2-16 嗚咽

 4-3で1点差。なおも1アウト三塁というチャンスに、バッテリーはスクイズ警戒でピッチアウトする。北郷学園にとっては、愛琉相手に同点にされてはたまったものではない。何としてもここで抑えるつもりだ。二番打者は気合いのこもった投球に対応できず、三振に喫する。2アウトとなりスクイズと犠牲フライがなくなる。三番打者は負けじと思い切りスイングする。若干詰まりながらセンター前に落ちようとする。2アウトなのですでに愛琉はスタートを切っている。落ちれば同点というところで、センターの選手が執念のダイビングキャッチで同点を許さなかった。

 このプレーに北郷学園ベンチやスタンドからは、黄色い声で歓声が送られていた。

 思わず繁村も「ナイスプレー」と呟き拍手を送った。


 七回表も愛琉がマウンドに立つ。バッティングで調子が上がった愛琉は、直球とカーブを織り交ぜて圧巻のピッチングを披露する。キャッチャーも目が慣れたのか、推定120 km/hのストレートとカーブと畝原から教わったシュートのコンビネーションに対応できてきている。三者連続三振。バットに当てることすら叶わせなかった。愛琉が投げた三〜七回は、無安打無失点に打ち取っている。


 しかし、七回裏の北郷学園の守備は鬼気迫るほど、1点も与えない、否、一人も出塁させじとの強い意志を感じた。連合チームの攻撃陣も途中交代した者も含め、興梠の球に目と身体が慣れてきた頃だ。それにひょっとしてあと少しで勝てるかもしれないという希望が見出され、先頭バッターは球に喰らい付く、喰らい付く、何度も喰らい付く。フォアボールでも良い。とにかく出塁しようとファウルで粘ったが、絶妙なコースで三振を喫する。次のバッターは三遊間を抜きそうな打球が飛んだが、ショートが飛び付き全身を使ってファーストに投げた。ヘッドスライディング虚しくアウト。そしてこの回3人目の打者もまた粘りに粘って、失投を待ち、絶好球をセンター方向に巧く捕えたと思われたが、センターがバックして技ありの捕球を決めて3アウト。惜しくも試合終了となった。


 実は聞いたところ、連合チームはこの大会で勝てたことがないらしい。絶対的に少ない合同練習時間、メンバーの少なさ、記念出場として全員を一度は出さねばならないというある種の制限が、勝ち星から遠ざけていた。しかし、今回北郷学園という女子高校野球においては間違いなく強豪に数えられるところから、白星を掴めるかもしれないという試合展開だった。正直なところ、愛琉が初回から投げていれば勝てたかもしれないが、それはここでは口に出してはいけない。連合チームとしてのやり方の中で最大限戦って得られた結果なのだから。


 もう一つ、6回に愛琉との勝負を避けなかった、北郷学園を褒めたい。繁村が指揮官だったら、敬遠を指示していただろう。しかし、愛琉もとい連合チームに敬意を払って勝負を挑んだ。結果、愛琉には打たれて采配としては失敗だったかもしれないが、最終的には北郷学園の士気を高め試合には勝った。甲子園と違ってテレビ放送のされない一般的には目立たない試合だったかもしれないが、バックグラウンドを知るものが観れば、非常に見応えのある素晴らしい試合だった。


「愛琉! 凄かったぞ! 試合は負けたが、間違いなくお前はMVPっちゃ!」

「先輩! ますますファンになりました!」

「愛琉ちゃーん! 俺の応援のおかげだね!」

 中村、銀鏡、釈迦郡が次々に愛琉の功績を讃えた。他の者たちも口々に愛琉を讃えていたが、声が重なって巧く聞き取れない。

「応援ありがとう! でも、ごめーん! 負けちゃった!」

 左肩をアイシングした愛琉は眉を少しひそめて謝る。もちろん大活躍の愛琉が謝ることではないが、せっかく応援が来てくれたのに、結果に結びつけられなかったことをまず謝るところ、愛琉らしい。愛琉は繁村の方に歩いてきた。

「愛琉、お疲れさん」繁村はまず労う。

「ありがとうございます。みんなの応援があって監督がいてくれたから、ここまで頑張れたんだと思います。負けてしまってすみません。でも野球の楽しさを改めて感じました」

 帽子を取って一礼する。

「こちらこそ、素晴らしい試合ありがとう。そして、崎村さんにもお礼言わないとな」

 その意図を愛琉はすぐに酌み取ったか、一言「そのとおりですね」と言った。


 連合チームのメンバーは泣きじゃくっている。連戦連敗だった檜舞台で、初めて間近に迫った勝利、それも金星を掴み損ねてしまったことも大きいが、それ以外に初めてチームワークと負けることの悔しさ、引いては改めて野球の楽しさを感じ取ったのかもしれない。えつの中には、このメンバーでもう一戦戦いたかったという気持ちが交じっているようだ。

 そんなことを感じていると、崎村が繁村のところに来た。いつもは崎村の方から話しかけて来るのだが、今回ばかりは繁村の方から先に声を出してお礼を言う。

「いい試合をありがとうございました。特に六回に敬遠せず勝負してくれたこと、感謝します」

「ああ、あれね! 絶好調の愛琉ちゃん。もう一本ホームラン出たら同点だし、敬遠も頭をよぎったけど、うちの子たちもプライドあるだろうし、何と言っても私が愛琉ちゃんの打席を観たかったの」

 そう言った後、にこやかに「いちファンとして! あ、うちの子たちにはこれ内緒ね」と付け加えた。

「愛琉がこの試合で、野球の楽しさを再確認したそうです」

「それは良かった。愛琉ちゃんにはずっと野球してもらいたいの。先生も上手に育ててるね。去年の秋とは比べ物にならないほどレベルアップしてる」

「これも崎村監督が女子の指導方法を教えてくれたおかげです」

「先生は、愛琉ちゃんをプロ選手にする責務がある。あんな逸材、10年、いや100年に1人だよ。愛琉ちゃんは先生のもとで野球の楽しさを最大限楽しんでいる。その灯を絶対消さないこと、いい!?」

「はい、肝に銘じています」崎村のいつにもない真剣な眼差しに気圧けおされて、ついそう答えてしまったが、実際に愛琉はプロ野球選手として活躍して欲しいと思っていたのは事実で、今日の試合でよりその気持ちが固まったところだ。

「あと、いつになったら私への敬語止めてくれるの?」そう言ってニヤリと笑って去っていった。

「……すんません」こればかりはどうしても癖が抜けない。


 本当は今日、帰っても良かったが、心地良い疲労感は今日帰ることを面倒にさせた。そして、愛琉がわがままを言った。

「今日、みんな泊まってって下さいよぉ。そしてアタシも一緒に泊まらせて下さい」

「おいおい、わがまま言うなよ。連合チームで泊まるんだろう?」

「いやいや、ほとんどの子が今日のうちに帰っちゃうし、アタシは遠いし帰ると遅くなっちゃうし」と、ダダをこねる愛琉。

「監督、いいんじゃないですか? 俺は付き合います」

「俺も、愛琉ちゃん来るの大賛成っす」中村と釈迦郡が愛琉に加勢する。

 押しに弱い繁村は「しゃーねーな」と承服してしまう。

「さすが、監督! 男前!」微塵にも思っていない声が部員から上がる。

 ちょうど美郷のために女部屋も確保していることだし、ご飯以外は迷惑にはならないと思うが。民宿に電話を入れたところ問題ないとのことだった。本当に申し訳ない。


 そんな矢先、夜に事件が起こることになる。

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