3-18 渇望

 二死ランナーなしから続く泉川も凡退したが、ベンチはようやく6点もの借金を返済して歓喜していた。

「若林! ナイスガッツだー!」大きな声で愛琉が雄叫びを上げる。

 そして八回裏の守りに入る。


 岩切は、この回も落ち着いており、下位打線からの攻撃をきっちり3人で仕留める。一番バッターにはセンターへの大きなフライを打たれたが、幸い栗原の守備範囲内だった。


 いよいよ最終回、九回表。延長も視野に入れなければならないが、投手は両チームとも途中出場なので、スタミナはあまり問題にならないだろう。とは言え、延長に持ち込む気はさらさらなかった。この回は、釈迦郡、横山、岩切の打順。この3名は全員途中出場のメンバーで、正直読めないが、同時に何かをやってくれるのではないかと言う期待もにわかに感じられるメンバーだ。


「メグルちゃん! ここで打ったらデートしてくれますか!?」

 試合中だぞ、と思わずたしなめたが、それを掻き消す勢いで愛琉が言った。

「ああ! ヒットでもフォアボールでも塁に出たら付き合っちゃる! その代わり、プランはアタシが決めるかい!」

「マジで! メグルちゃんが行きたいとこなら、どこへでも!」

 そう張り切って、スイッチヒッターの釈迦郡は左バッターボックスに入る。釈迦郡は今日の初打席だ。最近の釈迦郡はよく粘る。フォアボールはヒットよりも上だ、という独自の理論を言うこともあり、フルカウントにされながらも、球数を投げさせ、見事フォアボールを選んだ。

「やったー! デートですね!」

「もちろん。デートプランは千本ノック。もちろんアタシがノッカーね!」

「……」

 愛琉のノックは、内野陣を震え上がらせるほどサディスティックである。釈迦郡に心の中でご愁傷様と呟いた。


 続くバッターは横山。控え選手と言えど先ほど二塁打を放った三年生を代えるほど非情にはなれない。とは言え、ここは手堅く送りバントのサインだ。横山はバントの練習も人の3倍はやってきた。

 素直な球筋。そして基本に忠実で繁村の指導を生真面目に守ってきた横山は、ある意味チーム一のバント職人かもしれない。セーフティーバントを試みるほどの鮮やかさではないが、しっかり初球で二塁に送る。

 そして、次は岩切。岩切も今日の初打席。オーダー上では八番打者だが、普段は三番を任されている好打者だ。藍陽の前田など数多の好投手と交えてきた岩切にとって、二番手の伊藤はいかにも素直すぎる。右中間の長打で釈迦郡を生還させる。今日初のリード。大逆転の勝ち越し打。しかも九回表だ。そして、泥谷、銀鏡の連打でダメ押しのもう1点を追加した。

 本来は外野の守備固めで横山を例えば金丸に代えても良かったのだが、横山を代える気はどうしても起こらなかった。何と言っても横山はやる気だった。

 最終回裏の岩切のピッチングは、二番からの好打順との対戦となり、簡単には終わらせてくれなかった。2本ヒットを打たれた。

 二死ながら、ランナー二、三塁とされ、一打同点のピンチだったが、六番打者が放ったライトへの大飛球。横山のところに飛んだ。ライトはボールが飛んでくる機会は少ないものの、右打者だとライト線に切れるような変な打球が飛んでくる。今回もライトのライン際に切れていくのライナー性の難しい飛球だったが、あらかじめ横山はそれを予期していた。第一歩目が良く、落下点に向かって左手を伸ばした。そして、グラブの先っぽながらボールはしっかり把持されていた。


 8-6。ゲームセット。

 今大会はじめての継投による勝利。そしてはじめて大量リードを許し、そして逆転勝ちを収めた試合。この勝利は非常に大きな価値があることだろう。

 綾高校の飛松投手は泣いている。三年生の夏が終わったのだ。彼には苦労させられた。何しろ稀少な左のアンダースロー。アンダースローが陥りがちなコントロールの悪い投手ではなく、ストライクゾーンにきっちり投げてくる。素質は充分だしまだまだ伸びしろはありそうだ。ぜひ今後も野球を続けてもらいたいと思う。


