2-14 丹波

「先生、繁村先生!」

 ミーティング後、聞いたことのある声で呼び止められた。北郷学園女子高校野球部監督の崎村である。

「何ですか?」

「おつかれさま、いい試合だったね。無失点を続けていた園田くんから、あそこまでの反撃、見事ね」

「ありがとうございます」

「改めて思った。このチームは強いのは確かだけど、その推進力になってるのは、間違いなく愛琉ちゃんの存在ね」

「そうっすね。僕も、愛琉には感謝してるんです」

「私も、あの娘が欲しいと思ってたけど、こんなにチームに不可欠な存在になってたら、気安くくださいとは言えなくなっちゃったな。悪かったね、ごめん」

「いえ、大丈夫です」

「相変わらず、先生、硬いな。前も言ったじゃない。私に敬語は不要って」

「すんません、どうも敬語癖が抜けなくって」

「そっか。じゃ、敬語抜けるように努力してね、でさ、行くんでしょ? 丹波に」

「聞こえてたんです?」

「ええ、あれだけ盛り上がってたじゃない?」

「そうですね、おかげでお通夜みたいなミーティングじゃなくなりました──、なくなったよ」無理に敬語を直そうとして逆に不自然になった。

「はっは、お通夜みたいって」面白かったのは不自然なタメ口ではなくて、繁村の比喩の方だったらしい。崎村は続ける。

「私も連合チームの応援に行っていい?」


 ◇◆◇◆◇◆◇


 半ば強引に崎村の同行を許可されてしまったが、そもそも崎村は自分の女子硬式野球部を引率するため行く予定である。しかし、愛琉の属することになる『全国高等学校連合チーム』の試合のとき、応援に行きたいと言う。


 急いで繁村は希望者の人数分の宿を手配する。ホテルに泊まるほどリッチではない。球場からほど近く、最寄りのたんたけ駅近くにある民宿だ。大部屋に雑魚寝で構わない。料理も豪華なものなくて構わない。ただし、最短一泊二日で帰ることになるが、雨天中止の場合は延泊。勝ち残った場合は希望者を募り延泊となるが良いかというわがままな条件なので、個人経営の民宿だと比較的融通が利いた。

 一通り交渉を終えて、マネージャーの美郷の分の部屋を確保することを忘れて、慌ててもう一部屋小さなところを確保した。愛琉は、連合チームで宿舎を用意しているらしく、そちらに泊まるので不要である。

「いいなー! いいなー! 監督、アタシもみんなと同じところに泊まりたい」

 いや、そりゃダメでしょう。愛琉はこの期間『連合チーム』の一員なのだし、ミーティングや作戦会議だってあるだろうから、1人だけ勝手な行動は先方の監督に迷惑がかかる。だから諦めてくれ、と言って説得した。愛琉はぶっちょうづらだったが、仕方あるまい。応援に行った会場で会えるわけだ。しかも、どうやら、連合チームの宿舎も、繁村たちの泊まる民宿に近いらしく、行き帰りも一緒になるかもな、と言って、なだめておいた。

 

 行程を調べてみると、結構遠い。兵庫県にはたみ空港があるが、丹波市はそこからかなり北上しなければならない。電車などで2時間以上かかる。バスは神戸や大阪方面には伸びているものの、丹波方面はなさそうだ。幸い、宮崎市に存在する宮崎ブーゲンビリア空港は、国内でも市街地から抜群にアクセスのいい部類にはいる空港なので良いが、着陸してからの旅程が長く引率するのも結構大変そうだ。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 数日後、連合チームでの合同練習のために先に出発した愛琉から電話が入った。

