2-02 釈迦

 くしゃくしゃの入部届には、どうやら『釈迦郡司』と書かれているようだ。

「『しゃかごおり・つかさ』って言うんでよろしく」

 すると、黒木とキャッチボールをしていたはずの愛琉が気付いた様子で近くに来た。愛琉は新入部員勧誘の指揮官と化していたため、気になったのだろう

「監督! 新入部員ですか!?」

 繁村は、このチャラい男と愛琉をここで引き合わせるのは良くないような気がした。

「待て、めぐ……」

「『しゃか? ぐんじ?』変わった名前ですね!」

 愛琉は天然なのか、名前を読み間違えた。

「ねぇねぇ、先輩、今度俺とデートしようよ!」

 釈迦郡は、愛琉の目の前に出る。何と監督や先輩部員たちの前で、先輩の女子部員をナンパするという暴挙に出る。さすがに看過できなかった。

「おい、お前、野球しにきたんじゃないのか? 何しに来た? 練習の邪魔になる!」

「やだなぁ、監督。入部したんで練習ももちろんしますよ。でも、練習のモチベーション上げるのも大事っしょ?」

 何を言っているのか分からないが、練習のモチベーションを上げるために、愛琉とデートしようと思っていると言うのか。いくら何でも動機が不純すぎる。

「愛琉、こいつに構わず、練習続けろ!」

 しかし愛琉は応酬する。

「デ、デートって!? 何それ!? 私にとっては練習がデートっちゃね! ランニングとかキャッチボールとか特守とくしゅなら付き合ってあげてもいいっちゃけど?」

「ご冗談を、先輩! たちばなどおりに、俺、いい感じのカフェ知ってるんスよ」

「いいから、愛琉、練習続けて来い!」

「はい、分かりました」愛琉は元いたところに戻っていった。


「で、しゃごおりって言ったな? 何しに来た?」

 胸糞の悪い繁村は邪険な態度で釈迦郡に詰め寄る。

「怖い顔してやだなぁ。今日は入部届を出しに来ただけですよ。じゃ、明日から適当に動ける格好で来ますんで、よろぴくおねがいしまっす~」

 釈迦郡はまったく悪びれる様子もなく去っていった。


 清鵬館宮崎はそこそこ成績が良く大学進学を目指す者が集まる私立高校だ。正直、あのような知性のかけらも感じさせない不良な男子が来ているとはいささか信じられなかった。

「だ、誰っすか? あの人?」

 主将の中村が来て、繁村に問うた。

「知らねえよ。あんなナメた奴の入部、認めねえ」

 教師であり監督である繁村が、無闇に入部希望者の入部を断ることはできないのにも関わらず、ついそう呟いてしまっていた。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 翌日、釈迦郡の宣言通り、ジャージ姿で部に現れた。と言っても、だぼだぼのジャージ。ボンタンという1980年代に『ツッパリ』や『暴走族』の間で流行ったとされる変形学生服を髣髴とさせる、おおよそ動きやすそうとは言えないような出で立ちだ。いったいどこで手に入れたのだろう。

「ちゎーっす」

 軽い口調で、釈迦郡は挨拶するが、既に、やばい奴が入部しようとしている、と噂になっていた部内で、挨拶を返す部員はいなかった。しかし、本人が意に介す素振そぶりはない。

めぐちゃーん!」

 先輩をまるで恋人かアイドルに呼びかけるかのような馴れ馴れしい態度。耳障りなこわ。教諭としていけないことなのだが、生徒に対して嫌悪感ばかりが募って仕方がない。

「野球女子っていうのも萌えるねぇ! ねぇ、2人でキャッチボールしてくんなーい? キャッチボールなら付き合ってくれるって言ったじゃない?」

 愛琉は釈迦郡を一瞥いちべつした。

 既に愛琉は、横山とキャッチボールをしている。まだ、愛琉が1人でいるのならまだしも、よくも先輩同士でキャッチボールしているところに、無礼極まりない態度だ。

「おい、愛琉、相手せんでいいぞ」

 わざと釈迦郡にも聞こえるかのように、愛琉に指示した。すると愛琉が繁村の方に近付いてきた。

「監督、いいですよ。キャッチボールなら付き合ってあげるって言ったのはですから。女に二言はありません」

 いつも一人称が『アタシ』でおどけたように見える愛琉も、このときばかりは『私』になっている。どこか殺気立っていて怖い。

「あの男はたるんどる。野球部の風紀を乱されても困る。やるんなら、思いっきりやっちゃれ! 洗礼を浴びさせちゃれ」

 愛琉は黙ってうなずいた。監督としても教諭としてもあるまじき指示を出しているような気がしたが、それくらい繁村は苛立っていた。女子プロ野球レベルに匹敵する速球をお見舞いしてやれ。

