3-16 交錯
突然、愛琉がそんなことを言うので、みんなベンチの上にいる愛琉の方を向いた。
「ま、まじっすか! この
「何言ってると!? メグメグ!?」
「おい、試合中や。何言ってんだ!」
「俺は、嶋廻とデートなんて、勘弁やわぁ……。野球のことになると鬼軍曹みたいな女子のどこがいいんだか……」
銀鏡、美郷、若林、横山の順で口々にコメントを言う。
「マジとよ、ギンナン! シングルヒットで1回、ツーベースで2回、スリーベースで3回、ホームランなら無制限っちゃ!」
「はい、ホームラン狙います!」
そんな冗談のようなやり取りの横で、約1名怒り狂っている男がいる。
「ずるいっすよ! メグルちゃん! 俺っちを差し置いて、杏悟を誘うなんて! 僕だって試合に出れてたら絶対打って、デートだったら行きたいところどこでも連れて──」
「チャラごーりは一旦黙っとけ! アタシへの
「ひぇぇぇ……」
何というパワハラ。もともと銀鏡と釈迦郡にの両名に対して、愛琉は先輩権力を振るいまくっていたが、最近は特に扱いが酷くなってきているような気がする。
「監督、サインは?」
マネージャーの美郷に指摘されて、サインを出すことを失念していたことに気が付く。それだけ、愛琉の発言は刺激的だった。
取りあえずヒッティングのサインを送った。できれば、ダブルスチールでもさせたかったが、二塁走者の畝原の足は速くない。いくらクイックモーションが苦手とは言え、本来アンダースローは捕手にとってキャッチングがしやすいと言われる。しかもランナーがリリーフしたばかりのピッチャーで交代がさせにくい。そして貴重なランナー。三盗の指示を出す勇気はなかった。
右バッターボックスに入った銀鏡は気合いが入っていた。バッティングの構えもいつになく気合いが入っているように見える。
「銀鏡くん、打ちそうですね」美郷がそんなことを言う。フルカウントの後の6球目、やや甘く入ったスローボールを巧く叩いて、三遊間をしぶとく抜いていった。ランナーは二死フルカウントで投げた瞬間走っていたのが幸いし、三遊間を抜いたときにはすでに三塁を回っていた。今日の三塁ランナーコーチは岩切。ぐるぐると迷わず腕を回していた。
しかしレフトも前進守備。転がってきた打球を捕るとすぐにバックホームをした。今度は誰もカットしない。
畝原はスライディングをする。バックホームのボールのタイミングが絶妙でキャッチャーと交錯する。しかし、捕手はボールを落としてしまい、セーフ判定。
「やったー!」
ベンチは歓喜する。しかも一塁ランナーだった泥谷は三塁に到達している。と思ったら、何とバッターランナーの銀鏡は二塁を狙っている。
落球した捕手はすぐにそれに気付き、二塁に送球した。銀鏡は俊足の部類だが、残念ながらタッチプレーでアウトになってしまった。
歓喜が落胆に変わる。取りあえず2点を返して4点差にはできたところだが。
二塁からベンチに戻り、レガースを装着しながら、銀鏡が愛琉に「今度の休日、よろしくお願いします!」と言った。しかし、「ヒット打ったけど、その後の走塁がイケちょらん! 暴走っちゃろ、アレ! おかげでウネウネが休めれんかっちゃろ! デートは帳消しっちゃ!」と言われた。銀鏡が「そんなー」と言って落胆の表情を見せたのは言うまでもない。
畝原が呼吸を整えてマウンドに上がる。銀鏡がレガースやプロテクターを着けているので、その間は控えキャッチャーとして
「足を痛めた?」思わず繁村からそんな言葉が漏れ出た。
コントロールが定まっていないし、全体的に少し高めに浮いている。そして投げた後、顔を
「まじですか? 頼みの綱なのに」と美郷が言った。いや、うちには他にも岩切と薬師寺という控えピッチャーがいるのだが。
