3-13 歓喜

 九回表の藍陽の攻撃は、八番、九番打者が、いずれも平凡なサードフライ、ピッチャーゴロに倒れ、いよいよ二死走者なしまで来た。次は一番打者。愛琉の始球式で構えていた打者の橋口だ。横山の調査では引っ張る打球が多いとのこと。今日も最初の三振を除いてはライトフライ、ファーストライナーと右方向が多い。しかし、さすが強豪チームでリード・オフ・マンを任されているだけあって、バッティングは力強い。2打席目も3打席目も強い打球を放っていた。

「こら、このままノーヒットノーランで終わるなんてOBに恥かかせる気か!?」

 藍陽を応援する観客席から怒号が飛ぶ。それはそうだ。いつも北郷学園と甲子園出場権を争ってきたチームが、まさか北郷学園ではなく、いまや甲子園から遠ざかっている古豪との対戦で、ノーヒットノーランなど不名誉なことだろう。しかも初戦なのだ。


「チャラー!! 強いの来るぞ!!」

「は、はいっ!」

 愛琉は、一番の橋口の打球の傾向を把握した上で、釈迦郡に指示を出している。釈迦郡にしてはひどく緊張している。それはそうだ。もし、一二塁間、二遊間を抜かれてしまったら、ノーヒットノーランは潰えるのだ。


 九回と言えど140 km/h台後半の直球やシュートをファウルで粘られ、フルカウントまで持ち込まれた。さすが、簡単には終わらせてくれない。橋口も不名誉な記録はつけさせまいと必死でこらえている。

 迎えた10球目。今度はタイミングを外すかような、愛琉直伝のスローカーブだ。この試合畝原はあまりスローカーブを投じて来なかったが、ここで満を持しての緩急である。巧い。繁村は思わずうなった。


 愛琉ほどのブレーキはかからないものの、直球が速い畝原は100 km/hくらいのスローカーブであってもかなりの球速差となる。

 何が何でもヒットを打ちたいと、打ち気にはやる橋口は、待ちきれずにスイングした。しかし、下半身が巧く体勢を維持し、バランスを崩しながらもバットはスローカーブを芯で捕えていた。


「セカンド!!」愛琉が叫ぶ。セカンドの釈迦郡のやや左方向に速いゴロの打球が飛んでいく。

 抜ける。一瞬天を仰ぎかけたが、釈迦郡の反射神経はグラブの中に見事打球を収めていた。

「ひとつ!!」

 すぐに体勢を立て直し、ファーストに投げる。やや送球が低く逸れたが、青木がしっかり身体を伸ばしキャッチする。しかし打者走者の橋口もヘッドスライディングをする。微妙な判定だが、一塁塁審は右手の拳を握り、ややオーバーに上から下に振り下ろした。アウトの判定だ。


「やった! やったやったぁー!!」愛琉が高い声で歓喜している。接戦だったが、まさか強豪の藍陽をノーヒットノーランという記録付きで下した瞬間である。

 両チーム合わせてヒット1本、エラー1個、四死球0という緊迫した試合にピリオドを打った。


 一方の前田は泣いていた。前田もほぼ完璧に封じていた。普通なら完封勝利のあっぱれな投球術だったが、運に見放された。高校三年間、最後の夏を飾れなかったのだ。


「今日はとにかくよくやってくれた。苦しい試合だったが、畝原はじめ最後まで集中力を切らさず、少ないチャンスを形にして接戦をものにできた。お疲れさま。まだまだ先は長いけど、今日は手放しでみんなを褒めたい」

 我ながら口下手な繁村は、そのように述べるに留まったが、本当はすごく嬉しかった。この試合で培った自信を糧に、次の試合も頑張って欲しい。


「おめでとうございまーす! 監督! 今日の試合についてコメント下さい!」

 少しは勝利の余韻に浸りたかったが、テレビ局の取材はそんな繁村の心情をしんしゃくすることなくお構いなしだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 二回戦の相手は想像どおり聖文神武高校だ。県選手権大会で2-3と惜敗したことは記憶に新しい。ただ、どうやらピッチャーの永野の変化球を投じるときの癖は直っていなかったようだ。

 また、5月のときと比べてチームそのものの勢いがないように気がした。個人のプレーの能力は高いのは分かる。しかし、何と表現すれば良いのか難しいが、威圧感が以前ほどないように思える。

 しかし、その理由は釈迦郡の言葉で明らかになった。

「やっぱ、うちが藍陽相手にノーヒットノーラン達成して、萎縮してるんすかね? 前ほどビビらなくなってきました」

「チャラは、前の試合八回からしか出てないっちゃないか? 偉そうに言うな」

 栗原に偉そうな態度をたしなめられたが、釈迦郡の言うことは一理あると思った。相手が弱くなったのではない。自分たちが強くなったのだろう。

 甲子園を狙えるほど充分な強さを誇る高校に勝つだけでも栄誉なのに、ノーヒットノーランという記録のおまけ付きである。それは野球名門校でも萎縮させるのには充分だ。

 過剰な自信は油断に繋がるが、このチームは充分強い。胸を張って行って欲しい。繁村は選手たちの選手を押した。


 試合は、前回の敗戦が嘘のように投打が噛み合った。もちろん癖を見抜いて今回もストレートを狙い撃ちしていったのもある。しかし、前回の記録的な勝利は、選手たちを明らかに成長をもたらした。技術的な成長ではない。精神的な成長だ。相手に気持ちで負けないという気持ちの変化が貫禄のようなもので身に備わってきた。


 結局7-1という大差で快勝した。1失点は、エース畝原の温存で途中からマウンドに登板させた岩切が、2連打を浴びて失ったものだった。打っては、坂元、中武、下水流など控え選手も起用に応えた。

 こんなに差をつけての勝利は想定していなかっただけに繁村自身驚いた。この勢いはまだ止まらなかった。


 三回戦は延岡南高校。県立高校だがこことて弱くない。二年前の一年生大会にて準決勝で敗れた相手だ。

 しかし、勢いに乗った清鵬館宮崎はここでも実力を発揮した。3-0で快勝。

 

 続く四回戦。相手はあや高校だ。正直ここまで勝ち進むことが珍しいところだ。1年ちょっとまえの九州地区高校野球県予選では二回戦で清鵬館宮崎が下している。


 ところが、ここがダークホースだった。

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