2-08 雪辱

 決して蝦野のエース、蛯原もランナーを警戒していなかったわけでない。むしろ牽制球を投げていたくらいだか、畝原が動いたのだ。盗塁を仕掛ける。銀鏡はそのボールを見送ったが、幸いキャッチャーからの送球が少し上ずった。その瞬間を三塁走者の新富は見逃さなかった。ホームにスタートを切ったのである。セカンドカバーに入ったショートの選手がジャンプして少しった体勢で捕球すると、自然とセンター方向にボールに押された形になる。ゆえにバックホームは難しくなる。新富はヘッドスライディングを試みる。ショートの選手のバックホームと交錯する。果たして判定は──。

「セーフ!」

 球審の声が響き渡る。

「よっしゃ! いいぞ、新富!」

「新富さん! ナイス!」

 一塁側のベンチの中も外も大盛り上がりだ。絶妙だが、一か八かのいい判断だった。結果的にセーフにはなったが、自分の判断を信じた新富に軍配が上がった。

 同点にした後、とうとう蛯原は動揺したか銀鏡には死球デッドボールを与えてしまう。「ナイスガッツだ、銀鏡」と言う愛琉のエールに呼応し、銀鏡は「愛琉先輩の声援があればこれくらい痛くありません!」と謎の発声をしながら一塁に進む。ノーアウト一・二塁で一番打者の栗原が右中間にフェンス直撃の大飛球を飛ばした。これが走者一掃となっって、さらに2点を追加することになる。

 6-4で9回を迎え、キャッチャーは新富に代わった。門川の代打として入った銀鏡は岩切に代わりレフトの守備位置に就いた。

 正直、畝原と新富のバッテリーは、試合では初めての試みだった。新富に、「自分を信じろ」と一言だけ告げて、ボールを受けさせた。もしうまくいかなければ岩切に代えることだってできる。岩切も控え投手だが、日増しに技術は上がってきている。2点差ついているのだ。結果的に、一人ヒットでランナーを許すものの無得点で試合を終えることができた。6-4。リベンジ完了。昨秋の雪辱を果たした。ベスト8入りである。

 

「今日は、苦しい試合展開だったが、それでも勝てたことは大きい。各自今回の試合についての所感と課題を一言ずつ言っていってほしい。ではまず、一年生から」

 ミーティングにおいて、一年生から順にコメントを残していく。一年生が終わると二年生の番になる。そして、愛琉が発言するときが来た。しかし様子がおかしい。

 愛琉が左手で頭を押さえているのだ。

「どうした? 愛琉」

「すみません。たまに偏頭痛がするんです。あ、アタシの番ですか」

「そうだ」

「はい、今日はお疲れ様でした。前回の敗戦の経験が生きた試合ではないかと……」

 愛琉にしては珍しく自分の番だということを認識していない。聞いていなかったのだろうか。それまでにひどい頭痛だったのだろうか。少し気になった。


 ミーティング後、銀鏡杏悟が愛琉に駆け寄っている。

「嶋廻先輩! 大丈夫ですか?」

「何がと?」

「頭痛ですよ。かなり痛そうにしてたし、その前からずっと様子が変だったので」

 銀鏡はミーティング中、ずっと愛琉のことを観察していたというのか。しっかり、ミーティングのコメントに意識を向けろよ、と繁村は心の中で思わず突っ込んだ。

「頭痛は大丈夫っちゃ。それよりあんたに言わないかんことがある。なして、ウネウネが盗塁を仕掛けたとき、ボールを見送ったと!? エンドランを仕掛けるか、盗塁を助ける空振りくらいやれって!」

「す、すんません、先輩!」

「そんなんしとるかい、監督はまた起用してくれんっちゃよ」

 繁村は正直銀鏡がバットを振ったか見送ったかどうかなんて気にかけていなかった。確かあのとき、愛琉はデッドボールで出塁した銀鏡を褒めていたような気がするが。

「以後気を付けます! 今後もご指導よろしくお願いします!」

 深々と銀鏡は愛琉に頭を下げる。完全に後輩部員を従えている。

 

 そこにあの男がちんにゅうしてきた。

「あ、ずるいぞ、銀鏡! 愛琉ちゃーん、頭痛いの大丈夫?」

「はい、釈迦郡くん、グラウンド2周追加っちゃね。美郷! 釈迦郡くんのペナルティーに加えといて」

 いつしか釈迦郡のペナルティーを管理する係となったマネージャーの美郷が「ラジャー」と返事する。

「2周すか!? いまの1周じゃないの?」

「『愛琉ちゃーん』と『頭痛いの大丈夫?』で2周。それに『いまの1周じゃないの?』でもう1周追加されたから、3周っちゃ」

「そりゃないよ~」

「はい、これで4周」

 相変わらず、愛琉の後輩部員への『塩対応』は健在だ。特にこの愛琉のファンと公言する2人に対してはそれが顕著なような気がするが、なぜか冷たくされるたび、2人は喜んでいるような気がする。マゾヒズムなのか……。


 そんなどうでも良いことを考えていると、スマートフォンがぶるぶる震える。

 すぐにロックを解除してみると、甲斐教頭からのメールであった。

 既に、教頭には勝利の報告をしていたので、それに対する返信だろうか。 

『お疲れ様です。三回戦突破おめでとうございます。次の対戦相手は広瀬高校です』

 短いメールだが、次のお相手が現・高野連会長のいるひろ高校ということで、身が引き締まった。

 残念ながら、愛琉を試合前ノックで参加させても良いと言われていないので、愛琉の美技を披露することは叶わない。しかし、ぜひ向こうの監督に練習試合の申し込みができれば、と思う。愛琉は女子の公式戦に出ていると言われればそれまでだが、愛琉はこの硬式野球部で男子部員の中で頑張っている。だから試合出場は叶わなくても、せめて試合前の練習で愛琉も一緒に心を一つにしたいという思いはあるのだ。

 取り急ぎ、甲斐教頭に返信のメッセージを入力する。

『ご連絡ありがとうございます。後藤会長のいる広瀬高校ですね。ぜひ勝ってアピールしましょう。お忙しいと思いますが良かったら教頭も観に来られませんか?』

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