


 翌日、未だ甲子園の余韻を残しながら、帰路につく。宮崎までは長旅だ。バスの中で寝る者もいればゲームをしている者もいる。立派なプレーをしてもまだまだ高校生なのだ。その中でひと際テンションが高いのが、他ならぬ愛琉だ。

『あ、UNOウノって言っちょらん! ほらフトイ! 2枚取って!』

『公式ルールでは、UNOって宣言しなくてもいいって書いてあったっちゃ! 知らんと?』

 相変わらず、愛琉がいると部内は明るい。愛琉が引退すると思うと寂しい限りだ。そんなあと少しの部の明るい心地良さに浸っていたときだ。

『あーっ!!』

 突如、悲鳴というよりは叫び声が聞こえる。

『どうした!?』

 すぐに駆け寄ると、ある部員が倒れていた。何とさっきまで大声を出して遊んでいたはずの愛琉だった。痙攣発作か。いや、明らかにこれまでの発作より重篤だということがすぐ分かった。すでに身体は動いていない。

 咄嗟に脳動静脈奇形が破裂したと察した。

『すぐに、最寄りの救急病院へ!!』

 バスはすぐに高速道路を降り、近くの救急病院に向かった。到着するなりすぐに救急外来に運ばれる。しかし、愛琉は動かないままだ。

 緊急手術が施行されるも、数時間後、医師より無情にも愛琉が救命できなかったと告げられる。

 敗退したその日は8月22日。今日は8月23日。皮肉なことに愛琉の誕生日でもあった。享年18歳。

「愛琉ー!!」

 繁村は気付くと叫んでいた。その声とともに目の前の場面が切り替わる。暗闇だった。


 夢だった。とてもなく不吉な悪夢。大して暑くないはずなのにひどく汗をかいていた。心地良い疲れを伴ってぐっすり眠れると思ったのに、真逆の恐ろしい夢を見た。時刻は午前4時。日付は変わってすでに8月23日。

 思えば18年目の同じ日は、戦友、白柳卓の誕生日にして命日となった。忘れるにも忘れられない忌まわしい事故があった日だ。

 白柳と愛琉は性別こそ違えど、野球においても姓名の語感においても外見にしても共通点が多すぎて、さらには白柳が他界した日に生まれたことから、愛琉は白柳の生まれ変わりかと思ったときすらあった。それだけに恐ろしくなる。今日は愛琉の命日になるのではないかと。ひょっとしてすでに死んでいるかもしれないと。

 ただ、いくら監督とは言えど、不吉な予感だけで女子部屋に潜入するわけにもいかず、朝まで不安を抱えながら眠れない時間を過ごす。


 6時半、マネージャーの種子田たねだが起きて来たので、すぐに懇願して愛琉の状況を確認してもらった。

「何も変なことは起こってないですよ」

 どうやら、不吉な予感は、繁村の思い過ごしだったようだ。一安心する。

 しかし夢の中ではバスの中で異変が起こっていた。正夢にならなければいいが。


 しばらくして、愛琉がいつもと変わらぬ様子で起きて来たので、再度安心するとともに、愛琉に容態を確認した。

「最近は頭痛もないですし、おかげさまで調子はいいみたいです」

 屈託のない笑顔は、手術はしたくないと言っているようだった。


 それでも不安を抱えながら帰路につく。18歳の誕生日。愛琉にとっては祝福されるべき日のはずなのに、繁村はずっと愛琉に異変が起こらないことを祈る気持ちでいた。とても凱旋までの道程を楽しんでいる状況などではない。


 気付くと宮崎に入っていた。結果的に正夢にはならず杞憂に終わった。安堵するとともにどっと疲れが押し寄せた。試合の比ではないくらいに。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 引退した愛琉は部に来る必要はないが、部室の中の荷物の整理をしに学校にやって来た。

「愛琉! 大丈夫か?」

 すると愛琉は怪訝そうな顔をして、「大丈夫です。何かあったんですか?」と言われてしまう。

 愛琉からすれば何で心配されているのか分からないだろうが、心配せざるを得ない状況だ。しかしそれをわざわざ説明して愛琉を心配させるのは良くないと思った。


「あ、そうだ」と思い出したように案件を切り出す。部室の整理をしようと思っているのかもしれないが、まだ早い。まだほとんど未決定事項なのだから当人に切り出すのは時期尚早なのは分かっているのだが、何となく切り出さないわけにはいかなかった。

「あのな、赤木監督がな、ぜひ愛琉が投げる練習試合で戦わせて欲しいと言って来たんだ。引退した選手に出場をお願いするのも変な話だし、場所も遠いから、二つ返事ですぐに、というわけにはいかないが、前向きに検討したいと思ってる」

 まだ甲斐教頭も含め、上申できていない話だが、本人の意向も大事だろう。何と言っても愛琉の命が限られているような気がして、繁村自身が動転してしまっているのだが。

「本当ですか? アタシ、大阪黎信相手に投げれるんですか!? 嬉しい!」

 甲子園出場で燃え尽きた可能性もあるのかなと思ったが、愛琉の中ではやはり不完全燃焼だったのか。それとも甲子園出場では燃え尽きても、試合で投げる夢は飽くなきものなのだろうか。

「分かった。では本人の意向も含めて、上と相談して決めたいと思ってる」

「お願いします!」

 愛琉は繁村に一礼すると、整理していた荷物をまた部室に戻そうとしていた。


 愛琉の脳の病変が牙を剥かないように、どうかお守り下さい。普段、願掛けなどしない繁村が珍しく神社に行き、藁にもすがる勢いでそう願った。

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