ボール回しを終えて、五回の裏の守備に入る。心配されたが、この回の綾の攻撃は下位打線。打たせて獲るの省エネピッチングで、三者凡退に切って取った。
「畝原、どこか痛むか?」
「あ、監督。さっきのホームインでのスライディングを左足をぶつけたみたいです。痛いというほどではないですが……」
六回表の攻撃は二番の下水流から始まる。八番に入っている畝原にはしばらく打席が回って来ない。しばし様子を見ることにする、痛みが強くならなければ良いが。
下水流は相変わらずタイミングがあっておらず、引っ掛けて内野ゴロを打たされている。この投手は上下左右だけでなく前後に緩急をつけてくる。ランナーがいないときは安定した投球を見せてくる。次は、先ほどの打席でライト前ヒットを打った栗原。しかし、内角に沈みシンカーをハーフスイングで三振してしまう。栗原には珍しい。
続く四番の若林。今日は特に良いところがない。
しかし、3巡目の打席で、
「よっしゃー、若林! いいぞ! 3点差!」
愛琉が雄叫びを上げたのは言うまでもなかった。しかし、ソロホームランだったのが惜しい。
泉川は凡退して、ここで六回裏の守備に入る。
やはり畝原は左足を
速球がやや高めに浮いている。上位ともなるとそこを見逃さない。藍陽高校戦で見せた快投が見られず、一、二番に連打を浴びてしまった。すぐにタイムをかけさせ、伝令役の横山を送る。
負けているという焦りからか速球に頼っているが、畝原の武器は速球だけではない。変化球主体のピッチングでも充分打ち取れる。
とは言っても、足が本当は痛むようでは話にならない。
横山が戻ってくる。
「どうだった?」
「足は問題ないとのことです。その上で変化球主体で行くこと、後ろには岩切や薬師寺も控えているから大船に乗ったつもりで大胆に攻めろ、と伝えました」
しかし、投げている動作の中で、顔を微妙に顰めることがある。ポーカーフェイスの畝原には珍しい表情だ。信じていいものか。
続く三番バッターには、カーブでカウントを獲る。愛琉直伝のスローカーブだ。これが巧く決まってくれている。しかし三球三振を狙ったのか、ストライクゾーンへの直球が甘く入った。
カキン、と快音。三遊間への痛烈なタイムリーか、と思いきや、泥谷がまたもや吠えた。身体を精一杯横に伸展させてのダイビングキャッチ。そしてすぐに身体を起こし二塁に放る。二塁ランナーは足の速い一番打者。リードが大きかったか戻りきれずダブルプレーを獲る。大ファインプレーだ。
「ドロタニ! いいぞー!」
続く左打席の四番打者は、初球のカーブを巧く叩かれた。巧くセンターへ打ち返され、バックスクリーンへの滞空時間の長い大飛球。しかしここでも諦めていなかった。もともと深めに守っていた栗原が、放っておけばスタンドインの球を、何とフェンスによじ登って思い切り右腕を伸ばして、大飛球をグラブに収めた。
「栗ちゃん! すげー!!」
プロ野球でも外野の名手と呼ばれるような選手しかできないような凄い技だ。ナイン全員が泥谷と栗原を讃える。チームは逆境だが雰囲気は悪くないし、こういうプレーで流れは変わるものだ。
ただし、畝原の続投は少し考えた方が良いような気がした。まだ彼の自責点はないが、きっと足が痛いのを隠している。もともと弱音を吐かない畝原なら、充分あり得る話だ。
七回表、六番の坂元は、目が慣れてきたのか、追い込まれる前にセンター方向に返す。シングルヒットだが、確実性が増している。青木にレギュラーを譲り出番が少ないながら、少ないチャンスをしっかり活かしている。
七番の靏野への指示は迷った。通常なら送りバントだがもう七回だ。こういうときに一見無謀と思えるような妙案を思い付く。
「横山行けるか?」
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