◆第三章
第7話 理解を超えたもの
「おはよう」
通路でハロルドに会ったトラッドは、朝らしく陽気に挨拶をした。ハロルドはそれに無言で応えて先を歩く。
ハロルドはふと、トラッドを一瞥する。
「深夜にベリルと話していたな。何を話していた」
施設には、あらゆる場所に監視カメラが設置されている。もちろん、ベリルを監視するためのものだ。
モニタールームも完備され四六時中、必ず一人はカメラの映像を監視している。できる限りベリルとは距離を置き、単独で会う事も禁止されている。
それほどに、油断ならない相手であると教え込んでいる。
しかれど、ハロルドの息子にベリルと話したいと頼まれて拒否できる同志はいない。
トラッドは最も近くでハロルドの言葉を聞いてきた者だからだ。ハロルドほどではないものの、強い尊敬の念を集めている。
とはいえ、彼の言動はお調子者のそれであり、呆れられる事も多々あった。
「あれ? 声、聞こえなかった?」
彼に心を開いて貰うために、雑談をしていたんだよ。
「飴と
「そうか」
息子の言葉に納得し、連れだってベリルのいる部屋に向かう。
──二枚扉に近づくと、触れることなく静かに左右に分かれて開き、中央に設置された水槽が四方のライトに照らされている。
水槽を見つめる青年たちの、どこか異様な輝きを宿す眼差しと、視線を向けられているベリルの表情とはかなりの温度差があるように思えた。
同志たちにとって、師であるハロルドが全てを賭けた存在は、それだけで価値のある人物に
ハロルドに対する絶対の信頼と尊敬──崇高な意志はこの世に広く伝えられるべきで、理解しない者は人類の未来には選ばれない。
若者にありがちな稚拙な信念を基盤に、ハロルドは彼らを信奉者へと変えた。
「準備をしろ」
ハロルドが指示をすると、そこにいた青年たちは慌ただしく動き出す。何をするつもりなのか、三人ほどがそれぞれに何かを握っている。
数分後、
「始めろ」
ハロルドの合図で水槽内にガスが送り込まれる。ベリルはひとまず腕で口を塞ぐが、逃げ場のない空間ではそれも無駄なあがきでしかない。
吸い込んだガスはベリルから意識を奪い、やがて深い眠りに就いた。そうして水槽の扉が開け放たれ、五人ほどが滑り込む。
「相手が
トラッドは作業を眺めながらつぶやいた。
「お前が言った事だ」
「まあそうだけど」
本当にやるとは思わなかった。いや、そうでもないか。
そんな父さんが、こんな事で
僕はそのとき、まだ五歳だったから何も知らなかったけど、もし知っていても何も言わなかっただろう。
それほどに、ハロルドという存在は僕にとって父以上だった。今でも父は、僕を導く偉大な存在だけど、父さんにとって僕は息子というより同志の一人でしかないのかもしれない。
それでも構わない。父の理想を実現するための
「──っがは!?」
ベリルは息苦しさに目を覚ます。しかし目の前は暗闇で何も見えない。何かで目隠しをされているようだ。
また水中に沈めるつもりか。肺に入ってくる液体に、またあの苦しみを味わうのかと顔を歪ませた。
両腕が動かない。左右からワイヤーで固定されているようだ。両足すらも拘束され、何かに固定されているのか、まったく身動きが取れない。
「──っ」
絶命する瞬間の苦痛から意識を飛ばし、次に目を覚ますと水中に適応した状態となっている。ここから逃げ出せなければ、これを何度も繰り返すことになるのだろう。
「さあ、始めよう」
適応したベリルを確認し、ハロルドは再びヘッドセットを装着して演説を開始する。
トラッドは、目隠しをされ手足を拘束されて水中を揺らめくベリルの姿を眺めながら、薄ぼんやりとハロルドの声を聞いていた。
父さんの言っている事は間違いじゃないはずだ。君は、それが解っているんだろう。なのに、何を今さら父に反発しているんだ。
これは拷問そのものだ。酷い仕打ちを繰り返し、精神的にも肉体的にも
その言葉が全てだと
洗脳の方法を理解していれば効果が無いと思うかもしれない。しかし実際に味わうと、人は面白いほど簡単に洗脳される。
でも、果たしてそれが
ベリルなら、この方法をよく知っているだろう。けれど、彼に対しては理解している、していないという問題じゃない。
彼はいままで一度も、この方法を使われた事はないのだろうか。そんな事はあり得ないようにも思える。
彼は過去に、CIAに捕らわれた事がある。もちろん、不死を究明するためだ。そのときに、洗脳の経験はしていると僕はみている。
そして彼は、一年を経たずしてそこから逃走している。その後、アメリカは再び彼を捕らえる事はしなかった。
きっと精鋭がベリルの不死に挑み、その結果、彼の不死は彼だけものであり、彼以外の誰もそれを得られないと結論づけたのだろう。
ならば、彼を拘束するのではなく、その能力を活かしてもらう方向に転換した。それが国家の利になると判断したんだ。
現に、アメリカはいま彼に積極的に協力する国の一つとなっている。
だからといって、ベリルがアメリカのために動くことはない。それでも、彼と仲良くなっていた方が得であるのは明白だ。
結局のところ、そんな自覚はないだろうけどみんな
ベリルという人物は、色んなものを相手にしている。そんな人間の一長一短を、果たしてどれだけ知る事が出来ているのだろう。
僕たちは、彼の心の内を何も知らない。
そう、ここにいる人間は、誰一人としてベリルについて解ってはいないんだ──
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