2-15 記録

 北郷学園高校女子野球部が少し遅れて到着する。彼女たちにとっては、これが夏の甲子園大会。最近では競技人口が増え、参加チームも多くなった。男子の様に各県から一校というわけではないが、連合チームを含めて32チームの参加があるというから驚きだ。いきなり全国大会なので、彼女たちにとってはこの試合が数少ない公式戦になり、気合いが入っている。

 北郷学園ナインは昨年に偵察に行った以来だが、夏に向けて仕上げてきているのか、体格も良くなってきているようだ。男子顔負けと言ったら失礼に当たるだろうか。

 すれ違い様に崎村は繁村に向かって、右手を軽く上げて挨拶する。繁村も黙って軽く会釈をして返した。

 正直、この試合は連合チームには悪いが、北郷学園に分がある。野球はチームプレーだ。一緒に練習して、サインプレーなど守備の連携を確認し合ってきた者に比べれば、どうしても一時的な寄せ集めのチームは劣ってしまう。

 それでも、(一部、愛琉のように敢えて男子野球部を選ぶ変わり者の例外はいるものの)女子野球部のない県で野球をこころざす野球女子もいるはず。男子高校野球に女子が公式戦出場できない以上、このような公式戦の舞台が確保されていることは素晴らしいことだと思う。


 連合チームは、数えてみると選手は13名ほど。紅白戦もできないくらいの人数だが、ピッチャーは複数名いるということだろう。対する北郷学園の部員は多い。加えて驚いたのが応援の多さだ。もちろん男子の甲子園のようにブラスバンドはないが、保護者や友人など、宮崎から丹波まで遠路はるばるである。

 

 両チームのウォーミングアップが終わり、あっという間にプレイボールの時間となる。愛琉は2番手ピッチャーと言っていたが、ファーストで先発出場するらしい。一番ファーストで『嶋廻さん』という全国的にもかなり珍しい苗字がコールされる。日本の女子野球の聖地とされる、ここ『丹波市立スポーツピアいちじま』の野球場には電光掲示板にオーダー表示欄がないのが惜しい。また、女子高校野球ならではと言うのか、昔の甲子園球場の様な『ラッキーゾン』が設けられ、ホームランとなるフェンスが手前に設置されている。


 連合チームは後攻。最初に愛琉はファーストの守備位置につく。残念ながら、先発の投手、セカンド、サード、ショートともに、野球の能力としては見劣りしてしまうのは、決して繁村が男子野球部の監督だからではない。愛琉や以前訪問した北郷学園の女子選手と比べても、肩が弱いように感じる。とは言え、プレーが怠慢だとかいうわけではなく、非常に熱心さは伝わってくる。これはフィジカル面の問題である。


 連合チームの先発のピッチャーは奇しくも愛琉と同じサウスポーだが、直球でぎりぎり100 km/h行かないくらいに見えた。男子高校野球の基準からすれば遅く感じてしまうが、一般には球技に縁のない男子で100 km/hのボールですらなかなか投げられない。女子ということを考えれば、非常に速い。

 コントロールは良さそうだ。山なりではあるが、ちゃんとストライクゾーンに入れる制球力を有している。野球は決してパワープレーではない。スピードはなくても制球力だけでも戦うことはできると思う。ただ、ちょっとコントロールが良すぎて、バッターが打ちやすいボールを投じてしまいそうに見えた。

 その予感は的中し、北郷学園の打線は強さを増していて、次から次へと外野に飛ばして行く。ラッキーゾーンの存在もあってホームランまで飛び出した。初回に打者8人の猛攻で4点を奪われてしまった。

 1回裏の連合チームの攻撃。一番に愛琉というのもはじめて観る光景だ。北郷学園の投手は、昨年練習試合で投げたエースの興梠こうろぎではない。『藤本ふじもとさん』とコールされた、右投の投手だ。

「かっ飛ばせー! メ・グ・ル!!」

 今回、応援に参加していた一年生の銀鏡や釈迦郡らが、メガホンを持ってエールを送る。バッターボックスに入って、藤本が投じた初球を愛琉は思い切り振り抜くと、ライト方向に鮮やかなアーチを描いてラッキーゾーンにぽとりと落ちた。先頭打者ホームランだ。

「いよっしゃー! 愛琉先輩いいぞー!!」

 やはり愛琉は凄いだ、と繁村は改めて思った。


 2回の表と裏の攻防は両者無得点で、3回表の北郷学園の攻撃に入ったときに、川上監督はポジションの交代を告げる。ファーストとピッチャーの交代。つまり愛琉がマウンドに上がる。そこで何球か練習で投げているが、女子のスピードに慣れているせいもあってか、めちゃめちゃ速く感じる。それでも、いつもの愛琉よりは遅い。キャッチャーが捕れないからだろう。120 km/hは到達しないスピードで、投球練習を終えると、2周目の北郷学園女子打線を三者凡退で切り抜けた。四番キャッチャーのさかが辛うじてセカンドゴロだったが、あとの2人は三球三振である。先発投手のボールが速くなかったので、急に20 km/h(体感速度でいえば恐らく30 km/hくらい)も速くなってはまず対応できまい。一方の愛琉も、昨年は男子と比べて狭い小柄な女子のストライクゾーンに適応できなかったが、自主練では身長160 cm前後の小柄な黒木や一年生のすみらをバッターボックスに立たせては低めに投げる練習を重ねてきたのが、功を奏したのだろう。


