1-09 着用

 夏の甲子園大会の県予選は7月に開催されるが、公式戦はこれだけではない。例年5月下旬には宮崎の県北、県央、県南の各地区ごとで3〜5校程度の小さなトーナメントを行い、勝ち抜いた12校が県全体での県選手権大会に進む。なかなか忙しいのだ。

 入った新入部員こそ多いけれど経験者は5人だ。しかしそのうち1人は愛琉なので実質4人。それ以外の6人は未経験者だ。ついこの間入部したばかりで、さすがに未経験者は即戦力になりにくい。未経験者を除くと、12+4=16人なので、入部前に比べればマジだが、それでも選手層はかなり薄い。

 それでも、ピッチャーをやれる部員が1人増えただけでも大きい。畝原うねはらだ。自主練習時間のいま、彼は同じく一年生の若林に座ってもらって、投球練習を行っているが、推定120 km/h台後半の球を放っている。制球力も悪くない。変化球がシュートしかないのが若干こころもとないが、それでも高校一年生なら上出来だ。

「ねー、ウネウネ! あんたカーブ投げれると?」

 繁村が畝原のことを考えていると、見計らったようなタイミングで、愛琉が畝原に声をかけた。

「いや、カーブは苦手で投げれん。シュートだけなんだ」

「じゃあ、アタシ教えちゃる!」

「お、おう、ありがとう」

 普通、男子が女子に野球を指導されることは全国的に珍しい光景のはず。畝原は少し困惑しているが、真面目な性格なので、耳を傾けている。気が短くてプライドの高い選手なら怒り出す人もいるかもしれないが。

「アタシ、ボールをこう持ってるっちゃよ。人差し指は縫い目にかけるけど親指は軽く添えるだけ。もう、簡単にボールが離れるくらい軽くっちゃね」

「ほう」

「で、リリースのときは手の甲がキャッチャーに向くくらいに意識して、思いっきり腕を振る。だけどボールはすっぽ抜けるイメージでアタシはカーブを投げてる。緩急をつけて、それだけでウネウネのストレートはもっと生きるはず。大事なのは思いっきり腕を振ること。ほら、投げてみない?」

 非常に簡単な説明を受けて、畝原は投球に戻る。正直、変化球の指導は、野手出身の繁村には難しい。

「じゃあ、若林くん、行きます!」

「あいよ!」

 畝原の投じた球は、大きく上にすっぽ抜けて、キャッチャーとピッチャーのちょうど中間くらいに落ちた。

「難しいな、嶋廻さんのカーブ見せてよ」

 今度は、愛琉がボールを投じる。男子に交じっていると160 cmそこそこの身長は小柄に映ってしまうが、ダイナミックの投球フォームで、魔球のような弧を描いて、キャッチャー役の若林のもとに届く。そして若林は捕れなかった。

なんね? いまの、ぜっぇ、打てんちゃろ!」

「へへー」愛琉は得意気に鼻を鳴らす。

「すごいな。俺にも投げれるように教えてくれるかな」

「そう来なくっちゃ!」

 それから、ひたすらカーブの習得に励んだ。最初は全然ダメだったが、それでも少しずつボールに力がかかり、キャッチャーのもとに届いて、かつ縦の変化が繁村の目でも分かるようになってきた。

「そうそう! いい感じ!」

 これは、畝原のセンスが良かったのか、愛琉の教え方が良かったのか。おそらく両方だと思う。聞いていると簡単なように思えるが、変化球はなかなかすぐには習得できるものではない。これは楽しみだ。シュートだけだった変化球に、遅い変化球が加わったら、いっそう配球の戦略の幅が広がるだろう。

「じゃあ、カーブ教えてあげたから、シュート教えてよ!」

「いいよ。でも、シュートって変化球でもいちばん簡単な部類だから、嶋廻さんには物足りないかも」

「いーの、いーの、で、どんな感じで投げちょるの……」


 現・エースの右腕、上之園は、ストレートは速いが、直球も変化球も制球力に難がある。荒れ玉で相手に的を絞らせないが与四死球やワイルドピッチも多い。5月の大会でエースを補完するほどには至らないまでも、畝原も投手としての戦力が期待できる。

