1-18 驕傲

 6回裏から登板した愛琉は圧巻のピッチングを披露した。上にすっぽ抜けたように見えて急にドライブがかかり、キャッチャーの児玉のミットに収まる、高低差と球速差が抜群のスローカーブでカウントを整える。決め球としての120 km/hの直球を振り遅れさせる。野球の常識を覆すような見事な投球術で、2番打者と3番打者を三振に打ち取った。4番打者の主将の谷口にはセンター前に弾き飛ばされてしまうが、5番打者はスローカーブにタイミングが合わず、ショート正面のゴロに打ち取った。強豪校の男子相手に1イニングとは言えど0点に押さえたのは凄い。

 このまま点を取れなければ最終回の7回で、奇しくも愛琉に打席が回ってきた。愛琉は160 cmそこそこの身長で低く構えるバッティングフォーム。北郷学園の6回から交代したピッチャーはストライクゾーンの狭さにストライクが入らず、フォアボールを選ぶ。フォアボールはシングルヒット1本分の快挙だ。しかし後続が続かず、8-1の7回コールド負けを喫した。


 男子には課題の残る結果となったが、愛琉の入った最終イニングは活気が戻ってきた。2回戦は女子硬式野球部との試合。相手は女子だからと言っては悪いが、男子よりも易しい相手になるはず。愛琉が先発で、いまの華麗な投球術で翻弄して、何とか勝利で終わらせたい。


「2回戦こそ勝つぞー!!」

「おーっ!!」

 円陣を組んで、今度は愛琉が主役と言わんばかりに彼女が声を出した。


 愛琉は9番ピッチャーで先発。他のスタメンも、控えの選手や未経験の一年生を中心に組んでいる。また1回戦で起用できなかった選手として、ファーストに青木、レフトに黒木、ライトに二年生の新富をスタメンで出場させた。


 今度はじゃんけんの結果、うちが後攻となる。投球練習では愛琉は堂々たるピッチングを披露していた。

「あのって子のスローカーブ、やばい!」

「ストレートも思った以上に速く見えるし、厄介すよ」

 最終イニングで愛琉と対戦して打ち取られた北郷学園の選手たちが、女子硬式野球部の主将の酒井に伝えている。

「大丈夫。確かにいい球投げてるけど、さっきの試合の投球見ていろいろ分かったよ。策はある」

「さすが、ドカベン先輩!」

「だから、その呼び方やめい!」

「すみませ~ん!」

 酒井主将は男子に恐れられているのか、いじられているのか分からないが、仲は悪くなさそうだ。

 繁村は見て気付いたのだが、女子の中で体格がいいのは酒井くらいで、他のメンバーは意外と小柄な選手が多い。しかし素振りしている選手を見ると、その振りは鋭く、身体に対して大きく見えるバットの重さをまったく感じさせない。さすがは女子硬式野球部。レベルは決して低くない。そう言えば、北郷学園は夏の丹波の大会で、ベスト4入りを果たしたとネットの記事に書いてあった。


「プレイボール!」2回戦の火蓋が切って落とされた。

 愛琉と児玉のバッテリー。

 先ほどと同じくスローカーブで入る。80 km/h程度にブレーキのかかったボールで、普通なら手を出しそうな球だが、左バッターボックスのトップバッターは手を出さない。軌道はわずかにホームベースを逸れてボール判定となる。2球、3球と再びスローカーブを投じるが、やはり手を出さない。3ボール0ストライク。4球目は直球で攻めるが、わずかに上に逸れてストレートのフォアボールを与えてしまった。きっと男子なら見逃してもストライクだが、小柄な打者でしかも低く構えていたため、ボール判定となってしまったように見える。

 二番打者もまた150 cm少々の小さな選手である。右バッターボックスでバントの構え。スローカーブはやはり見逃され、ようやく2球目でストライクが入るも、男子相手のときのようなテンポの良さが感じられない。やはりカウントを悪くした5球目で甘く入ったストレートをプッシュバントされる。

