2-09 忖度
◇◆◇◆◇◆◇
広瀬高校戦の日。7月の時期的にはもう夏休みを迎えるころ。晴天に恵まれ今日も非常に暑い。
球場に着くと律義なことに相手校の監督が直々にこちらの方に向かってきた。
「はじめまして、広瀬高校監督の
ずいぶん平身低頭な監督だ。年齢は繁村と同い年くらいか。
「いえいえこちらこそご丁寧に。すみません」
「秋の九州地区大会の県予選の前とか後とか、ぜひ良かったら」
ありがたい。向こうから試合をしましょう、と言ってくれるのは。律義な監督である。
「はい。よろしくお願いいたします。連絡先お渡しします」
一通りやり取りすると、山下が口を開いた。
「あのー、話変わるんですけど、繁村監督って、2003年夏の準優勝メンバーですよね?」
何と、そのことを知っているとは。
「あ、はい。よくご存じで」
「ええ。宮崎の野球やってる人間からすれば、あの年の快挙は有名ですよ。惜しくも
「ありがとうございます」
少し照れ臭くなった。どう考えてもエースの白柳の投球術が卓越していたから、繁村も評価が上がっているようなものだ。
「実は、僕、北郷学園で野球やってたんです。で、2003年の県予選で清鵬館宮崎さんと対戦して、当時、僕は二年生でベンチ入りしていたんです」
何と、現役時代に対戦したとは。2003年に二年生ということは、繁村の一学年下ということになる。
「あ、そうだったんですか? 気付かずにすみません」
「いえいえ、当時は控えでしたから。でも、1アウトランナー一塁、同点の場面で代走で起用されたんです。足は速かったものですから。監督から自分の判断で盗塁狙ってもいいぞって言われてたんです。でも……、白柳さんの牽制術になかなかリードが取れなかった」
残念ながら、繁村は山下が代走で出場していたことをまったく記憶していない。
「あいつは牽制も上手かったですね。サウスポーでしたし、クイックモーションも良かった」
「でも、僕は、どうしてもレギュラーの座が欲しかった。部員が多くて競争が激しい北郷学園では冒険も必要だと思って、思い切って
「そ、そうですか」
丁寧に説明してくれているが、それも残念ながら記憶にない。
「相当落ち込みましたけど、甲子園で赤木選手の盗塁を何度も阻止してるのを見て、繁村さんは本当にすごい人なんだなと思いました」
「あ、ありがとうございます」
「す、すみません。僕ばかりしゃべってしまって」
「いえいえ。今日は試合、よろしくお願いします」
そろそろ準備しないといけないと思い、取りあえず練習試合についても内諾を得たところだし、一旦話を切ろうと思った矢先であった。
「あ、あともう一つ。御校の女子選手のことですが……」
ステップをいくつか飛ばして唐突に本題、いや核心に迫る話題に繁村は驚いた。
「ごっ、ご存知で?」
「ええ、お話は伺っています。私からも会長の後藤にお願いしておきます。僕のいた北郷学園には女子野球部がありますし、当時もありましたけど、彼女が何でわざわざ北郷さんではなくて御校に来たのか。野球の指導者が宮崎の高校野球史に名前を刻んだ名キャッチャーの繁村監督だって分かれば、無理もありません。試合に出ることは難しいと思いますが、せめて県大会くらいではノックやベンチ入りくらいできないものか、と僕は個人的に思います。でも会長がたまたまうちの校長ってなだけで、僕には何の権限もありませんが、もう一度プッシュしたいと思っています。できれば、会長だけでなくて理事長も交えて話をしてみてもいいかもしれません」
「そうですね。理事長もいらっしゃいますよね。役員の組織体制とか、私のような末席の人間は疎いもんで」
「理事長もうちの高校の教員です。
「そうだったんですか」
繁村は自分が調査不足だったことに歯噛みした。理事長が同じ高校であることをちゃんと調べておけば、最初から同席をお願いすれば良かったのだ。しかし、山下から思いがけない言葉があった。
「今日ですけど、戸高も来ます。試合のあとでも少しお時間頂ければ、お話しましょうか?」
「ありがとうございます」
礼を言った直後、繁村のお願いを聞いてもらう見返りに、清鵬館宮崎に手加減を要求されるのではなかろうか、と心配になった。もちろん
