2-22 処分

 その日の夜のこと。練習が終わり、溜まっている教員としての事務仕事を処理している時間に繁村に電話がかかってきた。その電話の内容もかかってきた相手も、衝撃のあまりにわかに信じ難いものであった。

宮崎みやざきひがし警察署と言います」

「えっ?」

「あの、貴校の野球部の生徒さんの一人が暴行事件を働いてしまい、いま警察であずかっています。夏休み中でしかも今日は土曜日ということで、学校は繋がらないけど、監督なら繋がるだろうということで、取り急ぎ電話をさせて頂きました」

 頭が真っ白になった。

「だ、誰なんです?」

栗原くりはらこうくんです。ご両親には連絡を入れて、こちらに向かってもらっています」

「く、栗原が?」

「ええ」

 栗原は感情を表に出さない性格だ。少しやさぐれた印象はあるが、誰かに危害を加えるような人間ではないと思っている。入部当時はチャラいところもあったが、最近はそういった不躾なところも改善されてきて、分別ふんべつわきまえてきていて、技術も人間性も成長したと思っていたが。

「栗原はどうなるんですか?」

「こちらとしては、暴行といっても軽微で怪我を負っていない、具体的には相手の胸ぐらを掴んだだけですから、微罪処分で済ますものとします」

「……微罪処分って言いますと?」

「事件が軽微であることを理由に送検せずに釈放する手続きです。だから親御さんが来られた時点で、栗原くんを釈放します」

 ということは、栗原の身柄はすぐに親の元に引き戻されるということか。しかしまだ状況が掴みきれない。

「相手は……?」

「同じ男子高校生です」

「どうして……?」

「それが、動機を語りたがらないのですよ。通報してきてのは、被害に遭った高校生と一緒にいた仲間の一人です。場所は貴校からも近い日向住吉ひゅうがすみよし駅付近なんですが、普通は現場から立ち去っていそうなものの、彼はなぜか警察から到着するまでずっとそこにいたんです。そして、『君がやったのか』と聞くと、ただ『はい』と頷くだけで……」

 日向住吉駅と言えば、清鵬館宮崎から少し南に行ったところだ。日豊本線の最寄りである佐土さどわら駅の隣の駅だ。時間的には、先ほど試合が終わって解散した後だと思われるが、栗原の帰り道ではない。栗原はにゅうばる中学出身である。新田原と言えば、北隣にある新富しんとみ町に位置しており、現場が栗原が帰る方向とは逆方向なのだ。わざわざ寄り道して帰っていたのだろうか。

 とにかく、詳細は彼から聞くしかない。しかし、その前に甲斐教頭に電話をすることにする。最近、こんな良くない知らせばかりしているような気がした。


『そうですか……。残念ですが、事実なら処分もまぬがれませんね。謹慎になるかと思いますが、何ヶ月かは日本学生野球協会の判断によりますでしょうね』

 甲斐教頭は淡々とした口調で語った。

 日本学生野球協会とは、日本高野連と全日本大学野球連盟を傘下におく組織で、学生野球の監理組織である。よく部内の暴力事件等で対外試合禁止という話は聞くが、不祥事の処分は各学校で決定しているのではなく、この協会の審査室に委ねられている。

 繁村が監督に着任して、このような不祥事で処分を受けようとした経験はなかった。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 翌日、栗原は少し遅れて部活にやってきた。呼び出したと表現する方が正しい。事件の事実を知ってから3ヶ月以内に処分申請をしなくてはならないのだ。警察沙汰になっている以上、隠し立てをするわけにはいかない。

「どうしてそんなことをしたんだ? 相手は誰なんだ?」

「相手は分かりません。3人組の男子です。いろいろ因縁を付けてきたので口論になって思わず胸ぐらを掴みました。でも急に理性が働いてすぐ離しました。殴ったり怪我をさせたりはしていません」

