2-20 鼓舞

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 愛琉が病院を退院するのを待ち、少し重い足取りで宮崎に戻った繁村は、いつも通り部活で練習の指揮を執る。しかしその場に、今日は愛琉の姿はない。さっそく大学病院に受診するように指示したのだ。

 甲斐教頭からは「焦っても仕方ありません。診断が出てから考えるだけの余裕はあるでしょう」と落ち着いた口調だったが、これが年の功というものなのだろうか。どうもそわそわしてしまう。これが愛琉だから、というのは理由として男女差別に当たるのだろうか。


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 1週間とちょっとが経過し、愛琉が脳の精査の結果が出たと伝えられた。病院に通院した日を除いて、いつも通り愛琉は練習に出てきているが、その間、また倒れるのではないかとヒヤヒヤした。ノックも手加減してしまったこと本人や他の部員たちにバレてしまっているだろうか。

 とにもかくにも、ようやく出た精査の結果だ。甲斐教頭にもその場にいて聞いてもらうことにした。

 愛琉は、病院から貰った説明や放射線画像を印刷した紙を開いて、見せながら説明した。

「やはり脳動静脈奇形でした。これがぐじゃぐじゃのとぐろ巻いてるのが血管の塊で、『ナイダス』って呼ぶんだそうです。この病気にしては結構大きめで、しかもアタシのは脳動脈瘤も一緒にあるみたいなんです」

 意外にも明るい顔をして話をするものだから、良い結果を期待していたのに、予想よりも心配な結果が伝えられた。

「ということは、どういうことなんだ?」

「通常の脳動静脈奇形より破裂しやすいようです」

 淡々と愛琉は語るが、まるで繁村は頭を殴られるくらいショックを受けた。愛琉は続ける。

「やっぱり放射線は適応にならないみたいで、手術か、手術と塞栓そくせんじゅつっていう治療の組み合わせがいいんじゃないかって言ってました」

「そっか、やっぱり治すなら手術は必要じゃないかという話か……」

 繁村はますます辛い気持ちになった。脳の手術だなんて考えただけで恐ろしいものだ。

「で、これからどうするんです? 親御さんとも相談されているでしょう」

 今後は甲斐教頭が尋ねる。

「アタシとしては、様子を見て野球を続けて行きたいと思います。貴重な練習時間の一瞬でも無駄にしたくない。もちろん病院には通院して経過を見てもらいますが、手術は受けません!」

「両親は?」

 どこか強い口調は、ひょっとして両親と意見が食い違ったのではないかと窺わせた。

「両親は治療を、手術を受けさせたがってました。でもそんなことしてたら、高校も留年しちゃうし、何と言っても手術による後遺症は、ブランク以上に野球に影響が出るんでしょ。そんなのいまのアタシには考えられない。だったら、不発弾かもしれないけど、そっとしておいて、どこかで野球を辞める日が来たら、手術を考えればいい……、って思ってます」

 不発弾か。不謹慎な比喩表現だが、的確な気がした。破裂しなければ、普通に野球もできる。通常の生活も困らないのだ。

 しかし、破裂したら──。

 こればかりは確率なので、何とも言えないが、野球どころか命をも失ってしまうかもしれないのだ。考えなければいけないが、考えれば考えるほど深みに嵌っていく。

「こればかりは答えが出ない問題だと思います。どれも正解かもしれないし、どれも不正解かもしれない。嶋廻さんはもう分別もある高校二年生です。私たちは、愛琉さんの意思を大事にしたいと思います」

「ありがとうございます」

「私も繁村先生も、いつも以上に注意して見ていくことにしますが、嶋廻さんも何かおかしいと思ったらすぐに連絡して下さい。それと、先生が近くにいないかもしれないから、そのときは近くにいる友達やチームメイトにすぐ伝えて下さい」

「分かりました」

 愛琉は頭を下げると、職員室を出て行った。外見からは何も変化はない。あの頭の中に『不発弾』が眠っているとは未だに信じられなかった。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 8月のお盆明け。宮崎の各地区では新人大会が開催される。三年生は引退し、二年生が主戦力となった新チームで戦うことになる。

 愛琉の病気のことは、繁村から部員にアナウンスをしておいた。倒れたことは部内で周知の事実となっていたし、もし破裂による脳出血の徴候があったら、すぐに気付いてもらうことが必要だ。大会前に心配をかけたくはないが、隠し立てするわけにもいかない。本人の承諾を得て、皆に知らせた。

「マジっすか? メグルちゃん! 大丈夫なんっすか?」

「先輩は僕が守ります!」

 取り乱しているのは一年生の釈迦郡と銀鏡だ。愛琉のファン2人は、本当に心配しているのだろうが、まずは落ち着いて欲しい。いちばん心配なのは他でもない愛琉なんだろうから。

 しかし、愛琉は意外にも気丈だった。

「アタシのことは心配せんで。普通にしてれば何ともないし、部活だってできる。破裂は怖いけど、確率は決して高くないかい、破裂したからといって死ぬわけっちゃないよ。心配をかけたけど、いつも通り練習やってこ!」

 愛琉はそう言った。新キャプテンは二年生の若林に代わっているが、まだ若林にはその風格がない。お株を奪うように、愛琉の方が堂々としていた。


 本当であれば、愛琉にも『全国女子硬式野球ユース大会』、通称『秋のユース大会』という檜舞台が用意されていた。埼玉県で開催されるのだが、さすがに救急搬送された直後ということもあって、親御さんからストップがかかったのだ。妥当だとは思ったが、辛い選択だ。夏で強豪チームを相手に投打に渡って大車輪の活躍を魅せただけに、今度こそは勝利をという気持ちがあっただろうに。そう、いまいちばん辛い思いをしているのは、愛琉なのだ。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 そしてすぐ、新人大会の当日。

 主に二年生をレギュラーとする新チームが編成される。


「オーダーを発表する。呼ばれた者は大きな声で返事をするように。一番ライト栗原、二番サード泥谷、三番レフト岩切、四番セカンド若林、五番ショート泉川、六番ピッチャー畝原、七番センター金丸、八番キャッチャー銀鏡、九番ファースト青木! 以上だ。いま呼ばれなかった者も、スタメンがいまいちなときは積極的に代えていくから常に出られる気持ちの準備をしておけ。スタメンは代えられないように気合い見せていけ。いいな!」

「オッス!」


 いつもより強い口調で、繁村は選手たちを鼓舞した。

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