1-08 遠慮
ゴールデンウィーク明け、いよいよユニフォームが届いた。練習用のユニフォーム。ロゴも背番号も入っていない白いユニフォームだ。ただし、アンダーシャツやストッキング、そして帽子の
「わー、練習用でもカッコいい! アタシの好きなブーゲンビリア色っちゃ!」
愛琉はキャッキャと子供のように喜んでいる。ブーゲンビリア色と称しているが、ブーゲンビリアにも色々な花の色があろうに。それとも、ある特定の色を規定するブーゲンビリア色という色があるのだろうか。
「早く、試合用を着たいなぁ〜」
愛琉のどこか間の抜けた話し方は、練習なのにどこか緊迫感がない。
なお、試合用のは、胸に同じ韓紅色で、"Manuskript Gothisch”と呼ばれる書体で『Seihokan』と書かれている。これはこれで格好良いと繁村自身思っている。
練習はランニングに始まり、体操/ストレッチ、ダッシュ、キャッチボール、トスバッティングはシートノックはルーティンで行う。
ありがたいことにここは良くも悪くも田舎なので、専用のグラウンドがある。正直これだけの少ない人数で占有するには贅沢な広さだ。
「っしゃー、ナイスボール! さあ行こうぜ!」
繁村は練習中も試合中もかけ声を大事にしている。野球はチームプレイ。チームを鼓舞するのにもっとも端的なツールがかけ声と認識している。
そのかけ声が人一倍際立っているのが愛琉だ。女子だから、ひと際高音のかけ声は広いグラウンドでもよく通るわけだが、もともと彼女の声はとても大きい。しかし、硬式野球部の監督をやっていて、女性の声音のかけ声を日常的に聞く日が来るなんて、ちょっと前までは想像し得なかったものである。
シートバッティングは、最初は内野、外野分かれて行う。ノッカーは監督以外にもう一人必要なので、ノックが得意な選手が輪番で行う。新入生たちは、まだ守備位置が定まっていないので、適当な場所についている。
栗原、金丸、岩切、横山は外野ノック。畝原、若林、泉川、青木、泥谷、黒木、愛琉は内野ノックを受ける。サウスポーは栗原、金丸、岩切、青木、黒木、愛琉と6人もいる。外野は良いが、内野はサウスポーでも適するポジションが限られている。ピッチャーとファーストはサウスポーでも良いが、他の内野のポジションは右投げが適しているのだ。
「ファースト多過ぎっちゃろう?」ショートの位置にいる主将の勘米良が言う。
確かにセカンド、サード、ショートが各々3人ずつなのに、ファーストだけ6人もいる。
うちのシートノックでは、ピッチャーはピッチャー以外のポジションにつかせるようにしている。ファーストには、すでに三年の
「だって、みんなサウスポーですもん」
愛琉はあっけらかんとした態度で答える。
「左利き集めすぎ! せめて誰かセカンドとかサードにおってくれ!」
仕方なくエースの上之園がサード、黒木がサウスポーでありながらセカンドにつく。愛琉はファーストを死守した。
内野シートノックの最初は、内野ゴロの一塁送球の練習だ。
しかし、一年生が本格参入して、気合いが入り過ぎていたからか、上級生の動きが硬い。送球が横に逸れたり、暴投したりしている。
「由良ちゃん! ごめん!」
「こら! しっかりしろ!」繁村も活を入れる。
サードについている泉川も、打球の捕球に焦ったか、ベース到達前にショートバウンドするようなファーストが捕りにくいボールを投げてしまう。このときファーストについていたのは愛琉だった。
さすがに後逸するかなと思ったが、その予想は大きく裏切られ、愛琉は左足の裏をベースにしっかり接触させながら、180度開脚で思い切り身体と右腕を伸ばして捕球した。ファーストならではの美技である。ほんの1メートル程度の距離差ではあるが、走塁は
「すげえ」
繁村は思わず
「ちゃんと投げてよ!」愛琉は泉川を叱咤した。
「すまん、ナイスプレー!」
泉川は素直に謝る。正直、あれだけ練習前はへらへらしているのに、ボールが飛んでくると彼女は目つきが変わる。まさしく球児の目。まるでONとOFFが切り替わるように。
続いて一塁方向へのノック。上級生の長友や由良には、一二間の鋭めの当たりや一塁ベースの段差でイレギュラーバウンドが怖いライン際を遠慮なく攻める。エラーした場合は容赦なくもう1本だ。一年生の青木も、すでに体験入部は終わっているので、バウンドの難しいノックを打つ。前に突っ込んで捕って欲しいところだが、未経験の青木には難しく、後ろに下がって何とかキャッチした。
「青木! 練習なんだから突っ込め! 下がるな!」
すかさず先輩からヤジが飛ぶ。
「はい! もう一球ください!」
2球目のノックでは、セカンドへの悪送球になってしまったため、結局3球目のノックでようやくエラーせず自分の番を終えることができた。ファーストへの最初のシートノックでは、捕球後セカンドに送球させている。
次は愛琉の番である。繁村は無意識に変な力がかかったのか、打った打球は正面のライナー性の比較的強い当たりだ。普通の女子なら叫んで腰を屈めて避けるのだろうが、愛琉は微動だにせず無言でキャッチする。
「もう1球ください!」
ノーバウンドで捕球した場合は、もう1球要求する風習がある。繁村はもう1球打つが、またライナー性の当たりとなってしまった。今度は少しセカンド方向にずれたが、これも難なく捕球。
「もう1球!」心なしか、愛琉の要求も強くなる。
繁村は再びノックを打つも、打ち損じでかなりボテボテの当たりになった。愛琉は勢いよく突っ込んで捕球するや否や、すぐに体を
その後もシートノックを繰り返すも、サード、ショート、セカンド、キャッチャーからの送球も愛琉は捕れる範囲のものはしっかり捕球し、暴投は見極めて迷わず塁を離れて捕りに行った。自身へのノックもエラーはない。これはどういうわけか、愛琉へのノックは、正面への当たりが多く、打球の難易度も高くなかったのかもしれない。それでも、正直ファーストの守備陣の中で彼女がいちばん安定していた。愛琉は投手なので、本業ではないはずだが。
「愛琉! すごいじゃん!」美郷は愛琉に賛辞を送ったが、それには気にも留めずに、繁村のもとに向かった。
「監督ぅ、打球、アタシにだけ遠慮してません?」
「え?」
「何か、ライナーとか正面のやつとか、イージーなのが多かったですよ! 長友さんとか由良さんとかキツネには難しいの打ってたのに」
キツネとは青木のことである。青木恒久の『木恒』のみを取り出して、キツネらしい。
「そ、そうか?」
「女子だからです?」
そんなつもりはなかったのだが、無意識に手加減してしまったのだろうか。愛琉は続ける。
「私にも難しいの打ってください! 男子と思って扱ってください!」
この言葉は繁村の胸に突き刺さった。なぜ愛琉は、野球になると女子を捨てることができるのか。中学時代、数えきれないほどの練習を重ねてきたのだろう。とても巧い。しかし、どれだけ巧くても彼女を公式戦で使うことはできない。記録員でしかベンチに入れないのだ。分かっていたとはいえ、改めて繁村は心苦しくなった。
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