第二章〜片思いの彼〜

 今日も、清々すがすがしい陽気。容赦なく照りつける太陽。地獄のような熱風に、太陽に熱せられた地面。暑くて熱くて、嫌になってしまう。しかし、それでも、外に出た。家の中にいても、何もすることがなく、暇なだけ。だから、外に出たのだ。でも、今日は、とっておきのところに行こう。幼い頃から行っていたあの場所へ。

 と、その前に。誘おうかな。彼を。サンくんを。昨日の生き物探しみたいに、一緒に行ってみようかな。よし、そうしよう。

 その間に説明を。私が住んでいるのは、山に囲まれた小さな盆地ぼんち。一面、田んぼが広がる田舎いなか町。いや、村と言った方がしっくりくる。この田舎村では、都会に比べたら少ないに決まっているが、少ないかと言われれば、そうでもない。この小さく、そのほとんどの面積を田んぼで埋まっているこの盆地には、ちょうどいい人数。もちろん、多くが年配の人だが、子供の数もそれなりにいる。三世代で住んでいるところもある。この盆地の中には、小学校はあるが、中学校はなく。電車に乗って、山を越え、隣の町の学校に通っている。私とサンくんは、家が近いご近所さんで、学校に通学する時も、毎日一緒だ。だから、結構深い仲だ。それが、最近、思春心がつき、彼に恋心を持ったというところだ。

 もうそろそろ、彼の家の近くまで来た。正直、とても緊張している。私の方から彼に誘うことは、これが初めて。彼の方から誘われることがほとんどだ。あまり、人を誘うことは苦手だ。でも、今回は、がんばってみよう。

 そして、彼の家の前で足を止める。私の緊張もマックスまで到達とうたつした。数秒ほど、棒立ちしてから、玄関まで歩いた。足はわずかに震えていた。家のドアの前に立って、微動びどうする手でインターホンを押した。

 変に見られそうで嫌だなと思ったが、いまさら引き下がれない。

 ドアが開いた。出てきたのは、彼、本人。ちょっと安心した。他の家族じゃなくて良かった。

「……やぁ、サンくん。おはよう」

「あ、おはよう。八海。何かようでも?」

「うん、ちょっと。付き合って欲しくて」

「え?」

「⁉︎」

 その瞬間、 知らぬ間に私の体内に設置されていた時限爆弾じげんばくだんが爆発した。

 な、何言ってんだ! 違う!

心臓が激しく動き、情緒じょうしょ不安定になった。

「いや、あの、ちょっと……滝のふちのところ、一緒に行きたいなと思って」

「あー、あそこね。いいよ。ちょっと待ってて」

 あぁ、ヤバイ。やってしまったー。でも、能天気な彼だから、あまり気にしていないだろう。大丈夫!

 そう言い聞かせ、なんとか落ち着くことができた。

 

「お待たせ。じゃ、早速いこ」

 いつもの麦わら帽に、リュックを背負って、長袖、長ズボンだ。

「珍しいね。長袖、長ズボン」

「当たり前だよ。山みたいな自然のとこに行く時には、肌は隠さなきゃいけないから」

 それから、私の服装を見て口を開く。

「八海も長袖、長ズボンにしたら」

 私の現在の服装は、Tシャツにキュロット、ぶかぶかのサンダル。大いに肌が露出している。確かに、これは山の中に行く格好ではない。しかし、だ。

「えぇ、暑くない? それに、水遊びするのに」

「山の中は、涼しいから大丈夫。それに、川で遊ぶ時に肌が出てると、ケガしやすいよ。薄いのでいいから。何か、肌を隠すやつ着やぁよ」

 その言葉に従って、一度、家に戻った。そして、薄い水色の上着に、七分丈ぶたけの黒のスパッツを履いた。さらに、いつもの水筒に麦茶を入れ、準備万端。

 改めて、家を出た。今度こそ、例のとっておきの場所に行く。

 なんだか、遠足に出かけるみたいで、とってもワクワクしてきた。

「よーし、レッツゴー!」

「八海、いつもより元気だな」

 うん。今日の私は、一味違うのよ。

 

 出発してから、十分程度が経った。すでに山の中に入っている。目的地のあの場所は、私の家の近い山の森林を歩いた、奥のところにある。そこに着くまでは、結構なの距離を歩く必要がある。

 しかし、私やサンくんは、そこに何度も行っているため、早い段階でバテることはない。森林の中は冷涼れいりょうで、汗ばむこともなく、気持ち的にも楽だ。

 鳥の声が聞こえる。どこから聞こえるのかわからない鳥の声。あの甲高かんだかい声が、私に心の安らぎをあたえる。視界にみえるは、ずっしりとした、立派な木の幹。そこから細い枝となり、そこら中に広がる緑の葉っぱ。心強いような木々の群が、私たちを優しく出迎え、包み込んでいるかのようだった。そよそよと吹く冷たい風。涼しくて、気持ちが良い。ここは、植物で溢れているため、空気も澄んでいる。私は、身体全体で呼吸をした。心は晴々としていた。ずっとここにいても良いと思った。涼しく、呼吸もしやすく、さわやかな情景。こんなにも素敵なところは他にないだろう。

 そんな安らぎの場所。しかし、夏の森林(いや、村や町でもあるのだが)には、ひとつ、気がかりなものもあった。

「!」

 早速、お出ましだ。

 私は、心の中でけたたましい悲鳴を上げ、

反射的な猛ダッシュで、少し前を歩くサンくんの横に並んだ。

 サンくんは、突然、怯えた様子の私を不思議に思ったようで、頭にハテナを浮かべて尋ねた。

「どうしたの?」

「き、気にしないで」

 大したことではないため、そこまで気にする必要はない。しかし、彼は振り返り、原因となるものを確認。納得したようだ。

「あー、セミ?」

「うん」

 私は虫が大の苦手だ。特にセミ。ひっくり返って落ちているやつ。あれがめっちゃ嫌。死んでいるかと思いきや、風かなんかでビビビッと動くのが本当に嫌だ。それを想像するだけで怖い。

 しかし、サンくんは、そうではないようで、むしろ、ひっくり返って落ちているセミに向かっていった。私は、彼の次の行動が想像ついて、怖くて、反対側を向き、目を手で覆った。

 サンくん。何をするの!

