3-12 垂涎

 一塁に釈迦郡を置いて、続くバッターは五番の泉川だ。しかし、俊足の釈迦郡に盗塁の指示を出すほど繁村は勝負師にはなれなかった。

 泉川にはバントのサインを送る。ただ、泉川はヒッティングは巧いが、バントにやや難があった。この場面、当然バントを警戒するだろうし、チャージをかけてくる中、ちゃんと役割を果たせるだろうか。

 牽制を2球投げた後の初球、やや高めの速球。そこで、何と釈迦郡は走った。釈迦郡の走塁術は上達しているので、もはやサインなしの単独スチールも認めていたが、ここでは慎重に行って欲しかった。盗塁するなという指示を出すべきだったと、少し後悔した。

 ところが、泉川にそこまでの余裕がなかったのか、バントをしに行く。ただ、内角に入っていたのか窮屈な体勢のバントは、何とピッチャー正面だった。これでは普通ランナーを送れないが、奇しくも釈迦郡がスチールでスタートを切っていたので、二塁には送球できず、結果的に送りバント成功となった。

「いいぞおおおお! チャラごーり!!」と大きな声で愛琉は釈迦郡を讃える。正直、結果オーライの走塁だったので、讃えるまでもないような気がしたが。

「メグルちゃん、大きな声でチャラごーりは恥ずかしいよ〜」と釈迦郡はヘルメットを取って頭を掻いた。


 続く畝原には申告敬遠だ。一死二塁よりも、一死一・二塁の方がフォースプレイが狙えるので、ダブルプレーを狙いやすい。しかもピッチャーの畝原を塁に出させておいた方が、多少なり疲れを溜めさせることができる。内野陣はニアベースでセオリーどおりのゲッツー態勢だ。


 さすがにここで、ノーヒットで打ち取っている畝原に代走を送るような非情なことはできなかった。七番の金丸に打席が回る。先ほど落球してしまったセンターの金丸だ。左バッターボックスで大きな声を上げる。

「和也ぃー! ホームラン、がつんと場外に放りこんじゃれ!」

 バッティングに課題のある金丸は、これまで試合でホームランを放ったことはない。この好投手からいきなりホームラン(しかも場外)というのはさすがに無理な注文だろう。

 ゲッツーだけは勘弁だ。正直代打も頭がよぎったが、金丸は足が速いので、釈迦郡と金丸がセーフになればゲッツーは免れるだろう。あとこのスピードボールに少しでも目が慣れているだろう金丸に託した。

 何と言っても一点が欲しい場面。二死にはなるが送りバントのサインを出した。しかし、初球、2球目と速いストレート。しかもストライクゾーンぎりぎりの厳しいところに決まり、構えたバットが空を切る。八回まで来ていても、これまでの省エネピッチングで球速はまったく落ちていない。スリーバント失敗のリスクがあるのでバントのサインは取り止めヒッティングのサインを送る。

 3、4球は変化球がボールで外れ平行カウントとなった。金丸は深呼吸をして2回素振りをした。5球目は決め球の直球。しかし金丸は喰らいついた。ファウルチップで粘る。6球目もサード方向にファウル。続く7球目は外角に大きく逸れた。

 前田がフルカウントになることは、この試合珍しかった。フォアボールで満塁。それもアリだ。一死満塁なら犠牲フライでも点が入る。しかし、前田とてコントロールは悪くない。何と言っても今日は無四球にして無死球。

 8球目は打ち頃の高さのボール。しかし打ち損じファウルチップ。金丸にしてはよく喰らいついている。


 守備の巧い栗原の存在に霞みがちだが、金丸も守備は巧い。今日のエラーは本当に珍しい。何と言っても外野の要であるセンターを任せられているのだ。足は速く守備範囲も広い選手だ。一学年上の緒方よりも守りは上手だと思う。

 しかし三年生になるまでレギュラーに定着できなかったのは、バッティングだ。痩せ形でやや非力な印象を受ける体型ゆえ、スイングスピードが遅い。いや、同じく、野球選手にしては線の細い愛琉でも、バッティング技術に長けていることから、体型云々ではないかもしれない。身体の回転とかリストの強さとかバットコントロールとか、総合的に見て他のレギュラー陣より劣っているのかもしれない。そんな金丸に、バッティングを指導したことがある。繁村自身、現役時代はクリーンアップを任されていたくらいバッティングは長けていた。金丸にはもっと何とか成長してもらいたかったので、マメができるくらいバットを振らせた。


 その練習の成果が、ようやく出るか。9球目もストライクボール。ひょっとしたらキャッチャーは変化球を要求したかもしれないが、前田は首を振った。いちばん自信のあるストレート、それも今日いちばんの快速球を投じたかったのだろう。レーザービームのような直球。金丸は再び喰らいついた。ボールはバウンドをしながらピッチャー正面に。まずい、ゲッツーだ、と思った瞬間。前田はボールを取り損ねた。イレギュラーなのか打球が速かったのかは分からない。とにかくピッチャーを抜けた当たりは、二遊間に向かっていった。セカンドが追いつき、二塁のベースカバーに入ったショートに投げる。一塁走者の畝原はスライディング。絶妙なタイミングだが、間一髪でアウト。二死一、三塁で、喜ばしい結果ではないが、俊足のランナーを進塁させることはできた。


 続くは八番の泥谷の打順。その初球だった。

 金丸と釈迦郡は狙っていた。


 金丸が二盗を仕掛ける。泥谷は盗塁を助ける空振りをし、キャッチャーからの送球がわずかに上ずったのを見逃さなかった。釈迦郡はこれではピッチャーはカットできないと思ったのだろう。

 獲物を狩るネコ科の動物のように、ホームベースを狙う。二塁からのバックホームはキャッチャーとのクロスプレイとなった。しかしよく見ると、キャッチャーを釈迦郡は巧みにかわし、キャッチャーの左手の下に自分の左手を入り込ませていた。セーフ判定だ。

「チャラあぁ! いいぞぉぉ!!」もはや『チャラ』と略されてしまったが、愛琉は釈迦郡をたたえる。

 しかし、金丸はさらに貪欲だった。そのまま三塁を落とし入れんとしていたのだ。ただキャッチャーは至って冷静だった。速やかに三塁に送球されたボールは、サードのタッチプレーでアウトとなった。3アウト交代。

 アウトにはなったものの、この接戦でようやく垂涎すいぜんものの先制点となる1点を、八回に獲ることができた。


 九回表の藍陽の攻撃は八番からである。

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