1-03 容認

「……というわけなんですけど、甲斐教頭、いかがですか?」

 甲斐かい紳一郎しんいちろう教頭は、繁村を野球部監督に誘った張本人であると同時に、野球部の顧問を務めている。実は、甲斐教頭は繁村が高校生の時、担当教諭を務めたこともあり、さらには繁村と同じ理科(教頭は生物担当)の教諭である。そして甲斐自身も清鵬館宮崎高校出身である。

 いまは教頭なので教鞭をとっていないが、高校生の時から、そして繁村が母校の教員になっても、良き相談役になっている。禿頭とくとうで老け込んでしまったが、それでも教育に対する情熱は熱い。

「確かに、面接でそんな子がいたな。嶋廻さんだろう。確かに、親御さんもここのOB、OGでね、珍しい名前だから覚えてるよ。まさかお嬢さんが来るとはね」

「知ってるんですか?」

「ああ、だって、しまめぐりめぐくんもしいつぐさんも同級生だったからね。二人が結婚したとは、風のうわさで聞いてたけどね」

「そ、そうなんですか?」

「偶然にもね。嶋廻くんは野球部に所属していてレギュラー目前までいってたけど、二年生の途中で骨折してしまって、それからは裏方をずっとやってたんだ。椎葉さんはそのときのマネージャーで、二人とも野球に対する思いは熱く、特に嶋廻くんはグランドに立てなかったから、野球部への未練が多いのかもしれないね」

「なるほど」

 野球部で繁村はレギュラーを獲得できたが、部員の多いところでは、それは一握りである。グラウンドに立てなかった部員の分まで全力を尽くせと言われたものだ。特に、実力がありながらも怪我によって断念せざるを得なくなった部員は、その無念は筆舌に尽くしがたいだろう。

「嶋廻さんを、選手として入れてあげたらどうです?」

 甲斐教頭が突然言った。

「え?」

「前途ある高校生が、青春をスポーツに費やしたいと言っている。それが女子だからと言って断る権利は、我々にはありませんよ」

「……そうですが」

「自分が、長年の憧れだった師にようやく出会えたら、先生だったらどうします?」

「えっと、それは」

「仮にひのき舞台に立てなくても、門を叩くのではないでしょうか?」

 甲斐教頭はしみじみと言った。そして続ける。

「あの子の目は本物だった。そしてきっと部活を盛り上げる素晴らしい選手になれる。もちろん身の安全には充分配慮しなければいけないが、それは男子部員だって同じだ。大丈夫、私もいままで以上に顔を出すようにします。だから嶋廻さんを選手として入れてあげてくれないか。校長には私から言っときますから」

 そこまで言われてしまったら仕方がない。

「わかりました、教頭」

「よろしく頼みますよ。繁村監督」

 そう言って、甲斐教頭は繁村の肩をポンと叩いた。


 入学式もその翌日も、しばらくは新入生勧誘のため、練習は縮小している。4月の中旬から下旬にかけて九州地区野球大会が開催されるのだが、3月に先駆けて行われる九州地区高校野球宮崎県予選で清鵬館宮崎は2回戦で敗退してしまい、九州地区野球大会の出場権を逃している。敗因の一つとして、昨夏に三年生が多く引退し、部員は12人しかいなくなってしまったため、満足のいく練習はできなかった。よって、今後の部の存続のためにも、とにかく勧誘に力を割くしかない状況である。

 しかしながら、清鵬館宮崎は偏差値としては最近は57〜58くらいにまで上がってきており、中の上クラスの学校である。それゆえか体育会系というよりは理系、文系の生徒が増えてきた。大学進学を考えている生徒も多い。全員が部活に入ることを強制されておらず、帰宅部や幽霊部員も多い。

