1-11 参謀

「なんて?」

「だから、部活辞めるって」

「なして!?」愛琉は突然の横山の申し出に明らかに困惑していた。

「なしてって、見ていて分かるだろ? 新入部員でも俺が断トツに出来が悪い。みんなの練習の足を引っ張っている」

「そんなことあるか?」愛琉は大きな目をさらに見開いて否定するが、それを遮るように横山は続けた。

「あとな、5月末に中間考査あったろ? あれでな、俺、2位になったんだ」

「2位って、上出来やっちゃ、アタシなんて……」

「悪いけど俺は首席だったんだよ。入学したとき。もともと勉強しか能がなかったから、成績だけは死守していこうって頑張ってたのに、早くも首位陥落だよ。それが部活のせいだと言い訳するのは、男らしくないのは分かっちゃいるけど」

「……男らしくないって……。アタシからしたら、あれだけ毎日部活やって、2位って凄いと思う。アタシなんて、下から10分の1に入っちょっと」

「そうは言うけど、中間考査の1位誰だったか知ってるか? 畝原なんだよ! 同じ野球部の!」

「ええ? ウネウネ、そんなに頭良かったの?」

「だから、同じ練習をやってきても、アイツと俺じゃ、勉強への支障の度合いが違うんだよ。確かに、俺は、日々の疲れから、家に帰っても勉強どころじゃなかったし、授業も頭に入ってこなかった。俺の中ではこのまま続けていけば、勉強はぜったい出来なくなる。やっぱり俺にとっての本業は勉強で、大学進学をいちばんの目標にしたい」

「……」愛琉は押し黙っていた。

「というわけで、悪いけど、明日退部届けを監督と甲斐先生に提出しようと思う。短い付き合いだったな」

 そう言って横山は愛琉のもとを去ろうとした。しかし、繁村はここでみすみす彼を見逃そうという気にはなれなかった。

「あ〜、残念だな。全部聞こえたよ、横山」

「すみません。繁村先生」彼は監督ではなく先生と呼んでいる。

「部活を辞めるのを無理矢理引き留める権利は、俺はないと思ってる。でも将来この野球部を牽引し飛躍するだけの潜在能力ポテンシャルがあるのに、もったいないんだよ」

「またまた、心にもないことを」

 若干、リップサービスもあるが、この約2ヶ月ほどの付き合いの中で、彼の野球に適した素質を感じている。

「そんなことはない。野球に関して俺の目は決して節穴じゃない。まずな、お前の返球は正確だ。決して肩が強いわけじゃなく、捕ってから速いわけじゃないが、中継のいるところにちゃんと投げてるんだ。暴投はゼロ。栗原のときよりも中継は乱れてないんだ。いいか、暴投がないっていうのはとても大事なんだ。中継が乱れることは、それだけで進塁を許す。ただのシングルヒットをツーベースやスリーベースにしてしまうんだ」

「肩弱いから、中継の頭を越えられないんですよ」あくまで横山は自虐的だ。しかし、もう一点、横山のある能力を見抜いている。

「もう一点、お前は凄い力を持っている。選球眼だ。それは、条件反射的な能力ではなく、相手の配球を読んでるんだ」

「そんな買い被りを」

 実は、横山は先日の高鍋工業高校戦で、大差がついたときに、代打で立たせてみたのだ。

「高鍋工との試合で、相手の投手は、ことごとくスライダーはストライクが入っていなかった。だからお前はストレートに狙いを絞っていた。でも、あんときのピッチャー、意外とフォームが分かりづらく変化球もストレートと見分けがつきにくかった。だから、明らかなボール球を振らされていた選手も多かったと記憶している。でも横山は、スライダーには一切手を出さず、ストレートのみをひたすら振っていった。それを、それまでの配球の組み立てから推測してたんだ。じゃないとあそこまで自信をもった見逃し方は出来ん。結果的にストレートを空振りして、フォアボールになる前に三振になったけど、あれ、ちゃんと投げる前から何を投げるか想像をついてたんだろ?」

「そこまで見ていてくれたんですね。ええ、あのピッチャーの配球もそうですが、変化球を投げる前に、ほんの少しだけ、グローブの中でボールの手触りを確認するような仕草があったんです。点差もあったし、一年の僕から言うのも何だか気が引けたんで言わなかったんですが、何を投げるかは想像できていました」

「ええ!? そうなの? 横山くん、すっごーぃ!!」

 愛琉はまるで演技のような大袈裟なリアクションで驚いているが、あくまで彼女のナチュラルな反応である。

「別に俺じゃなくてもできるし、やってるよ!」横山は謙遜なのか単に捨て鉢になっているのか、凄さを否定している。

「横山、君には、チームの参謀としての力が備わってると思う。君がチームに必要なんだ。考え直して欲しい」

 無理矢理引き留める権利はないと言っておきながら、結局引き留めていることを自覚しつつも、敢えてそうしてしまった。しかし、彼は頭の中で、相手の細かい動きを分析している。野球を戦う上で、こういったデータは非常に大切だ。

「横山くん、アタシからもお願い! 残ってくれたら、『おぐら』のチキン南蛮、おごっちゃるからさぁ」

「そんな、飯なんかで釣られるかよ!」

「じゃあ、それにヨーグルッペつけちゃる!」

「飯で釣られないからって今度はジュースかよ! ……ヨーグルッペ好きだけどさ」

 愛琉らしい、まるで小学生のような提案である。ちなみにヨーグルッペとは、宮崎をはじめとして主に九州で愛されている飲料である。

「監督、いま辞めると、嶋廻の言ったチキン南蛮やジュースじゃ物足らなくて辞めたように思われるのしゃくだから、少し考え直します」

 何と、愛琉の提案が功を奏したか。意外に彼女も侮れないなと思ったら、横山は続けた。

「……というのは冗談ですけど、監督のその言葉信じていいですか? 実は僕、二戦目とかもサイン読んでたんです。でもサイン盗みってフェアじゃないから敢えて伝えてなかったんですが」

「サイン盗みというと聞こえは悪い。でも実際にやってるところはやってるし、作戦の一部になっている。肝心なのは盗まれないようなサインを研究することと、サインを盗んでも相手に気付かれずにやることだ」

「そうなんだぁ」愛琉は間が抜けたようなリアクションを見せている。

「まぁ、高校野球の監督が大きな声でこんなことは言えないけどな。でも他の高校の試合を研究すれば、きっと凄まじい戦力になる。改めてお願いしたいんだ、横山」

「分かりました」

「悪いな、引き留めてしまって。今日はゆっくり休んでくれ」

「失礼します」そう言って、横山は部室に帰っていった。

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