1-05 投擲

 スリークオーターの腕振りから投じられた嶋廻愛琉の球は、真っ直ぐに児玉のミットへと収まり、バシッと重い快音を響かせた。児玉はほぼミットを動かしていない。つまりストライクだ。

 もう1球投じる。またもや放物線らしからぬ直線的な軌道でミットに吸い込まれた。


 全身を非常にうまく使っている。上半身だけでなく下半身も使い、左膝が地面につくくらい腰を落としている。あれは下半身を相当鍛えていて、なおかつ柔軟でないとできない。目測だが120 km/hくらいは出ていたのではなかろうか。さらに制球も悪くなさそうだ。女子であることを考えると、たしかに化け物である。

 もう一球投じる。やはり速い。しかも伸びがあるように見える。120 km/hは確実に出ている。

 男子でも、甲子園に出てくるエース級ならともかく、それ以外のピッチャーでこれくらいの速さの球を投げられる人間は多くない。いま思ったが、テイクバックが異様に小さい。彼女の腰の左側に左手を隠すような、変則的なフォームだ。あのテイクバックの小ささで、このスピードボールを投げられるのは凄い。それだけ全身を使って球速を補っているのだろう。一般的にテイクバックが小さいと球速は遅くなると言われているが、肩を壊しにくく、またバッターからも球の出所が見づらく打ちにくくなるという利点もある。


「次、変化球投げまーす! カーブです!」

 愛琉は児玉に宣言する。カーブも投げられるのか。やはりエースとして活躍したのなら変化球の一つは投げられるのかもしれないが、どうしても女子ゆえその凄さは倍増する。

 投球モーションに入る。先ほどとほぼ変わらない動作で、しなやかで鋭い腕振り。そこから放られたボールは、すっぽ抜けたかと疑うような軌道を描いた。明らかに70〜80 km/hそこそこしかない、縦に曲がる超スローカーブだった。児玉も予想外だったのかミットを動かしてしまったが、無理もない。後逸こういつしなかっただけでも素晴らしい。それくらいの変化だ。

 目測での球速が当たっていたら、先ほどのストレートとの球速差は40 km/hもある。そんなボールを、ストレートとほぼ変わらないフォームで豪快に投じる。これはどんなスラッガーでもタイミングを外されること必至だ。対照的に伸びやかな120 km/hのストレートは、出所の分かりにくいフォームとの相乗効果で球速以上のスピードに見えるに違いない。


「すげぇ……」


 繁村は完全に愛琉の投球に見蕩みとれていた。と同時に、15年前のある人物のことが想起された。

 かつてバッテリーを組んだしらやなぎすぐるだ。彼もサウスポーで、野球選手としては細身ながら、しなやかな腕の振りで、伸びのある速球を投げていた。そして、変化球とは球速差があり、並みいる強打者を翻弄した。そして、当時受けていた繁村もリリース直前まで、サイン間違いではないかと心配になるほど、同じ投球フォームで投げ分けられた。

 いま目の前にいる、嶋廻愛琉は160~165 cmほどの長身だがむしろ細身で、無駄のない身体つきだ。白柳もどこか中性的な出で立ちだが、それとは似つかわしくない豪球を投げ込む。そしてサウスポー。姓名のイントネーションまで似ている。年齢的には白柳が死んだ頃に生まれている。

 性別こそ違えど、嶋廻愛琉は白柳卓と驚くほど共通点が多い。それだけ、かつて繁村が女房役を務めた名投手を髣髴ほうふつとさせていたのだ。


「愛琉!」

「あ、監督! 何でしょう?」

 繁村は愛琉のもとに駆け寄った。いまからでも遅くない。男子硬式野球部に埋もれるなんてもったいない。これは女子プロ野球界も期待する逸材だ。しかるべき活躍の場を作ってあげないと、この子の魅力は霞んでしまう。

「いまからでも遅くない。そんないい球投げれる子が、うちにおったらダメちゃ!」

 生徒に対しては極力標準語で話そうと意識しているが、ここでは思わず宮崎弁が出てしまった。

「えっ?」

「試合に出れんちゃき、宝の持ち腐れになるっちゃ!」

「でも、それは分かっててここに居るんですよ」

「女子プロ野球に通用するレベルやと思う」

「ほんとですか!? 嬉しい!」

「で、でも、あくまで女子の中での話ちゃ。男子にはパワーに劣ってしまう。男子に交じっての練習じゃ、どこかで君を潰してしまうかもしれん」

「……」

「俺は、男子の指導しか経験がない。君の可能性を潰さないためにも、女子専門の指導の下で頑張ってもらった方が、絶対将来の君にとっていいと思うんだ」

「……ありがとうございます。監督はアタシのことを気にかけてくれてるんですね。もちろん、女子プロ野球の道もアタシ気になってましたし、可能性があるなら試してみたいとも思います。そのために通過すべきルートが、女子の硬式野球部のある高校に入学することだってことも分かってました」

