1-19 愕然
「ありがとうございました!」
2回戦の両チームは、ダイヤモンドの中で整列し一礼した。
練習試合で控えを中心に出場させたとは言えど、女子硬式野球部に負けたというショックは大きかったらしい。男子は落胆しているが、いちばん落胆しているのは実は愛琉のように見える。身体を震わせている。泣いているのか。
「愛琉、元気出せ」
さすがに目に余って、繁村は声をかけた。
「……監督、すみません」
帽子を被って
「愛琉は頑張った。練習試合だから負けていい、ってわけじゃないが、勝ち負けだけがすべてじゃない。課題も見つかったんだ。その課題を一つずつ解決していけばいいだろう」
「……はい。でも、勝ちたかった。アタシにとって数少ない晴れ舞台で、気合い入ってたんです……!」
「1回戦の男子相手には見事なピッチングだった。褒めるべきポイントはあったんだ。確かに女子相手のときはちょっと気負ってたな。まぁ、女子野球部との練習試合なんて初めてだし、女子に交じっての練習なんて出来なかったじゃないか」
そう言った瞬間、繁村は、女子に交じって練習をするには、北郷学園の女子硬式野球部に入部するしかないことに気付きまごついた。入部当初こそそれを勧めたいとも思ったが、いまはこの清鵬館宮崎の硬式野球部に選手として馴染んでいるし、部に対しての貢献度は計り知れず、手放すのはあまりに惜しいと自信を持って言える。
「ありがとうございます。でも悔しい……。勝ちたかったよ……」
「……」
悔しい気持ち、勝ちたい気持ちを無下に否定してはならない。その気持ちを持ち続けることが上達には必要である。これ以上の声は敢えてかけなかった。
同じように、男子の部員たちも悔しがっているだろうが、悔しさの性質が愛琉とは少し違うような気がする。負けて悔しいのは共通するが、愛琉のそれは、数少ない貴重なチャンスをものに出来ず、アピールできなかったことへの悔しさのように捉えられる。彼女にとってこの練習試合は本番の試合と同じなのだ。
「繁村監督、少しお話をよろしいでしょうか?」
背後から急に話しかけられてびくりとしたが、声の主は北郷学園女子硬式野球部の
「はい。何でしょうか?」
「失礼を承知のお願いで本当に恐縮ですが」
帽子を取って、やや畏まって崎村監督は言った。畏まりながらも崎村は凛とした表情で繁村の方を見据えていた。
「どうされましたか」
「単刀直入に申し上げます。
想定範囲内の話かもしれないが、いざ口にされると衝撃が走った。
「ちょ、ちょっと、すみません。ここでは部員に聞こえてしまうかもしれないので、場所を変えてもいいですか?」
「あ、失礼しました」
繁村と崎村は一塁側のライトのファウルゾーンに移動し、部員たちに距離を取った。衝撃が大きいかと思ったからだ。
繁村は移動しながら回答を整理した。
「……唐突ですね、めぐ……、あ、いや嶋廻には、そのようなお話はなさったんでしょうか?」
「いえ、監督の許しもなく、先に彼女に
それはそうだな、と思いつつ、監督の一任で決める問題ではない。
「そうかもしれませんが、嶋廻も自分から望んで、男子に交じって野球をしたいと言ってきたんです。彼女本人の気持ちが最優先されるべきでしょう?」
「しかし、何か、事情があって
それは邪推だ。
「いいえ、そんなことはないんです。彼女は入部のとき、どういうわけか私を慕ってくれました。私が仮に北海道で監督をしていたとしても、そっちに入りたいと言ってくれたんです」
「素晴らしいですね。うちにもそんな部員がいてくれるといいんですが」
そう言って、崎村は苦笑する。そこまで言われたら少し諦めるかと思ったが、崎村は続けた。