「今日はみんないい試合をありがとう。最初は正直、もうダメかなと思いかけたけど、みんなを信じて頑張って声張って応援してきて良かったと思います。男子の公式戦に出られなくても、アタシもみんなと同じメンバーの一員として甲子園出場を目指しています。あと2試合、声を出し続けるから、みんなもアタシに負けないくらい頑張って下さい」

 愛琉は涙ぐみながらミーティングで発言した。

 夏の甲子園と女子の全国選手権大会は、時期が重なっている。限られた夏休みに、時期をずらすことはできない。そもそも女子は女子専用の野球部に所属しているもの。愛琉のような存在はよほど珍しいので、仕方がないのだが、監督としてはやるせない気持ちになる。


 しかし、どれだけ全国高等学校硬式野球選手権大会に行けと勧めたところで、梃子てこでも動かないだろう。愛琉は甲子園に行きたいのだ。男子野球部の選手の一員としてアルプススタンドから応援することを渇望しているのだ。


「あと2試合だ。先に言っておく。準決勝の相手は宮崎大淀だ。去年うちが負けたチームだ。そして北郷学園も残っている。北郷学園は広瀬高校と当たる予定だが、今年の北郷学園は強い。広瀬には悪いがおそらく北郷学園が決勝に上がってくると思う。先発のピッチャーはもう決めている。準決勝は岩切だ。もちろん状況によって、薬師寺、都留に継投させるかもしれんが、畝原はベンチで休ませる。そして決勝は畝原に登板させる。我々は試合に出られなかったみんなのためにも愛琉のためにも美郷のためにも、それから応援してくれている先生や家族や友達のためにも、絶対甲子園出場をする。改めて気持ちを一つにして欲しい」

「ウッス!」


 そして早くも2日後準決勝の火蓋が切って落とされる。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 準決勝は宮崎大淀高校戦。去年の宮崎県選手権大会で負けたチームだ。あのときは大生おおばえ投手が、当時三年生となって成長した姿を披露してくれた。今年はもう卒業して彼はいないのだが、大生のいなくなった穴を見事埋めるように、ピッチャーが台頭し、少ない失点でここまで勝ち上がってきた。こちらは、控えピッチャーの継投で臨もうとしている。どう考えても楽な試合にはならないだろう。


「繁村監督、お久しぶりです」

 どこかで聞いたことある声音の声で呼びかけられた。

「お、大生くんか、元気そうだな。野球は続けてるのか?」

「ええ。日向ひゅうが大学で野球続けています」

 日向大学は難関だ。野球をあれだけ頑張ってきたはずだが、引退後はそうとう勉強したはずだ。しかし、野球への思いは断ち切れなかったのだろう。続けていることを純粋に嬉しく思う。

「それは良かった。今日は母校の応援だな?」と問うと、意外な回答が返ってくる。

「表向きは、です」

「表向き?」

「ええ。もちろん母校には勝ってもらいたいですが、同時に清鵬館宮崎も応援してるんです。つまりどちらも応援していてどっちも勝ってもらいたいんです」

「それは無理な注文だなぁ」

「ええ。でもそれくらい清鵬館宮崎は好きなんです」

「ありがとう」と言って、大生には愛琉と繋がりがあることを思い出した。「愛琉も来ているぞ、話すかい?」

「いえ、いまは遠慮しておきます。来て試合前に早々、嶋廻さんと仲睦まじくしたら、母校の応援という建前が崩れちゃうじゃないですか。しかも、嶋廻さんだから、ナンパみたいに思われても体裁が悪いし、部員のみんなに嫉妬されちゃいますし」

「そうか」

 愛琉と仲睦まじくして嫉妬を買うのは、銀鏡とチャラごーりの約2名だけで、あとは愛琉を男としか思っていない。特に後輩は野球のことになると豹変する愛琉に恐れている。一方の愛琉は銀鏡にもチャラごーりにもとことん対応なので、それは心配ご無用だと言いかけたが、止めておいた。

「話すのは試合前には止めておきます。でも嶋廻さんに、応援頑張ってください、と伝えておいて下さい」

「分かった。伝えとくよ」

「よろしくお願いします」

 大学生になって、大生はまた一段大人になったような気がした。

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