「横山ごめんな」遠くにいる横山に一旦謝った。

 そして、釈迦郡からおよそ18メートル離れたところに愛琉は立った。

「優しくお願いね、愛琉ちゃぁん」間の抜けた物言いで釈迦郡は言った。


 その瞬間、既に愛琉は投球モーションに入っていた。そして、あたかも物理法則に反しているかのような、レーザーのような速球が投擲とうてきされる。120 km/hは軽々出ているが、それ以上に伸びがある。

 注目の釈迦郡の捕球とリアクション。エラーしろと瞬間的に思ったが、釈迦郡は驚きの表情を見せつつも捕球はしていた。

「な、何これ、速っ! さっきのあのメガネくんに投げていたのと全然違うっちゃない!? 優しくって言ったじゃん!」

「しゃべっちょらんとよ投げて!」彼女の直球以上に射貫くように鋭い視線。こんな冷たい態度を取る愛琉を初めて見た。少し怖い。

「あいよっ」

 釈迦郡の右腕から放たれるボールは、決して遅くはなかったが、コントロールが悪い、右手のグローブを精一杯伸ばして、ジャンプして何とか捕った。

「ちゃんと投げろ!」

「ナイスキャッチ〜! 凄いよ愛琉ちゃん」

 釈迦郡には愛琉の怒りがまるで伝わっていない。


 その後も、愛琉は速球を投げ続けた。敢えてコントロールを外したのか、それに対応できずに落球したりもした。しかし、全般的にこの男は、センスは悪くない。ショートバウンドの球を見事に捕球していたが、あれは初心者なら普通は捕れない。そもそも釈迦郡は初心者かどうかも知らないが。

 肩は強くないが、反射神経は良さそうだ。不良然とした風貌から、殴り合いの喧嘩で動体視力は鍛えられているのか。


 速球ばかり投げていたからか、だんだん愛琉の方に疲れが見え始めてきた。120 km/h台(ひょっとしたら120 km/h台後半出ていたかもしれない)の直球ばかりだ。

「もうやめとけ、肩を壊す」

 こんな男のために選手に怪我させてはお笑いぐさだ。繁村は、両者の間に入り無理やり止めさせた。


「釈迦郡。お前の入部届、受理してやろう」

 繁村の発言に、愛琉からも他の部員からも「え!?」という驚きが聞こえてきた。

「あ、俺のまだ受理してもらえてなかったんすか?」

「監督、何でです?」愛琉が問うた。


「釈迦郡の態度は悪いが、センスは悪くない」

「まじっすか? 四番でエースっすか?」

「アホか。あんなノーコンじゃまだベンチ入りもさせれん」

「じゃあ、何が良かったんすか? 顔ですか?」

 相変わらず馬鹿なことばかり言う。

「反射神経だ。俺がもしお前をどこかで起用するなら内野手のどこかだ」

「内野手っすか」釈迦郡は少しだけ真面目な表情をした。

「もちろんまだいまのままじゃ使えない。ちゃんと練習する気があるなら部に入れてやってもいい」

「あざーす!」

「でもその軽率な態度は止めろ。先輩や監督にタメ口きいたり失礼な態度取ったら、その回数分だけグラウンドをランニングして回れ。居残りでな」

「じゃあ、もう既に20周は回らんといかんですね」愛琉は釈迦郡に対しては容赦ない程度を示す。

「それまでのはノーカウントでしょ? メグルちゃん」

「あ、これで2周だな」繁村は指折りした。


 その後、釈迦郡は練習を最後まで参加した。しかも驚いたことに最後グラウンドを10周した。あれから8回『タメ口』をきいたのだ。最初は余裕をぶっこいて、颯爽と走っていたが、だんだん疲れてへとへとになっていた。しかし、10周は走りきった。

「もう、今日はいいぞ、釈迦郡」

「……はぁはぁ、あざー、あ、いや、ありがと……ございます」

「こんなボンタンみたいな格好は止めろ」

「あ、明日からはそーします……」

 そう言って、釈迦郡は引き上げていった。


 嫌な奴だとしか思っていなかったが、練習意欲がないわけではない。愛琉目的という動機は極めて不純だが、教育者として、彼の入部を許可した。それが吉と出るか凶と出るか。このときの繁村には当然分からなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る