「うまい!」

 思わず繁村は唸った。前に突っ込んできたファーストの青木の横を絶妙に抜け、ピッチャーの愛琉、セカンドの若林のちょうど中間地点に転がる。結局、セーフティーバントとなり0アウト1、2塁となってしまう。

 三番バッターは、身長160 cmくらいだが、構えに隙がない。彼女もカーブは捨て、ど真ん中に入ったストレートを上手く叩き付けセンター返しで、簡単に先取点を献上してしまった。

 明らかに別人のように、男子相手のときのような躍動感が見られない。四番の主将、女ドカベンの異名(?)の酒井にはストライクが先行するも、追い込んだところで綺麗にフェンス間際の右中間に運ばれてしまう。俊足の金丸が何とかキャッチするも、二塁走者はタッチアップで楽々三塁に進塁。五番打者には初球をスクイズされ、ファーストの青木が処理に手間取り、2点目を与えてしまった。

 1アウト1塁で、六番、七番打者はようやく打ち取ったものの、幸先さいさきの悪いスタートになった。


「どうした? 愛琉」

「ストライクが入らないんです」

「それは見れば分かるんだが、何で入らないんだ?」

「何か、男子と違ってすごいストライクゾーンが狭く見えて、自信を持って投げた球が外れるんです」


 そうか。ここ最近ずっと男子相手に投げてきた愛琉にとって、身長150〜160 cmほどの打者に低く構えられるとストライクゾーンが著しく狭まって見えてしまうのだ。恐らく向こうの作戦はスローカーブは捨てボールを先行させ、結果的に置きにいったストレートを狙うことだ。

 そして、圧倒的に試合経験の少なさも浮き彫りになった。サウスポーの愛琉にとって、三塁走者は見にくいが、それを見事に狙われスクイズを決められた。バントは、おそらく動きの硬いファースト方向に飛ばすように指示でも出ているかもしれない。


 1回の裏の我が校の攻撃は、上手いこと打たされて、一番の金丸、二番の新富、三番の児玉と三者連続で内野ゴロに仕留められる。相手のピッチャーは右投の興梠こうろぎで、スピードは愛琉に及ばないが、決して力任せではなくコースを突く丁寧なピッチングで打たせてアウトを獲る。省エネで完投を前提とするような投球である。


 短時間もの間に分析され、見事に弱点を突かれているような気がした。一方で、こちらには女子硬式野球部のデータは一切ない。対戦する想定のなかった相手だけに、ビデオすら入手していない。しかし、心のどこかで男子ほど強豪でないだろうとか力でねじ伏せられるだろうとかいうまんがあったのかもしれない。そして、男子の中で威風堂々と練習を重ねてきた愛琉が負けるわけがないというきょうごうがあったことも事実だ。


 野球というものは不思議なほどがどちらかに向いているかを意識させられるスポーツだ。おなじ0アウトでも、流れに乗っているチームは不思議と点が入るし、乗っていないチームはいとも簡単に凡退する。物理教諭でもある繁村にとって非科学的な要素を信じる性分ではないのだが、このは、ある意味で実力以上の命運を握っていると言っても過言ではない。甲子園で見られる大逆点劇は、劣勢のチームに例だと思う。


 この初回の攻防で見事にをものにした北郷学園は、その後も追加点を重ねる。一方でこちらはランナーは出しても、次の1本が面白いほど守備の真正面で、ホームベースが遠い。

 女子硬式野球部も強い。これが率直な感想だった。

 結局最後まで愛琉は流れを取り戻せず、援護点にも恵まれず、5回で降板しファーストについた。ピッチャーは畝原に代わり、何故か彼も初戦とうってかわって今度は良い投球をした。2戦ともリリーフが好投する皮肉な展開。一方の愛琉もファーストで180度開脚でサードからの送球を捕球するなど美技を披露するが、最後まで流れを引き戻すには至らず、5-1で負けてしまった。1点は最終回で途中出場の栗原が放ったソロホームランによるものだった。

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