2-13 辛辣

「お、俺っすか!?」

 黒木は完全に油断していたようで、素頓狂な声を上げる。

「そうだ! 準備しろ」

 二年生には俊足な選手が多い。栗原、金丸、泥谷、そして黒木。栗原はすでに出ているし、金丸も代走として九番に入ってしまっている。泥谷は元来右打で、いま左打を練習しているがまだ安定感に欠ける。黒木は栗原や金丸に比べ華やかさはないが、選球眼が良い。選球眼の良い打者は投手にとって嫌な存在だ。しかも比較的小柄な上低く構えることから、ストライクゾーンはさらに狭く感じる。俊足で転がせば何か起こりそうな期待が持てるし、フォアボールでも良い。愛琉も「黒ユメは、何か投げにくい」と愚痴を垂れていたのを思い出す。

「おおおおお! 黒ユメ! 頼むぞ!」愛琉がさらに大きな声で、ガラガラ声でエールを送る。

 期待どおり、低く構える。あと1人コールも虚しく、2ボール0ストライクとボールが先行する。3球目、ようやくストライクゾーンに来たボールは、サード方向にカットする。この押川投手は、ストレートは速いが、目立った変化球がない。これでスライダーが加われば、相当手強いだろうが、幸いにもなさそうだ。

 4球目はボール。

「よしよしよし! ナイセン(ナイス選球眼)!」

 そして5球目もカットした後、6球目はインローに外れて、黒木は期待どおり出塁してくれた。まだまだ簡単に終わらせない。

 次の打者はピッチャーとして代わったばかりの岩切。運が良いことに左打者だ。しかし、岩切は足が遅い。長打力はある。万が一延長になるかもしれないことを想定し、ここで代えるわけにはいかない。残りの控え投手の薬師寺は一年生で、さすがにこの場面でマウンドを託すのはこころもとない。

「フトイ! 何でもいい! 打てぇ!」

 無言で左バッターボックスに入る岩切。ピッチングが調子良かったので、比較的落ち着いて構えられている。

 その岩切は3球目を捕えた。ライト前に落ちたボールはヒットエンドランとなり、俊足の黒木はサードに楽々到達した。2アウト一、三塁。

 次のバッターは非常に悩ましい。絶好調の新富なのだが、右バッターなのだ。左の打者で打てそうな控え選手として泉川がいる。泉川は代打でホームランを打つくらいの勝負強さもある。しかし、新富も好調なのだ。悩んだ挙句、新富をそのままバッターボックスに送り込んだ。新富にとっては最後の夏なのだ。ここで容易く代えられるほど繁村は非情ではない。


「新富さん、もう一発お願いします!」

 新富はどこか毅然とした立ち振る舞いをバッターボックスで見せた。先ほどの三塁打で充分北郷学園にインパクトを与えているが、改めて打ってくれそうな構えだ。

 対峙する押川は、おそらく得意としているはずの右打者相手だ。初球は膝元ストライクゾーンぎりぎりに飛び込むストレートを見送った。まるで端からこのボールは狙っていないかのように。

 2球目も同じようなコースへのストレートが決まる。早くも追い込んだ押川は少し楽になったように見えるも、サインを確認しようとする新富の表情は変わらない。九回2アウトだし、足の遅い岩切に二盗をさせるのも酷だ。ここは小細工なしで、打って行けのサインを送り続ける。

 1球外して牽制する。1ボール2ストライクからの4球目、決めに行ったボールだろうが少しインコース高めの甘いコースに入った。新富の得意なコース。待っていましたと言わんばかりの強振。快音を鳴らして大飛球を飛ばす。

「これは!?」

 飛距離は充分。入れば逆転サヨナラ。あとはコースはレフトポールの内か外か。三塁塁審の両手は──。


 無情にも両手を挙げている。ファールのサインだ。ポールの外側を通過してしまったようだ。

「くーっ! 惜しい!!」愛琉が繁村の感情を代弁する。

 逆に北郷学園のベンチからは安堵の声。スタンド席からもどよめきが聞こえた。


 押川は少し動揺したか、その後2球ワンバウンドのボールを投げてしまう。キャッチャーは身体で止めたため、一塁走者の岩切は動けない。力んでいるのか。キャッチャーが立ち上がって、落ち着けと合図を送る。