「それじゃあ……」

 女子硬式野球部のあるところに行きなさいと言いかけたが、調べたところ県内の女子硬式野球部がある高校は北郷学園きたごうがくえん高校といい、日南にちなん市にある。日南市は宮崎市の南に隣接する。しかしここ清鵬館宮崎高校は宮崎市でも北部の佐土さどわらに位置しているし、平成の市町村合併で宮崎市だけでも相当広いので、通うのはかなり大変である。愛琉の家の事情も知らずにそんな気安く転校しなさいとは言えなかった。

「実際に親にも、野球やるなら北郷学園に行きなさいって言われました」

 何と、親御さんも北郷学園を勧めていたのか。

「じゃあ、なおさら何でこっちに来たんだい?」

「……」

「家がこっちの方が近かったから?」

「アタシの家はどっちかと言うと日南の方が近いんです」

 謎が深まる。本当にどうしてこっちに来たのか。

「し、繁村監督じゃなきゃダメだったんです! ただそれだけです。何で監督じゃなきゃダメかと言われても困るんですけど、監督の下で野球しなきゃ、って思ったんです。もし監督が北海道で指導してたとしても、アタシ、親を説得して北海道に行ってたでしょう。それくらいアタシにとっては、代わりがいない指導者なんです」

 自分のどこが、余人をもって代え難いというのか。甲子園で何度も優勝に導くような名将でも何でもない。元プロ野球選手でもない。選手として甲子園出場経験があるだけの、一般的には無名選手だ。

 愛琉は続ける。

「強いて言うなら、ピッチャーの力はキャッチャーのリードで引き出されると思うからです。白柳選手のリードを最大限に引き出す監督のプレーがアタシには凄いなと思ったんです。だから、監督が指導しているチームのキャッチャーなら、その配球のテクニックを伝授されていると思ったからでしょうか。とにかく、アタシは自分の魅力を最大限に引き出してくれるキャッチャーとバッテリーを組みたいんです」

 なるほど。この子は高校生になったばかりの野球少女だが、ちゃんとした哲学を持っている。思い出せば、白柳も言っていた。15年前の清鵬館宮崎の快進撃によって、白柳にも注目が集まったが、彼は極めて謙虚な人間だった。インタビューでは、常に監督、打って守ってくれた野手、控え選手、応援してくれたみんなに感謝の言葉を忘れなかった。特に、女房役だった繁村には、「繁村が僕の力を最大限に引き出してくれているだけです。繁村のサインと構えた位置に従っただけなので、凄いのは繁村なんです」と言ってくれた。もともと買い被る傾向にあった男だが、それでも純粋に嬉しかった。マスコミにとってはビッグマウスを叩いてくれた方が記事映えするので、面白くなかったかもしれない。それでも記者の誘導には乗らず、あくまで謙虚を貫いたのだ。

 そんな、野球というチームスポーツに対する精神まで、愛琉は受け継がれている。白柳と異なるのは性別だけのようだと思うくらい酷似している。

 彼女を練習で潰してはいけない、という気持ちと、彼女の野球哲学を大事にしたいという気持ちが繁村の中でせめっていた。ただ、ここまで言ってくれる愛琉に、これ以上北郷学園に行けと進めるのは、指導者らしからぬ言葉かなと思われた。

「分かった。そこまで言うなら、うちの野球部で選手としてやるがいいさ」

「ありがとうございます!」

 愛琉は深々と頭を下げた。

 いつの間にか、他の選手たち、さらには新入部員たちもこちらを見ていた。急にどこかバツが悪くなった気がして、一つ気になったことを聞いてみることにした。

「ところでさ、愛琉。日南の方が近いって言っちょったけど、どこに住んでると?」

青島あおしまです」

「青島!? 遠いな? 電車け?」

「いえ、トレーニングの一環だと思って、晴れてるときは自転車です」

「自転車っちゃと!? 2時間はかかるちゃろ?」繁村は困惑した。

 青島神社で有名な青島は宮崎市の南部にある。宮崎市を南から北まで、自転車で縦断していることになる。

「ええ。なのでクロスバイクにしました! 片道1時間30分くらいです」

 造作ないといった感じで愛琉は言った。

「……」

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