2-21 予感
初戦の試合は、
初回から投打が噛み合い、11-0で大勝した。畝原はどんなにリードをしていても1点もやらないという静かな闘志が燃えていた。140 km/hに迫る直球、打者の手元でわずかに曲がる速いシュート、愛琉直伝のブレーキのかかった100 km/h前後の縦に落ちるカーブで緩急をつけ、常にコーナーを意識した丁寧でかつテンポのいいピッチングだった。
この男も夏の大会を経て着実に成長している。体格も良くなり、球質に重みがある。直球は綺麗なバックスピンがかかり、初速から終速までほぼ一定の等速直線運動のような球筋は打者近くで伸び、あたかもホップしているかの如く錯覚を打者に植え付ける。大抵の打者は振り遅れるかボールの下をバットが空を切る。
「いいピッチャーになった」繁村は、思わず畝原を讃える独り言を呟いていた。
打つ方では、若林と青木にホームランだ。青木にホームランが飛び出すのは初めてだ。青木と言えば、夏の大会でベンチ入りができず辛酸を舐めた。ファーストの控えとしてベンチ入りを下級生の坂元に譲ったのだから。しかし、青木はこの夏、引退した由良のファーストの座を本気で狙っていた。守備でも打撃でも全身全霊で球に喰らい付く、
その青木が今日の試合では見事にノーエラー。それだけでも成長を感じるが、まさかと言ったら失礼だが、ライト方向に思い切り引っ張って柵越えを披露した。九番バッターなので、ピッチャーも無警戒だったかもしれなかったとは言え、ど真ん中に来た球を思い切り振り抜いた。高身長の青木は、バッティング練習でも当たったときの飛距離は意外にあるなと感じていたが、それでも柵越えはなかった。練習でも見たことのない、美しいホームランだった。
逆に絶不調だったのは栗原だった。栗原は走攻守揃った選手だが、たまに原因不明で全然打てなくなることがある。加えて、ライト前ヒットを後逸してしまう場面が2回もあった。これは非常に珍しいことだ。
「スタメンがいまいちなときは積極的に代えていく」
当初の宣言どおり、栗原は3回までで、4回から横山に代えた。同じ二年生の外野の控えでは黒木の方が技術的に長けているが、彼はレフトだ。ライトとしてずっと頑張ってきた横山にもプライドがあろう。ちなみにそのときには7-0でリードしていた。
横山のところに打球は飛んで行かなかったのが、ファーストゴロ、一塁への牽制球のときにも、気を緩めることなくカバーに行っていた。基本的なことだが、気を抜かずにしっかり忠実に動いてくれているのは素晴らしいことだ。
横山が試合で打つ機会は、練習試合や紅白戦以外ではあまりなかった。残念ながらヒットを打つことはできなかったが、大きなレフトフライを放った。スイングスピード、パワーともまだスタメンのメンバーに及ばないところがあるが、恐らく過去の対戦でのデータも活用して狙い球を絞って振り抜いた。真芯に当たった打球は、残念ながらフライトなったが、それでも彼も成長を見せている。
ミーティングでは、栗原と坂元以外、喜びのコメントが聞き取れた。逆にレギュラーに遠い二人にチャンスを譲ってしまった栗原、坂元は、悔しい思いをしたことだろう。
それが勝負の世界だ。青木や横山だって試合に出たいから練習をしている。ただのベンチウォーマーに成り下がっているわけではないのだ。
愛琉はミーティング後、畝原のクールダウンに付き合っていた。珍しい光景のような気がした。もともと畝原は愛琉と仲は悪くないが、真面目な畝原はどちらかというと女子に積極的に話しかけることはない。どこか気を遣っているのか壁を一枚隔てたような接し方をするきらいがある。もともと奥手なのだろう。それが今日は珍しく畝原から誘った。
しっかりとエースの風格の出てきた畝原と、女子野球の将来を担うほどの逸材の愛琉とのキャッチボールは、クールダウンと言えど、パシンパシンとグラブに硬球が収まる小気味いい音を鳴らす。そして愛琉の身体全体のバネを活かしたフォームとしなやかな左腕から放たれる、レーザービームのような投球は、いつ見ても惚れ惚れする。
もしこれが、今後起こり得る脳出血によって見られなくかもしれないと思うと、無性にやるせない。破裂のリスクは決して高くはないかもしれないが、そのリスクに常に怯えながら付き合っていかなければならない。手術だってリスクを伴う。手術によって選手生命を絶たれる可能性だってある。どれが最善の方法か分からない。正解は未来にならないと分からない。
ひょっとして畝原が愛琉をキャッチボールに誘ったのも、そうした気持ちの変化からだろうか。愛琉が選手としていろいろな困難に立たされている中、たかがクールダウンのキャッチボールかもしれないが、野球を一緒にすることで愛琉もチームメイトとしての意識を一つにしようとしているのかもしれなかった。それは紛れもなく感謝の気持ちから来るものなのだろう。
そのとき、パシャパシャといまやどこでも聞かれる電子音が聞こえてきた。スマートフォンで写真を撮っている3人組の若者の男がいる。
クールダウン中のキャッチボールを撮っているようだが、その被写体に選んでいるのは明からさまに愛琉だった。増えてきたとは言えまだまだ珍しい野球女子。しかも男子野球部で燦然と輝く女子選手は非常に目を引く。おまけに男子顔負けのボールを放る本格派サウスポーだ。
「あの子っちゃろ、噂の野球女子。てげ可愛くね!? やべーな」
「俺もそう思う。あんなに細くて顔も可愛いのに、投球フォームが豪快でいいねー。球速いし、ギャップ萌えっちゃろ!?」
「あー、俺ナンパしてー!」
「ずりーぞ! 俺が先っちゃ!」
がはははと品のない大きな笑い声が聞こえてくる。品がないのはその会話の内容も然りだ。写真や動画を撮ることはまだ良いが、あんな欲望丸出しの会話を本人に聞こえるほどの声でしてくれるな。繁村は、グラウンドを神聖な場所だと考えている。現役の頃、当時の指導者の理念がそのまま承継されており、グラウンドの出入りでは帽子を取って一礼する習慣が身に付いているほどだ。そんな繁村にとって、クールダウン中とは言え彼らの言動は目に余るものがあった。
注意しにいこうと思ったが、他の部員に呼びかけられ、注意するタイミングを逸した。そして気付くと男たちはいなくなっていた。
「いやーね、何あいつら。
そう言ったのはマネージャーの美郷だ。美郷は生理的に男たちを受け付けなかったのだろうか。こうやって他者を声に出して罵倒するのは珍しい。それだけ我慢できなかったのだろう。取りあえずいなくなってくれたようだが、変に追っかけになってもらいたくないな、と思った。
学校に戻り、バットなどの備品を部室にしまうと、今日はもう解散となった。
「お疲れー! じゃあまた明日ね」
愛琉はチームメイトに手を振って帰っていった。帰ると言っても
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます