2-05 挟殺

 繁村には、栗原にエンドランの指示を出す勇気はなかった。定石通りだが手堅く送りバントをさせる。ネクストバッターサークルにいる栗原を呼び戻し、送りバントだが、できれば新富がやったようにセーフティーバントを試みるなど、シンプルに終わらないように揺さぶってくれ、と伝えた。栗原は、その俊足と長打力から、最近は一番打者で起用することがほとんどで、思えば、あまりバントのサインをすることがない。器用な選手だが絶対にここは成功させてほしい。

 ところが、内野も厳重なバント警戒態勢。これからクリーンアップに回る打線。新富の二塁併殺を目論んでいる。何としても1点も取らせないつもりなのだろう。

 対する栗原はそれを見越してか、バントの構えをちらつかせている。バントの構えをしてはエバース(バントの構えをしてボールが来たらバットを引いて見送る)を繰り返し、内野陣を揺さぶっている。ひょっとしてエンドランを狙っているのか。

 サイン通りではないが、試合ではある種結果オーライなところもあって、狙って進塁打になればそれでも良い。そう思っている。しかし、栗原は面白いテクニックを使う。2ボール、1ストライクになったところで、少し上ずったボールが来た。見逃せばボールかもしれない高めの球を敢えてバントして、前に突っ込んできたファーストの頭を越えつつ、ファーストベースカバーに入ったセカンドの逆を衝くような強いバントを打った。またしても内野手の間を巧みに狙ったバントで、結果的にセーフティーバント。と思いきや、サードもチャージをして前進していて、選手が誰もいない。打球の落下点が絶妙だっただけに捕球にもたついており、ベースのカバー状況を見ながら新富は三塁を落とし入れようとしていた。しかし、俊足の相手のレフトが前進し、ベースに追いつき、それを見越したように打球を捕ったライトが三塁に投げた。新富は決して俊足ではなく、二・三塁間で挟まれてしまった。まずい。栗原は、その隙を見て二塁に進むが、セオリー通りに二塁方面に追い込まれた新富は、二塁に帰塁する。二塁ベース上にランナーが2人いる状態だ。

 このようなタッチプレーのときベースの占有権は、先のランナー、つまり新富にある。だから2人ともタッチにした場合は後位の栗原がアウトになる。しかし、相手守備は敢えて新富に先にタッチし、そのあと栗原にタッチした。二塁塁審がアウトを宣告する。これは相手の作戦だ。騙されるな、新富。ところが新富は自分にアウトが宣告されたと勘違いし、離塁してしまった。待っていましたと言わんばかりに、そのまま新富にタッチして、もう一度アウトが宣告される。最悪だ。ダブルプレーである。すなわち、新富への最初のタッチは、自分がアウトだと勘違いさせるためのダミーのタッチなのだ。しかし、最初にアウトになったのは栗原だけで、ベースを離れなければ新富は生きていたのだ。それを勘違いしてしまった新富は離塁し、タッチされアウトを取られたのである。

 繁村は天を仰いだ。挟殺プレーの練習ももちろんやってきた。しかし、緊迫した場面において、試合慣れしていない新富が、咄嗟の判断を誤ってしまったことは、こちらの練習不足なのか経験不足なのか。

 一気に2アウト走者なし。続く二番打者の緒方もセカンドゴロに打ち取られ、無得点のまま攻撃を終了した。


 一度逃したチャンスはそうそう頻繁にはやってこない。9回表を0点に抑えて再度勢いに乗ろうとするも、9回裏の攻撃は相手守備の気合の入ったファインプレーに阻まれ、ゲームセット。2-0の完封負けを喫してしまった。二回戦敗退である。


 試合後、大生が繁村のところにやってきた。

「繁村監督、2年前の練習試合で、監督の言葉が励みになって今日は勝たせていただきました。ありがとうございます」

 そう言って大生は丁寧に頭を下げる。礼儀正しい選手だ。

「強くなったな。まさかうちも1点も取らせてもらえないとは思わなかったよ。大生くんならきっと強豪とも張り合える。うちの分まで頑張って優勝目指してくれ」

「ありがとうございます。監督の分も選手やマネージャーの皆さんの分も……、そして、女子部員の分まで頑張ります!」

 女子部員を敢えて付け加えたので、繁村は少し驚いた。

「めぐ……、あ、いや嶋廻のこと知っているのか」

「はい。『エリザベスアンガス日向』に嶋廻さんがいたとき、僕も『清武きよたけボーイズ』に所属していて、たまに練習試合で対戦していたんです。女子には基本負けないんですが、嶋廻さんが投げているときには打てなかった。負かされたこともあります」

「そ、そうなのか」

 確かに、愛琉は女子の身体能力としては傑出して高い。男子中学生のチームが負けてしまうのも不思議ではない。しかし、大生は愛琉の一学年上である。大生の対戦した当時、愛琉は最高でも中学二年生ということになる。

「ええ。だから、『北郷学園に行くの?』と嶋廻さんに聞いてみたんです。でも、清鵬館宮崎を受験する、と言ったんです」

「そ、その頃からなのか?」繁村は驚いた。

「はい。小さいときたまたま繁村監督が指導する地元の少年野球教室に参加したことがあって、それがきっかけで野球にのめり込んだみたいです。『私に野球の楽しさを教えてくれた恩師』って言ってて、『だから繁村監督のいる清鵬館宮崎に行くんだ』と話してくれました」

 思い出してみる。少年野球教室に女の子が参加することは珍しいので、覚えている。確か、当時は小学一年生くらいだったか。目がクリっとしたとても可愛らしい女の子がいた。元気だけど到底野球なんてやらなさそうな華奢な子が、左腕から驚くほど綺麗な軌道のボールを放っていた。「上手だね」と褒めると、照れ臭そうに、「お父さんがむかし野球やってて、投げ方教えてもらったの」とか言っていたか。それにしても上手で、女子野球の道に進んだら面白いな、と思っていた。それから繁村は本業が忙しくなって、少年野球教室の指導者は辞退したため、そのに会う機会はなくなってしまったが、彼女は野球を続けていたのだろう。

 

 少年野球教室の指導をしていた時期と当時の少女の年齢から、愛琉がその少女と同一人物である可能性が高い。思えば面影も残っている。まさかあの指導がきっかけで、自分のことを追いかけて清鵬館宮崎に入学してくれたとは思わなかった。


 それを聞いて、ますます愛琉を自分が育てていかねばと思った。自意識過剰かもしれないが、大生といい愛琉といい、繁村の何気ない一言や指導が、その後の野球を続けて上を目指そうとする志に繋がっていて、嬉しい限りである。と同時に、改めて指導者としての立場の重みを気付かされた。

 現在、三年生7名、二年生12名(マネージャー含む)、一年生9名、計28名のチームの監督として繁村はいっそう気を引き締めた。

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