 硬式野球部については、我が校が強かったのは今や昔で、本格的に野球をやりたい生徒はもっと強豪校に行っている。清鵬館宮崎高校硬式野球部は『復活を目指す古豪』といったところか。繁村が甲子園で準優勝するまでは、何年かに一度は甲子園に出場していた。参加校は50もないので、5〜6回勝てば甲子園の切符を手に入れられるのだが、繁村が卒業してからは、例の事故の影響でチームは衰退し、繁村が監督に就任するまでは初戦敗退の年が続いていた。監督就任後は少しかつての強さを取り戻したが、やはり甲子園の切符は遠い。


「硬式野球部です! よろしくお願いしまーす!」

 新二年生、新三年生の部員たちが必死にビラを配っている。なにしろ12人しかいないのだ。投手は1人しかいないし、マネージャーもいない。

「監督っ!」

 背後から急に声をかけられ、繁村はビックリする。しかし、声色から声の主は分かった。

「嶋廻さん?」

 振り返ると、相変わらず溌剌はつらつとした笑顔で繁村の方を見る。用件はすぐ分かった。

「で、アタシの入部どうなりました?」

 教頭には「よろしく頼みますよ」と言われて、一旦は了承したものの、まだ繁村の中で気持ちの整理がついていなかった。ここで許可したら、3年間の高校生活を男子野球に染められていくのである。マネージャーなら問題ないのだが、選手としてはやはりちゅうちょする。嶋廻さん、君は本当にそれでいいのか、と心の中で愛琉に問いかけた。

「あ、そのな?」

「まさか、まだ聞いてくれてないんですか?」

 愛琉が下から覗き込むように見上げてくる。彼女はほぼノーメイクと思われるが、長い睫毛を蓄えており、加えてはっきりとした二重瞼の瞳は円らで大きい。ブーゲンビリアがあしらわれた髪留め用のゴムでポニーテールに束ねられたセピアの髪がよく似合っている。あまりこのようなシチュエーションに慣れていないので、思わず目を逸らした。

「相談してるぞ、ちゃんとな?」

「じゃあ、どうだったんです?」

 目の前の新入生は容赦しない。倍以上離れた女子のペースに翻弄されている。すると、愛琉は急に「あ! いいこと思い付きました!」と言った。

「何だ?」

「アタシも勧誘手伝います。だって、マネージャーも卒業して、いないんでしょう? ずばり女っ気が足りません! それじゃあ、才能ある男子も、サッカー部やラグビー部に引き抜かれてしまいます。だから、アタシがビラ配りやって、ついでにクラスの男子を10人くらい引っ張ってきますから、監督、アタシを選手にして下さいっ! いいですよね!?」

 強引な取り引きだ。しかし痛いところを突いている。傍目で見ても、サッカー部やラグビー部は人気で、もちろん強いのもあるのだが、無念なことにマネージャーは新二〜三年生でも美形の女子がそれぞれ複数人在籍している。男の悲しいさがだが、単純に迷ったときにマネージャーの存在で最終判断を下すことは大いにあり得る。そのあたり、硬式野球部は分が悪い。新入部員ゼロなんてことがあったら、甲斐教頭に会わす顔がない。

「わ、分かった、選手としての入部を認めよう」

「え、ホントに!? やったやった!」

 愛琉はキャッキャとまるで子供のように跳ねて喜んでいる。この子は根っから明るい子なのだろう。しかも、サッカー部やラグビー部のマネージャーを凌駕するくらいの美貌を誇っている。正直、部の存続という大きな課題を前にして、背に腹をかえられなかった。この子は野球部の起爆剤になり得るかもしれない。

 愛琉はさっそく「じゃあ、ビラ配りします! 明日から男子捕まえて来るんで、練習に参加させて下さい!」と言う。

 そう言えば、愛琉は練習に見学すら来ていない。それなのに入部を決めて、勧誘まですると言う。男子を捕まえるなんて、まるで狩りのようだ。でも何だか、この愛琉という子には不思議な魅力が備わっているような気がした。

「分かった、じゃあ、さっそく主将キャプテンを呼んでこよう」


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