「あ、もちろん、清鵬館宮崎さんが勝ったとしても、その話がなくなるとかそんなことはしませんからご安心下さい。『
「ありがとうございます」
もう一度繁村は、礼を言った。
少し遅れてきた甲斐教頭にさっそく、山下との会話の概要を伝えた。
「承知しました。でも、選手たちにはこの話の内容は絶対伏せておいて下さい。いくら忖度が不要と言っても、嶋廻さんがダシに使われると分かっては、本来の力が出ません。そして、嶋廻さんがいちばん嫌がると思います」
「そのとおりですね」
全部向こうから言ってきたことなのだが、こちらとしても変に神経を使うことになったな、と頭を掻いた。
広瀬高校は、ベスト8に残っているだけあって、動きが良い。部員もそれなりの人数を擁しているし、宮崎市内の公立高校では有数の野球名門校ではなかろうか。先発はエースナンバーをつけた
「なんや。忖度もなにも、打てんちゃないか……」
繁村は独りごちた。
「忖度って何です?」たまたま隣にいた主将の中村が言った。
「あ、いや何でもない」
一瞬焦った。愛琉の試合前ノックの交渉権をかけていて、うちが負ければ交渉が有利に進むなんてことはあってはならないのだが、変に勘繰られては厄介だ。
何と五回までパーフェクトピッチング。鎌田自身、調子が良いのだろうが、ここまで打てないのも珍しい。
一方、こちらの先発のエースの畝原も踏ん張っている。フォアボールを出したり、ヒットを打たれたりエラーも出たりしてランナーを出し、そのあときっちり送りバントを決められても、タイムリーを許さない。得点圏にランナーを置かれたときにちゃんと抑えている。しかし、球数が多いので苦しそうだ。こちらの攻撃はすぐ終わる。援護となる得点はなく、ひたすら守りの時間が長くなっているので、流れが悪い。0点で抑えているのが不思議なくらいだ。
そのまま六回表の清鵬館宮崎の攻撃に移る。が、しかし下位打線の回で七番の児玉、八番の門川があえなく凡退する。
「監督」中村主将が繁村に話しかける。
「どうした?」
「今日の監督、何か静かです。畝原がこんなに頑張ってるのに、教頭も見に来てくれてるのに、監督が野手陣を鼓舞しないのは珍しいです。何かあったんですか?」
繁村はドキリとした。忖度のことばかり、そしてそれを悟られないかとかそんなことを気にするあまり、監督自身声が小さくなってしまったようだ。
次は、今日は、泉川を九番打者に据えていたのだ。九番と言えど、バッティングは侮れない選手だ。
ネクストバッターサークルからそのまま左のバッターボックスに入ろうとする泉川準一を、慌てて呼び止めた。
そのときだった。ベンチの上から甲高い声が聞こえた。
「こら、準一、ここで打て! 絶対打て!! 打たんと、次もレギュラー無理っちゃ!」
「なして、そんなこと言う? ムカつくな!」
「だったら打って来い! 球速いけど、お前速球得意だろう? バックスクリーンに放り込んで来い」
「簡単に言うな!? そげん上手くいくか!?」
「そこを何とかしろー!」
そのとき、審判が泉川に注意した。
「次のバッター、早くしなさい」
「す、すみません」
謝りながらも振り向いて愛琉がいるだろう方向を睨み付けた。相当、怒っているようだ。
テンポ良く投げ込んでいる鎌田に簡単に追い込まれた。2球ともファールだったのだ。
「チッキショー」
泉川はかなり悔しがっているが、振り遅れている。その後、3球ファールを続けたあとだった。
ど真ん中にやや勢いのないボールが放られた。
「チキショー!」そう言いながら泉川は強振すると、金属音とともに白球がライナーでセンター方向に飛んでいく。泉川のやや変則的なスイングから放たれる打球は、低い弾道でぐんぐん飛んでいくのが特徴だ。センターは一瞬前進したあと、バックスピンが思い切りかかった飛球に慌てて後退する。
「行った!」中村が呟いた。
フェンスの金網の上ギリギリを、勢い良く飛び越えていった。あまりにも滞空時間が短く弾道も低いが、ホームランであるのは間違いなかった。
「おおおおお! 凄いぞ! 準一!!」
雄たけびのようなかけ声で喜んでいるのは、愛琉だった。
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