1-02 熱意

「ちょ、ちょっといきなりどうしたんだい!?」

 あまりにも唐突な告白に、繁村は大いに面食らった。しかし眼前の女子生徒は至って真剣そのものである。何かの罰ゲームでやらされているとも、恥ずかしいのをこらえながら勇気を振り絞っているようにも見えない。「アタシのボールを、監督のミットでキャッチして下さいっ!」と女子生徒は言ったが、それこそ直球勝負の告白である。

「このとおり、監督に憧れてこの学校に入ったんです!」

 そう言って、新調したばかりの制服を見せつけるように、目の前で両手を横に挙げながら一周ターンする。あかのブーゲンビリアを模したようなヘアゴムと、さらりと伸びたポニーテールがなびいた。

 そう言えば、2月の入学試験の面接で、志望動機を聞かれて、力強く「硬式野球部の繁村監督がいるからです!」と答えた女子生徒がいる、というのを聞いた。男子ならともかく、女子でこんなことを言う生徒はまずいないだろう。いわゆる甲子園大会は、男子しか出場が認められていない。

「えっと、ちょ、ちょっと落ち着こうか」

 そう言ったものの、落ち着くべきは繁村自身であることに気付き、再び戸惑う。周囲の職員もいるのでバツが悪い。パーテーションに仕切られたちょっとした打ち合わせテーブルがあるので、そこに移ることにした。

「失礼します!」

 彼女は勢い良く断りを入れて、椅子にかける。

「君は新入生だよね?」

「はい、1年F組、しまめぐりめぐ、硬式野球部入部希望です!」

 いちいち声が大きく、しかも通る声だ。パーテーションで仕切られているだけなので、声が職員室全体に響き渡る。

 繁村は1年A組の副担任なので、彼女のいるクラスではないが、1年生の物理基礎を今年担当する予定である。

「ありがとう。で、なぜ僕に憧れてるって?」

「それは、もう決まっています! 監督が出場した夏の甲子園大会を観て、監督の活躍ぶりに感動したからです!」

「あ、ああ、どうもありがとう」

 言わずもがな2003年の夏の準優勝した大会である。しかし同時に、3年間バッテリーを組んだ盟友を失った大会でもある。いまから15年くらい前の話だ。君、ひょっとしたら生まれてないよね、と心の中で目の前の嶋廻愛琉に問いかけた。

「何と言っても、決勝の大阪黎信おおさかれいしん戦は凄かった! 負けてしまったけど、春夏連覇で史上最強打線とも言われたあのチームをあそこまで抑え込んだのは、なかなかできるものではありません!」

 愛琉はあたかも評論家のように熱弁する。しかし、準優勝のいちばんの立役者は、たぐいまれな投球術が光った左腕エースの故・しらやなぎすぐるだと思うし、ファンの間でもそう語り継がれていると思う。繁村は彼の投球をキャッチしていただけに過ぎない。

「そうだな、白柳卓、あいつは凄かった。プロも行けるくらいの実力だったと思うが、死んじまったな……」

 思わず、あのときの無念が蘇り、しみじみとした口調となってしまった。しかしながら、愛琉からは意外な言葉が返ってきた。

「いえ、アタシがいちばん凄かったと思うのは、繁村監督の方です!」

「はい?」

 思わず、間が抜けたような返答をしてしまった。

「だって、白柳選手が活躍できたのは、監督のキャッチングの賜物です。確かに白柳選手は凄いですが、その魅力を最大限に引き出したのは間違いなく監督ですから!」

 愛琉は真剣な眼差しでさらに熱弁を続ける。

「まず、強力な右打者でも、インコースを攻めさせた。特に岡田選手のふところ深くに突っ込むような絶妙なクロスファイアは、なかなかできるものではありません。そして、赤木選手の盗塁阻止。当時、赤木選手を塁に送り出すことは、ソロホームラン1本に値するとまで言われたほどです。甲子園での盗塁成功率10割だった赤木選手を唯一、しかも複数回に渡って阻止したのは、繁村監督しかいません。それに、ピンチのときに絶妙なタイミングでピッチャーのもとに駆け寄ってたし、フレーミングで三振も何個か稼いでました。あと、タイムリーでの失点だって、もしいまだったらコリジョンルールが適用されてアウト判定です!」

 この子は一体何者かと思うくらいの評論っぷりだ。驚愕しっぱなしである。『クロスファイア』、『フレーミング』、『コリジョンルール』なんて言葉、普通の女子高生はまず知らないだろう。