 崎村は渋い顔をしている。このまま愛琉が投げ続ければ、これ以上の追加点は難しいと判断したに違いない。早いカウントから振って行き、当てられればエラーを誘えるかもしれない、と繁村が監督ならそう指示するし、崎村もそう指示したことだろう。


 3回裏からは北郷学園も投手をエースの興梠に交代した。エースは先発の投手とはやはり球質が違う。昨年度は力任せではなく、コーナーを丁寧に突くピッチングをしていた印象だが、丁寧さは保ちつつも、ボールにさらなる勢いが加わったように見える。キャッチャーミットに吸い込まれる音に重みを感じる。

 二回戦以降も見据えた戦いにおいて少しでもエースを温存させようと考えたかもしれないが、そんな愛琉の前ではそんな綺麗事など通用しないと思ったのだろう。


 興梠の勢いのあるピッチングに、連合チームのナインも打ちあぐねている。一周目の打席は、愛琉のホームラン以外に、安打は五番バッターの選手だけだ。ちなみに2打席目の愛琉は、ライト前のヒットを放っている。いつも畝原や岩切の投げるボールでバッティング練習をやっている愛琉にとっては、打ちやすい球なのだろう。


 2周目の北郷学園の打者陣は主に速球のみでねじ伏せ、速球に目が慣れてきた3周目から、今度はフォームからは判別のつきにくいブレーキのかかった70〜80 km/hの超スローカーブを交えている。40 km/h以上もの緩急ですっかりきりきり舞いにされている。

 北郷学園は愛琉から一本の安打すら許してもらえない。野手のエラーとカーブを捕手が後逸したことによる振り逃げによる出塁のみで無得点。対する連合チームも、愛琉が3打席目で猛打賞となる右中間のツーベースとなるヒットを打ったり他の選手にも快音が飛び出すようになった。5回についに犠牲フライによる1点を返し、4-2で迎えた6回裏の攻撃で八番打者に送られた代打の選手が、内野安打で出塁し、九番の打者が送りバントで得点圏にランナーを送る。寄せ集めと言ったら失礼だが、実際どちらかと言えば記念の出場という意味合いに近い連合チームは、打線という意識よりも、打席に立って思い切りバットを振ることに重きを置いているように思えたが、ここで初めて繋ぐ意識が芽生えたようだ。次は愛琉。3打数3安打1本塁打という北郷学園にとっては最も恐るべき怪物選手。内野守備陣はマウンドに集まっている。伝令まで送っている。

 敬遠か。即座に繁村は作戦を読んだ。一塁が空いていて、二番、三番の方が脅威が少ない。通常、四番打者を敬遠することが多いが、当たりに当たっている愛琉を前にしては、その判断は当然あり得べし、である。

 キャッチャーが立つか。女子野球に申告敬遠が認められているか分からないが、予想に反し、興梠は普通にセットポジションでホームベースを目がけて投げている。勝負に行ったのだ。いくら相手が強打者とは言え、練習試合しか認められず活躍の場が限られている男子野球の世界で孤軍奮闘している愛琉に、敢えて勝負することで敬意を表したのだ。思わずその戦略を選択した崎村に敬意を表した。

 当然、バッテリーは気合いが入っている。内角をえぐるように攻めている。しかし、愛琉は達観したように落ち着き払っている。内角の球を右足を少し後ろに引いて、両腕を畳みながらもしっかりバットに力を与えるべく身体を素早く回転させた。最近女子プロ野球を観戦するようになったが、プロでもこんなに技ありのバッティングをする選手は少ないのではなかろうか。ライト線ぎりぎりのフェアを放つ。あっという間にラッキーゾーンを形成するフェンスに当たる。二塁ランナーは余裕のホームイン。俊足の愛琉は、猪突猛進で迷わず、三塁を落とし入れた。

「サイクルヒットかよ」

 思わず、繁村はうなる。

「えっ? あ、ホームラン、シングルヒット、ツーベース、スリーベース。あ! 本当だ! 凄い! サイクルヒットですよ! 先輩!!」

「まじか! 凄い! 女子高校野球初の記録じゃない? 愛琉ちゃん!」

 隣で横断幕を持っていた銀鏡や釈迦郡は、投打で大車輪の活躍を見せる愛琉に声援を送った。そんな記録をまるで気にも留めていなかったかように、愛琉は三塁上でヘルメットが被さった野球帽を一度持ち上げて爽やかに汗を拭った。

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