「しかし、嶋廻さんは女子プロ野球でも活躍できるほどの素質を持っている。言わばダイヤの原石です。その原石を男子に交じっての練習じゃ、失礼ながら磨けるものも磨ききれない、と思うんです。男子野球部にいては練習は出来ても試合勘は養えない。それに男子と女子では、筋肉のつき方も違うし、練習のメニューだってまるっきり一緒ってわけにはいかない。2回戦ではうちが勝ちましたけど、あれはまさに試合勘の不足によるものです。短いイニングでは調子のいいときもありますが、先発で長いイニング任せようとしたとき、自分の中の試合の組み立て方において、圧倒的に経験を欠いているんです。それは、やはり試合、できれば公式戦でないと身に付かないと思うんです」
痛いところを突かれている。その通りだ。実戦での経験は、ときに練習では得難いものがある。
「おっしゃるとおりかもしれませんが、それも嶋廻本人は承知でやってるんです」
「いくら本人は承知していても、ダイヤの原石を磨くために道を示してあげるのも、監督以前に教育者としての役割じゃないでしょうか?」
野球は教育の一環だ。それは監督と教諭を兼ねている繁村の持論である。それだけに崎村監督の発言は、悔しいかな、心を響かせるものがあった。
崎村は続ける。
「もし、本当に
崎村の提示した条件が本当なら極めて魅力的だ。同時に、北郷学園が試合を申し込んできた真の理由を理解した。女子硬式野球部の練習相手のためではなく、愛琉をヘッドハンティングするためだった。我が校に失礼のないように男子野球部の一軍と対戦させた上、愛琉に対しても最大限の待遇を提示して交渉に臨んでいる。すべては愛琉獲得のための布石だったのだ。
「……まずは、本人の意向を聞いてからですね」
当たり障りのない回答をするに留めて、繁村は一旦その場を取り繕う。
「いいお返事をお待ちしております」
崎村は、最後に自分に出来る最大級の笑顔と言わんばかりの笑みを浮かべ、その場を辞去していった。
「監督、いまのお話、本当なんですか?」
またもや背後から声がして、先ほど以上にドキリとした。愛琉だった。
「聞いてたのか?」
「全部ではないですが聞こえちゃいました」
「そうか。愛琉はどうしたいんだ?」
「逆に、監督はどう答えるつもりなんですか?」
逆に質問されてしまった。
「まずは、愛琉の意見を聞いてからだと思ってる」
この回答がいま思えば、非常にまずかった。
「アタシは、前から言ってるとおり、監督がいるからこの部活に入ってるんです。即座に断ってくれるかと思いました!」
「俺だって、愛琉を手放すのは惜しい!」
それは本音だ。愛琉はチームのムードメーカーだ。愛琉自身の能力も素晴らしいが、それ以上にチーム全体の底上げに繋がっている。辞められてしまっては、最悪、辞める部員だって出てくるかもしれない。
「じゃあ、何ですぐに断らなかったんです!?」
俺だって断りたかった、と言いたかったが、なぜか上手く言葉を紡げない。一旦深呼吸して繁村は愛琉の質問に答えた。
「ダ、ダイヤの原石、なんだそうだ、愛琉は。聞こえたかもしれないが。教育者なら、原石を磨く環境を示してあげるのが役目なんだと……」
私情で語れば、愛琉は手放せない。しかしこれは、教育者としての良心に
「アタシが女子硬式野球部に入った方がいいことなんて、分かってました。でも監督の下でやるのがアタシの野球人生において何よりも意義があることなんです」
「その言葉が聞けて良かっ……」
しかし言葉を遮るように、思いもよらない回答が返ってくる。
「がっかりしました」
「え?」繁村は愛琉の言葉に
「教育者としてであれば、きっとアタシ本人の気持ちを優先してくれると思ってました。でも監督が教育者として北郷学園への転校を勧めるのであれば、転校します」
「待った。きゅ、急すぎないか? 親御さんだって困るだろう!?」
急な愛琉の告白に驚き、せめて引き留めるための言葉を必死で紡いだ。
「親からは、ずっと北郷学園へ入らなかったことをチクチク言われてるんです。北郷学園に転校したら、喜ぶでしょうね!」
そう話す愛琉は、涙で目を
「……」
「失礼します……!」
愛琉は、部室の方に走っていった。
「愛琉!!」呼び止めるも、彼女に届いていない様子だった。
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