 次の瞬間、ビビビッと私が恐れていた音が聞こえた。

 いやややや!

「うわぁ、これ、死んでないよ。何でこんなところで転がってるんだろう?」

 彼は、もの動じせず、全く怯えたようすもない。さっきから怯えっぱなしの私とは正反対だ。すごい度胸だと、尊敬するほどだ。しかし、彼には度胸と言う言葉など存在しないのだろう。とっても自然な言い方であった。

「そこまで怖がる必要もないのに。さっ、行こう」

 やっぱり、彼には尊敬の眼差ししかない。


 ようやく目的地に到着した。それは、天然の淵。その奥には、小さな滝が流れていた。

周囲は草木に囲まれ、木漏こもれ日が差していた。その水は透き通っていた。淵の底が見えそうなほど。綺麗なシアン色。絵に描く水の色に近い色。テレビで取り上げられるような、神秘しんぴ的な淵。妖精ようせいが住んでいそうだ。

 私たちは、すぐさま淵のそばに駆け寄った。そして、ズボンのすそをまくり、足を水の中に入れた。冷たい。ひんやりと冷えている。足が凍ってしまいそうだ。

「冷たい」

「うん、冷たい。でも、そのうち慣れていくよ」

 そのまま、いける範囲まで進んだ。滑って転んでしまわないか不安ではあった。川の中は滑りやすい。平均台へいきんだいの上でバランスを取るように、手を小さく広げ、最注意を払った。慎重に、慎重に。

「大丈夫?」

 サンくんが気遣ってくれて、彼の手を借りた。私は彼の手をつかんで、慎重に歩いた。滑ってしまいそうな不安さと、彼の手をつかんでいるという謎の緊張が渦巻うずまいて、私の心臓は、変な感じになっていた。

 うわぁ!

「八海!」

 ついに、私は足を滑らし、尻もちをついてしまった。サンくんがとっさに私の手をつかんでくれたため、痛い思いはしなかったものの、私のお尻は水に浸かっていた。けっこう進んだところで転んだため、骨盤の上のところまで浸かった。もちろん。中の中まで水は染み込んでいる。最悪だ。

「だ、大丈夫?」

「まあ、濡れちゃったけど……」

「よいしょっ」

「え、ちょっと!」

びっくりした。何と、彼は、自ら水面下に腰を下ろした。

「大丈夫なの⁉︎」

「まぁ、なんとかなる」

 と言い、足をバタバタさせた。

 すごいなと思った。

 ふと、下を見ると、水中で動く、複数の影が見えた。

「あ、魚だ」

「こっちにもいるよ」

 その魚を捕まえようと指を伸ばした。しかし、小さな魚たちは素早くて、一匹も捕まえることができなかった。

「あぁ、無理だ」

「素手で捕まえるのは無理だよ」

「網かなんか持ってきてる?」

「持ってきてないよ」

 まぁ、別にそれが目的じゃないんだからいいんだけどね。

 やがて、私たちは、起き上がり、岸の方へと戻った。下半身はびしょれだ。サンくんは、リュックサックから、大きめタオルを取り出した。それを、私に渡してくれた。

「え、いいの?」

「うん、二枚持ってきたから」

 どうやら、サンくんは、こうなることを想定していたようだ。私は、渡してくれたタオルで、下半身を拭いた。外側だけ。

 そして、村の方に帰った。


 森林を抜け、私の家の前まで着いたところで、サンくんと別れる。

「じゃあねー」

「またね!」

 私は踵を返し、家に帰宅した。頭の中には、淵でのことを思い出していた。

「ただいま」

「おかえり」

家の中には、お婆ちゃんがいた。

「あら、やっちゃん。びしょ濡れじゃない。どこ行ってたの?」

「ほら、あの、淵のところ」

「あぁ、足をすべらしたんだね」

「うん」

「じゃあ、パンツまでびしょびしょだ。着替え持ってくるから」

「ありがとう」

お婆ちゃんが持ってきてくれた下着や服に着替えた。そして、床に座って、テレビをつけた。ついたときにやっていた番組を適当に見ていた。


 時刻は、夕方になり、母が帰ってきた。

「おかえりー」

「ただいま、八海。宿題はやった?」

 もちろん、やっていない。私は無言を貫く。いつものことなので、母はすぐに察し、ため息をついた。

「夏休みも、あと少しだよ。陽助が来る前に終わらしてよ」

「はーい」

 確かに、お兄ちゃんがいるときに、宿題の存在におびやかされたくない。さっさと終わらせておこう。

 私は、自分の部屋に行き、まだまだまだ残っている宿題との長い戦いにのぞんだ。

 お兄ちゃんが来る前に、片付けておかなきゃ。でも、そう長くは集中できない。この戦いは、かなり長く、苦しいものになるだろう。

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