 本当にそうだろうか。帰り道とは違う場所にいたことと言い、懐疑的にならざるを得ないが、何度問い詰めてもそう答えるばかりだ。ただ、繁村や部員に対しては、ただひたすら「すみません」と謝り続けている。反省はしている様子だが、部員たちはせっかくチームが上昇ムードのときに思い切り水を差されて、同級生はおろか下級生も栗原を非難している。

 ところで、今日は愛琉が来ていない。差出人は栗原の親御さんからで、今日は体調が優れないため休ませますとのことである。珍しいことだ。これも不吉なことである。

 処分の前ではあるが、取りあえず今後の試合に栗原を出すことはいろいろとまずい状況だ。主戦力の一人を欠くことになり、ダメージが大きい。

 

 ◇◆◇◆◇◆◇


 結局、栗原は詳細を語ってはくれなかった。被害を与えてしまった相手は本当に知らないようだ。しかし、因縁を付けてきただけでそんなトラブルに発展させるような性格だろうか。そうは思えないが、もともと栗原は自分のことを語りたがらない性格であるので、出会ってから一年半弱経つものの、彼の性格を把握しきれなかった。

 これ以上の詳細を栗原の口から聞きだすことは難しいと判断し、早めに処分申請をすることにする。仮に3ヶ月の謹慎処分を受けた場合、いまなら秋の大会を彼抜きで戦うことになるだろうが、来年度の春、夏には栗原は復帰できているのではないかという希望的観測であった。後になればなるほど夏に影響する可能性が高くなる。


 栗原を欠いたチームはやはり大幅な戦力ダウンだ。栗原の代わりとして、平時からライトを守っている参謀の横山、一年生では浜砂はますながいるが、いずれも守備に不安が残る。新人大会二回戦は何とか勝つことができたが、三回戦(県ブロックの決勝)では、僅差で負けてしまった。栗原がいなかったから負けたということ以上に、チームのモチベーションが上がり切らなかったようにも思える。

 

 ◇◆◇◆◇◆◇


「対外試合禁止3ヶ月だそうです」

「え!?」

 審査会の結果を甲斐教頭から伝えられたとき、頭が真っ白になった。対外試合禁止ということは、栗原個人の問題ではなくチームとして連帯責任で罰則を科したということになる。いくら何でも惨い仕打ちではないか。

「私としても予想外に厳しいものかと思っています。いまから3ヶ月と言うと、アウトオブシーズンまで差しかかりますね。今日の部活には私も出席して部員のみんなに伝えます」

「……ありがとうございます」

 繁村は小声で甲斐教頭の申し出に感謝した。

「それから、栗原くんはこれを提出してきました」

 甲斐教頭の手からは、退部届と書かれた白い封書だ。

「な!?」

「まだ私はこれを正式に受理していません。ちゃんとみんなに一から十までしっかり説明して、高校生と言えどちゃんと説明責任を果たしてからでないといけないと伝えています。しかも対外試合禁止という重い処分です。私からも彼からもう少し具体的な話を聞きたい。何で胸ぐらを掴んでしまったのかを」

「そ、そうですね」


 その日の練習では、甲斐教頭から処分の内容が伝えられた。部員からは悲嘆の声、あるいは栗原を非難する声が聞かれた。そして納得しかねるという意見も多々。


 栗原は練習に来ていない。今日は出られませんとメールを一方的に打ってきただけだ。それがますます他の選手たちからの反感を買っていたのだ。その日の練習は、時間の浪費と表現しても過言ではないほど、やる気の欠いた惨憺さんたんたる内容だった。


 そして、ついに栗原以外にもサボる選手が出始めた。

 愛琉はちゃんと練習に出ているが、彼女もどこか元気がない。


 目標を失った選手たちは、すべての歯車のバランスが崩れて、チームとしての体裁を留めることすら難しい状況に陥りつつあった。


 繁村自身も指導に身が入らない。家で酒の量も多くなる。

 そんなときに一通のメールが入った。

『ご無沙汰だね。どうせやけ酒してるんでしょ? 久しぶりに飲みに行かない?』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る