第6話 悪魔の証明
二時間ほどが経過してハロルドが戻ってきた。
「大丈夫?」
思っていたよりも体力あるねと思いつつ、場所を父に譲る。
「うむ」
ハロルドは気を取り直しベリルを見つめた。
「わたしが死ぬことを願っているのだろうが、そう簡単に君の望みは果たされない」
「それほど高望みはしない方でね」
案外とフランクなんだ。トラッドはベリルの返しに意外な一面を見た気がした。
けれど、彼は仲間からも慕われている。それを思えば、柔軟な対応や親しみやすい態度、交渉が上手いのかもしれない。
「君がそう望もうとも、わたしには同志が大勢いる」
わたしの意志は継続されていくのだよ。決して途絶えることはない。君はいつしか世界の指導者として、ここから旅立つのだ。
ハロルドは描いた未来を思い浮かべて恍惚としたが、それを見るベリルの目は冷ややかだった。
「どれほど
お前が死んだあと、その意志が確実に変わらずにあり続けると思うのか。
「説得を続ければ私が賛同すると信じているようだが──」
──その逆をどうして考えない。
「逆、だと?」
ハロルドは顔をしかめ、背後にいる青年たちに目を向けた。
「人の忍耐を過大評価しないことだ。続けられるのはせいぜい、三ヶ月。あとは
「何が言いたい」
「そうなれば、他者の意見が
私が彼らを
「あり得ない!」
強く反論したハロルドに、トラッドは苦い表情を浮かべた。
これは、誰でも不安になる部分だ。データにも残しているけれど、昔からの宗教を見れば解るように、それがそのまま伝えられる確信など無い。
カリスマ性のある人間に語らせれば、長い年月のあいだに磨かれた思想など簡単に覆るだろう。なんとも痛いところを突いてくる。
人間の思想なんて、その程度のものなのかもしれないけど。
「君は何十年と閉じこめられても、考えは変わらないと言い切れるのか」
ベリルはそれに、
「やってみてはどうか」
その笑みに、そこにいた全員が身を震わせ、ハロルドはますます確信を高めた。
「トラッド」
「なに?」
「明日、再び容器を水で満たす」
「解りました」
準備をするようにと青年たちに言い残し、ハロルドは部屋を後にする。
その夜──トラッドはベリルの元を訪れた。
「父さんが声を
ベリルはそれに、あの程度でかと眉を寄せる。
「そのおかげで、ますます君にご
肩をすくめたトラッドに、ベリルは眉間のしわを深くした。
「君が賛同すれば、実行するのは容易い」
「随分と自信がある」
「僕たちが計画を立てる必要がないからさ」
君がその気になりさえすれば、君自身が計画を立てるからね。
「ここにきて人任せとは呆れる」
「あ、そういう言い方する?」
意地悪だなあとケラケラ笑う。
「だって、状勢は常に変化しているでしょ?」
だからさ、いま計画しても意味がない。
「まあ骨組みくらいはあるけどね」
君だって、それくらいだと解ってるくせに。
トラッドはそれから、目の高さを合わせるようにベリルと同じく腰を落した。
「施設から逃げて、どうしたの?」
すぐにそこから離れはしなかったんでしょ?
唐突に問われ、いぶかしげにトラッドを見つめる。
「そうだよね。そこで生まれて、育った場所だもの。そう簡単に割り切れる訳ないよね」
施設の人がみんな死んだなんて、信じられなかったよね。
「来るはずのない迎えを、待っていたの?」
それにベリルは表情を苦くした。
──鳴り響く銃声と何かが焼けた臭い、感じる気配が一つずつ失われていく。それらが全て夢ならと何度、考えただろう。
どうにか外に出る事ができたベリルは、施設を
夜が明けて施設内を歩き回るも生存者は一人もなく──。奪われた生命に痛む胸を押さえ、幾度か振り返りながらもその場を去った。
あのとき、
しかし、待っても無駄な事は解っていた。それでも、ひと握りの希望を僅かでも持ちたかったのかもしれない。
このまま動かなければ、来るのは軍の人間だ。
自由というものに、多少の憧れはあった。しかし同時に、恐怖や不安も感じていた。決められた一日を繰り返していた私に、自由は手に余るものにはならないだろうか──
「それでも、自由を求めたんだね」
無言のままのベリルにつぶやいた。
「そんな君だからこそ、人類を導く者になれるんだよ」
「統合すると言うことは、多様性の排除を必要とする」
話に乗ってきたとトラッドは子どものような笑みを浮かべた。
「多様性があるから争いが生まれるんじゃないか」
人と違うことが良いなんて、それは幻想だよ。多様性で人は殺し合う。
「多様性による競争心は発展にも寄与している」
その
「いかに多くの感情や意識があるとしても、人は動物であるという事を忘れてはならない」
「動物であることから脱却しなきゃ、滅ぶだけだよ」
「何故、動物である事を悪とするのか」
人を神にでもしたいのか。
「神に近づけることが理想だよ」
精神というものがあるなら、高みを目指す事が可能だ。いや、目指すべきだ。
「高みを目指すことは悪い事ではない。だからといって」
異なる次元の者になれるとは思えないがね。
「でも、近づくことは可能なはずだ」
「お前の言う神とは、秩序でしかない」
全能の神とは、全ての神をまとめた言葉だ。ならば、そこには混沌も内包されている。それらを無かったことにするのは、いささか強引ではないか。
「そんなものは、君の考えでしかない」
僕の考えとは違う。
「神とは、随分と思考に左右されるものだな」
そこでトラッドはハッとした。
「お前は存在するかどうかも解らないものに、人類を委ねるのか」
「だからこそ……神なんだ」
「それは本心か」
言い放ったベリルの瞳に歯ぎしりした。
神を出した事は失敗だったと悔しげに口を歪める。
「統合に際して、お前たちはその外側にいる」
「当然でしょ。君の下で働くんだから」
内側にいたら誰がその作業をするのさ。
「そして世界を動かしている優越感を抱くのか」
しかし、ハロルドは違う。
「……? どういうこと?」
「奴は私を動かす事で、全てを支配しているのだと歓喜する」
まさに、神になるのだとね──
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