 投手層が厚いことに越したことはない。特に連投となる高校野球では、特定の選手に負担がかかりすぎてはならないと考えているからだ。1枚看板が2枚になれば、戦略も広がろう。

 そしてつくづく、愛琉も含めた3枚看板にできたら、もっと良かったのに、といまさらながらがゆい。

 

 5月の大会はすぐ近くまで来ている。一年生は、即戦力として使えそうな経験者男子4人をどこかで使っていくとともに、できれば未経験者にもグラウンドに立ってもらいたいと考えている。練習はもちろん大切だが、試合に出ないと養えない感覚もある。栗原は態度的な問題はあれど、野球のポテンシャルは高いし、バッティングセンターが好きな泉川も面白そうだ。泥谷、黒木もどこかで出番を作れるか。青木や横山は、残念ながらまだ完全な素人で、まだまだ試合に出すには難しい選手である。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 時が経つのは早いもので、大会の日は迎えた。宮崎市内の我が校は、県央ブロックに入る。会場は、高校から近い久峰ひさみね総合公園野球場だ。

 大会当日に何とか間に合った新しい試合用ユニフォームを新入生は着用する。もちろんロゴも背番号もあしらわれている。

 しかし1名、その背番号が飾りの者がいる。言うまでもなく愛琉だ。

 彼女は背番号21を付けている。県大会では、選手は20名までベンチ入りできる。甲子園大会では18名までで、その微妙な差が一体何なのか、繁村もよく分からないが、とにかくそう決められている。よって愛琉には記録員をやってもらうことにした。しかし、繁村の中では選手である。試合に出られなくても、いっしょに練習しプレーしてきた仲間だ。

 試合用ユニフォームをオーダーする話になったとき、彼女は自ら公式戦では飾りにしかならない番号21を自ら選択したのだ。繁村自身居たたまれない気持ちになったが、かと言って背番号がないのはもっと辛い。背番号のついたユニフォームを身に着けてくれただけで、繁村自身の禊ぎになったような気がした。

 ちなみに美郷は、記録(補助)員としてベンチ入りさせた。規定のどこを読んでも、記録員は1人でなければならないとは書かれていない。規定から読み取れないものは、一般的には1人とされている記録員の常識には囚われない。


「愛琉、試合前の練習くらい、グラウンドに立て」

「えっ、でも」愛琉は戸惑っている。

「外野の芝生なら大丈夫。甲子園で適用されている」

「そうなんですか?」

「ああ、これはいろいろ物議を醸した問題なんだけどな、俺は、まるで土俵かのように、女子という理由だけでグラウンドに立てないのは納得できないんだ」

「ありがとうございます」

 実は、何年か前に、とある高校の女子マネージャーが、試合前のノックでグラウンドに立って手伝ったことがあった。当該女子マネージャーを大会関係者に制止されて、大きな波紋を呼んだ。高野連側は安全に配慮したことを理由に挙げているが、さまざまなスポーツ関係者などから男女差別、時代錯誤などと非難され、翌年から条件付きで女子部員の練習参加が認められている。

「思いっきり、外野のシートノックに参加して来い!」

「はい!」愛琉は嬉しそうに返事をした。


 試合前のノックで愛琉は、外野の守備位置につく。まずは内/外野分かれてのノック。その後はライトにつく予定だ。

「なんだ、愛琉もつくんか?」ライトのレギュラー、二年生の緒方は言った。

「ええ! 監督命令です!」

「お前、試合出れんちゃろう? しかもいつも外野じゃないけ?」そう言うのは栗原だ。

「これも監督命令かい、外野の芝生なら女でも出れるっちゃと」

「ふーん」どこかつまらなそうな表情で栗原は言った。


 いつも内/外野分かれてのノックでは、繁村は内野を担当するが、今回は敢えて外野を担当した。愛琉の存在がやはり気がかりだったからだ。いくら試合前の練習と言えど、参加させている以上、彼女の身に何かあったら、女子は高校野球からますます排斥されてしまう。

「お願いします!!」

 愛琉は、他のどの男子部員よりも大きな声を上げて、ノックに参加した。慣れない外野守備のはずだが、生き生きと、しかもノーエラーで綺麗な返球をしてくれた。彼女はやはり、野球をするのが好きなんだな、と心から思った。

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