『監督、ご無沙汰しています!』

「ご無沙汰って、数日ぶりじゃないか?」

『監督とは、数日会わないだけですごく久しぶりですよ』

「確かにな。で、どうした。わざわざ電話してくるなんて。ホームシックにでもなったのか?」

『それはないですよ。あ、まぁ多少はありますね。清鵬館宮崎でないところはどこか勝手悪くて』

「おいおい、そりゃ川上監督に失礼だろう」

 連合チームの監督は川上という。

『あはは、そうですね。大丈夫です、近くにいないですから。で、本題なんですけど──』

 その瞬間、少し嫌な予感が走った。そして的中することになる。

『──初戦の対戦相手が決まりまして、北郷学園です』

「……」

『どうしたんです? 驚かないんですか?』

「何となくそんな予感がしたんだよ」

『すっごーい! 予知能力ですか!?』相変わらず愛琉は、練習と試合以外では無邪気な話し方をする。

「そんなことはない。でも、三十路を過ぎると、何となく分かってくるんだ」

『へぇー、そーなんですね』

「とにかく、どこが相手でも愛琉は全力を出すまでだ。頑張れよ」

『はーい! みんなに会えるの楽しみにしてます!』

「そっちかい。いつも会ってるのに……」

『今度は、アタシのために来てくれるんだから特別ですっ』

「ま、とにかく頑張りなさい。川上監督に迷惑かけるなよ」

『かけませんよぉー。では、これで失礼しますっ』

 と言って、電話は切れた。


 そしてしばらくして、再び電話が鳴る。仕事と部活以外で積極的な交流のない繁村にとって、こんなに電話が鳴るのは珍しい方だ。

 着信の相手は崎村だ。先ほどの愛琉の電話で用件は分かっている。

『なんだ〜、先生、驚かしてやろうって楽しみにしてたのに、愛琉ちゃんに先越されちゃった〜、残念』

 間延びする口調が、どこか愛琉に似ているが、黙っておいた。

『とゆーわけで、愛琉ちゃんの応援できなくなっちゃったよ。ごめんね〜。でももしうちが負けたら、その後は愛琉ちゃんを応援するんだから。あ、でもそんなことは万が一でもないと思うけど』

 いつも通り会話は一方的で、電話は切れた。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 そして、愛琉の初戦の前日、愛琉を除く野球部一同は、丹波の民宿に泊まり、どこか観光気分を味わっていた。部員たちはいつも愛琉にエールをもらっているので、逆の立場になる明日は、愛琉のために横断幕を用意していた。


 翌日、試合の日。

 日頃から愛琉が世話になっている連合チームと川上晃一かわかみこういち監督と挨拶する。

「いや、こうやってきて頂けるのは光栄ですよ。嶋廻さんも喜んでます。試合展開にもよりますが、2番手で起用しようと思ってますので、よろしくお願いしますね」

 このチームは連合チームである。初戦敗退して出られないではいけないので、絶対全員出さないといけない。よって、愛琉の他にピッチャーがいれば、完投することは叶わない。

「わかりました。ありがとうございます。よろしくお願いします」

 形式的ではあるが、繁村は礼を言った。


「おー、これが連合チームのユニフォームか、カッコいいっちゃな!」主将の中村が言う。

 連合チームのユニフォームは、白地に深緑色の文字で『TAKEDA』と書かれている。連合チームではあるが、本拠地がたんたけにあることから通称『竹田連合』とも呼ばれているらしい。

「ありがとうございます! でもいつものブーゲンビリア色っちゃないですから、慣れないですね」

 確かに、愛琉は髪留めをブーゲンビリアの花をあしらったものをいつもつけてくるなど、この色がパーソナルカラーと言わんばかりに執着している。繁村自身、見慣れないのでどこか違和感を感じる。もちろん似合っていないとは言わないのだが。

「じゃじゃーん! 愛琉のために横断幕作ってきたっちゃよ!」

 横山が得意げに言って、手作りの横断幕を広げるため一年生に手伝わせている。

「マジで!? 何か恥ずかしいなぁ……、あ? うん??」

 愛琉がのぞき込む。そして表情が曇る。

 横断幕には『一球入魂! 輝け清鵬館宮崎の星! 嶋廻愛』と書かれている。

「こら! アタシの名前間違えてっぞ! ちゃんと書かんか!」

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