「い、いっぱい、観てるんだね? でもどうやって観たの?」

「はい。実は両親がここの卒業生で、高校野球も好きだったもんですから、この2003年の大会をすべて録画してたんです。穴があくほど観ました!」

 変わった子もいるものだ、と思いながら、ではなくて本物の野球ファンであることは確かなようだ。ここまで来たら入部を認めざるを得ない。実はマネージャーも卒業していなくなってしまったから、困っていたところだった。しかし、選手よりも先にマネージャーが入るとは。

「……それはどうもありがとう。うちに入部ってことでいいね」

「やった! じゃあ、いいんですかっ!」

 愛琉はとても嬉しそうな顔をする。

「ああ、君のような明るくて元気なマネージャーがいると、きっとチームにも活気が出るよ。ちょうど卒業しちゃってね」

 すると、急に愛琉の表情が渋くなった。

「か、監督!? アタシ、マネージャー志望じゃありません! 選手です!」

「はっ?」

 一瞬耳を疑った。

「だって、アタシ言ったじゃないですか? アタシのボールを、監督のミットでキャッチして下さい、って!」

 それはただの比喩表現だと思って受け流していたが、本当にボールを投げるというのか。

「いや、しかし……」

「アタシ、『エリザベスアンガス日向ひゅうが』でもエースとして投げてきました。全国女子中学生硬式野球選手権では3位でした。正直、そこいらの同年代の男子よりも速い球投げれます! 足も速いです!」

 『エリザベスアンガス日向』とは、確か全日本女子野球連盟所属のチームだったか。正直女子野球はノーマークだったので詳しくはない。本気で選手になりたのなら、女子高校野球部がある高校に行くべきだと思うだけに、謎である。

「そ、そう言われても……」

 愛琉は、確かにスポーツをやっていそうな風貌の女子生徒だ。小麦色に焼けた肌が、さらにそういう印象を助長させる。しかし、何と言っても、現在の規定では、甲子園大会に女子の出場は認められていない。そもそも公式戦すべてに出られないのではないか。

「監督が言いたいことは分かります。女子だから、ってことでしょう?」

「知ってると思うけど、うちの硬式野球部は男子しか大会に出られない。残念ながらうちには女子野球部はない。そんな中では、君の運動能力を充分に引き出せないだろう」

「それでもいいんです」言下にきっぱりと言う。

「それでもなぁ……。例えば足が速いなら陸上部だってある。ソフトボール部はないが、野球やってたなら硬式テニスやバドミントンでも活躍できるんじゃないかな」

「それじゃダメなんです。監督のいる野球部で野球ができないと意味ないんです!」

 愛琉は立ち上がって、前屈して迫ってきたので、繁村はのけぞった。

「お、親御さんは心配しないか? だって硬球が飛んでくるんだぞ。中学生のときと違ってスピードは速い」

「そこは、半年かけて説得しましたから大丈夫です」

「半年も?」

 すごい執念である。そんな執念を女子生徒に燃やさせるほどの魅力が自分にあるのだろうか、ましてやいまは現役ではないのに、と繁村は不思議に思えてならない。

「ま、まあ、分かった。でもちょっと待ってくれ。はじめてのことなんで俺の一存で決めるのもどうかと思う。上とも相談させて欲しい」

「お願いします! いいご回答をお待ちしております」

 うやうやしく愛琉は頭を下げた。


 そうは言ったものの、果たして女子生徒が男子部員に交じって練習できるのだろうか。高校生の男女のパワーの差はどうしても歴然だ。練習も女子にはこくである。

 まずは、一旦選手として受け入れてみて、どこかで限界を感じてもらって、マネージャー転向させるのもありかな、と思っている。彼女は『エリザベスアンガス日向』でプレーしてきたと言う。全国で3位のチームならきっと実力のあるチームだろう。そこでエースとして活躍してきたのなら彼女自身も実力はあるのだろう。正直、間に合うのならば女子野球部のあるところに入学し直した方が彼女のためになるのだろうが。

 男子高校生の野球部でプレーさせる上で心配なのは、何と言っても事故だ。取り返しのつかないことも起こりうる。相手が女子だからというわけではないが、必要以上に気を遣ってしまう。そして、どれだけ上達しても公式戦に出られないわけだから、そんな環境で彼女自身モチベーションを維持できるのかが心配である。


 複数の懸念を抱えながら、今度、教頭、校長に相談してみることにした。

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