 フルカウントで迎えた6球目。低めコースの直球。新富は見送った。フォアボール──、と思いきや、審判は拳を挙げ、大きな声でストライクを宣告した。


 5-3。惜敗。全国高校野球選手権宮崎大会はベスト4どまりで、今年の夏は終わった。


 試合後のミーティング。負けた後のミーティングはどうしてもしめやかなものになる。特に最後の夏をかけた一戦で負けてしまったときは。

 最後のバッターになってしまった新富は、辛い心中を吐露した。

「どうしても、俺はみんなと監督と甲子園に行きたかった。試合に出られない愛琉と美郷を甲子園に連れて行きたかった。なのに、最後、絶好のチャンスで送り出してくれた監督の期待に応えられずすみません……」

 感極まって悔し涙を流す。

「何言っちょる? 佳寿かず! お前のせいっちゃない。お前は反撃の立役者ちゃないか? むしろ責められるのは、前半で攻めあぐねてたスタメンの俺らやかい、そんなこと言うな」そう切り出すのは三年生のセンターを守るがたはるだ。

「そうだよ。新富くんがいたから、ワンサイドゲームだったのを僅差まで持って行けたんじゃないか?」と、同じく三年生のサードのくしじょうも続く。

「あ、ありがとう。でも、これだけは言っておきたい。バッターボックスでいちばん背中を押してくれたのは、スタンドから一生懸命エールを送ってくれた愛琉だ。あの声援があったから最初の打席で打てたんだと思う。だからこそ愛琉を甲子園に連れて行きたかった。たとえベンチ入りできなくても、いや、ベンチ入りできないからこそ、試合に出られない選手の分までベンチ入りの俺らが頑張らなきゃいけなかった。すまん。そしてありがとう。俺の夏は終わったけど、愛琉がいてくれて充実した高校野球生活が送れました」

 最後、新富の後方にいる愛琉の方を向き、頭を下げた。新富は、愛琉の投球練習をいつも受けていた。これは投手の練習というのもあったが、捕球の練習として愛琉を付き合わせていたことも多かった。練習相手としてかなり身近で特別な存在だったのだろう。

 顔を起こした新富は目に涙を滲ませながらも、どこか晴れやかな表情だった。そして、愛琉がどこか虚を衝かれたような、あまり見せない表情をした。


 最後は、主将の中村稀弥なかむらまれひさのセリフ。

「今日は良い試合でした。勝てなかったのはとても悔しいけど、北郷相手に善戦したと思うし、ベスト4は堂々と胸を張って良いと思う」

 それから、中村はキャプテンとして一年間チームをまとめ上げてきた責任と重圧、三年間繁村の世話になったこと、皆に対する感謝を語った。

「俺は、三年間、清鵬館宮崎の野球部員としてプレーできたことを誇りに思います。そして、最後に提案と言うか、監督にお願いがあります」

 急に改まって繁村の方を向き直した。「何だ?」

「女子硬式野球選手権大会、丹波であるじゃないですか? あれ、部員のみんなで応援に行きませんか?」

「あ、それいいね?」

「俺も行きたいって思っちょった」

「甲子園に出るとなると難しいけど、負けちゃったかいね」

「ベスト4になったんだし、監督、ご褒美だと思って」

「バカ言え、旅費は個人持ちっちゃろ?」

 部員から口々に賛同する意見が出る。

 思いがけない提案に繁村は少しまごついた。つまり、その期間の練習は免除して欲しいというおねだりなのだろう。

「め、愛琉、いいか?」つい、愛琉の助けを求めてしまった。

「え、い、いいですけど……」

「そ、そういうことだ」

 繁村は丹波行きを約束してしまった。

「やったー!」急にミーティングが明るい雰囲気になる。

「あ、旅費全員分を払うほど俺はリッチじゃないぞ」

「あー、残念! 少し期待してたのに」

「監督、もう一息」 

「分かった分かった。現地で焼肉くらいおごっちゃる」

「さっすが! 太っ腹」

「キャー! 監督! イケメン!」

 皆、好き好きに言いたい放題である。


 かくして、丹波行きを計画することになった。完全に事後ではあるが、まずは教頭に言っておかないとな、と思った。


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