2-12 猛追

「畝原を変えるんですか?」

 主将の中村が聞いた。

「ああ、畝原はこの投手にタイミングが合っていない。しかも苦手のインコースを徹底的に狙っている。しっかり研究されているようだ。新富のバッティングは最近好調だし、勝負強さもあると思ってる。それに唯一三年生でレギュラーを外れて、くすぶってるはずだ」

「なるほど。そうですか」

 新富は三年生でただ1人レギュラーの座を下級生の栗原に奪われ、悔しい思いをしてきたはずだ。キャッチャーとしての才覚を見出し、ライトとキャッチャーの二足の草鞋わらじで、人の2倍練習してきた。素振りに至っては人の5倍はしてきた。

 どれだけ他の同級生と一緒にプレーしたいと思ってやってきたか、想像するに難くない。そして新富はいま燃えているはずだ。

「畝原に代わり代打、新富、門川に代わり代走、金丸かなまる

「キャー! 新富さん! 見せ場っすよ! 打っちゃって下さい! 金丸和也! 絶対生還しろよ!」

 無言だが、スタンド席で声援を送る愛琉に右手を挙げて呼応する。

 代走の金丸は、次期センター候補として考えている俊足の選手だ。

 新富の素振りは風を切る音が聞こえるほど鋭く速い。バッティングだけなら、レギュラーの門川や串間、畝原、ひょっとしたらキャッチャーの児玉よりも上のような気もする。ここはランナーを溜めたいので、送りバントは要求しない。


「よっしゃー、さあ来い!」

 右のバッターボックスに入った新富は、園田に威勢良く声を上げた。

 インコースの球が2球外れる。珍しくボールが先行した。牽制球も3球投げている。

 新富の構えは、隙が少ない構えだ。ストライクゾーンの球は全部当てに行けるだが、先のボール2球は、自信を持って見送った。選球眼の良さは、時に投手を圧倒する。

 3球目はインハイの直球を思い切り強振するも、三塁側のファールグラウンドに勢い良く飛んでいる。セオリーで行けば流して欲しいが、この投手からそこまでのことは望んでいない。

 また牽制球。そして2球牽制球を投げる。金丸も巧くプレッシャーを与えている。5点差あるので、そこまで警戒する必要はないはずだが、完封を意識し始めているのか、先ほどまでとは明らかに違っている。そして、4球目は外角。新富はそれを狙っていましたと言わんばかりに、振っていった。ファーストの頭上を越える。得てしてこういうときはフェアグラウンドに飛ぶものである。先ほど児玉がなし得なかった、ライト線ギリギリの鋭い打球を飛ばす。あっという間にフェンスに当たる。ライトはやや前進位置にいたため、慌ててボールを追いかける。

 その間に金丸はあっという間に三塁に到達し、三塁も回ろうとしていた。と同時にバックホームがされる。強肩で鋭いボールが返球されるが、余裕を持って金丸は生還した。打者の新富は三塁に到達していた。


「やったー!! ナイスバッティング! 和也ナイラン!」

 愛琉の歓喜の声。この試合いちばんの盛り上がりだ。


 続く栗原のところで、タイムを取って内野陣が集まる。栗原は何度も素振りをする。栗原は3の0で抑えられている。しかし、チーム1の俊足、巧打の自慢のリードオフマンである。

「栗原! 行けぇ!」愛琉は明らかに相手チームを含めてもいちばん声を出していた。


 タイム後、栗原が左バッターボックスに入る。先の3回の打席とはどこか違って静かな威厳を感じる。

 少し気が楽になったのか、ポンポンと2球立て続けにインコースにストライクを入れる。1アウトだが、スクイズのサインは出さない。


 それからボールやファールでフルカウントを迎えた7球目。打球はショート方向に強く叩き付けた大きなバウンド。硬い地面でよく跳ね返り、2バウンド目の落下までにやや時間がかかる。ここは通常ランナーバックホームは見送る場面だが、新富はホームを狙っていた。バックホームと交錯するが、巧いことキャッチャーのタッチをかいくぐるヘッドスライディングでセーフ判定。5-2となる。

「よっしゃー!」愛琉は雄叫びを上げた。

 新富は、味方ベンチで迎え入れられ抱きつかれたり頭を叩かれている。八回裏で負けているのにこのお祭り騒ぎ。浮かれるのはまだ早いが、流れはうちに来ている。

 二番の緒方には耳打ちでセーフティーバントを指示した。左バッターボックスで構える。初球を投げた瞬間にバントの構え。少し早かったか、ファーストとサードが猛進している。読まれたか。これではセーフティーバントどころか二塁に送れないかもしれない。しかし栗原は既にスタートを切っている。サードの横に転がしたボールは、サードが捕球し、二塁は諦め、一塁に送球する。ファーストベースカバーの二塁手が捕球しアウトとなる。しかし、何と栗原は猛スピードで二塁も蹴り、三塁を狙っていた。

「サード! サードに投げろ!」

 慌ててサードは三塁に戻る。ボールとタッチが先か、ランナーが先か。栗原の獲物を狙うチーターの如く恐ろしく速い、始めからスライディングを想定した、やや腰を落とし気味の不格好だが理に適った走り方だ。絶妙なタイミングで交錯したが、ヘッドスライディングで見事落とし入れた。セーフ判定にベンチは大盛り上がりだ。


 次の打者、由良のところで、栗原がリードを大きく取り、園田にプレッシャーをかけている。園田はそういうプレッシャーに弱いのだろうか、前半ではあり得なかったワイルドピッチ記録してしまう。労せずして追加点で5-3。ここでついに園田をマウンドから引き摺り降ろし、背番号10をつけた右スリークウォーターの二番手、押川おしかわ投手が登場した。

 この回はこれで追加点を得ることはできなかったが、北郷学園にとっては楽勝ムードから一転した。


 9回のマウンドに立つことになった岩切は、少し緊張気味だ。七番のキャッチャー児玉との交代で、先ほど代打で登場した新富とバッテリーを組む。

「気負うなよ、フトイ!!」

 愛琉は、いつも通り勝手につけたニックネームで鼓舞する。

「フトイじゃねー!」

 岩切はこの期に及んで突っ込んでいる。しかし、緊張している場面では、ちょうど良い弛緩剤になったかもしれない。

 落ち着いて先頭の五番バッターをセカンド正面のライナーに打ち取ると、より緊張が和らいだか、決して速くはないもののコースを丁寧に突くピッチングで六番バッター、七番バッターをレフトフライ、ピッチャーゴロで打ち取った。無得点、無安打、無四球で最終回の相手の攻撃を乗り越えられたのも流れを断ち切らない上で非常に重要だ。


 最終回の攻撃は、四番打者の中村。

「キャプテーン! 出てくださーい!」愛琉は叫ぶ。

 しかし、二番手の控えピッチャーと言えど、決して生易しくない。むしろ、普通の高校なら、大抵エースを張れるくらいの手強いボールを投げてくる。140 km/hくらい出ていそうだ。右バッターの中村にとって、打ちにくそうな右のスリークウォーター。結局引っ掛けてしまい、ボテボテのサードゴロで出塁ができなかった。

 次は今日、五番に入った右打者の串間。しかし、串間も空振り三振に倒れてしまう。

「まだまだ、野球は2アウトから!!」

 この押川は、プレートのサード側ギリギリの位置に立って、さらに左足を、ややサード寄りに踏み込む独特の投げ方。右打者に取っては背後から投げられているような、非常に打ちづらそうな球を投じる。

 六番は右打者の若林。すかさず、繁村は立ち上がった。

「若林に代わって、黒木!」

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