第2話 過去の亡霊

 ──青年は通話を済ませ、黒いワゴンに二人の仲間と共にベリルを抱えて乗り込みテキサス州に向かう。

 暗いフィルムのかかった窓から荒野を見やり、隣で眠っているベリルの顔に指を滑らせた。

 これまでの経歴を調べても、彼は優秀な傭兵であることは明らかだ。常に冷静で、仲間からの信頼もあつい。

 そんな彼でも、やはり過去の出来事は心に大きな傷を残しているらしい。無表情ながらも、あのひと言で立ち上がった。

 とはいえ、誰にも知られてはいけない事だから、動揺したのもあるだろう。

「僕たちは君を歓迎するよ」

 愛でるようにつぶやき、微かに動いたベリルの指を見て青年は小さなケースを手に取り、その腕に二本目の麻酔を打った。

「到着するまでにあと何本くらい打つかな」

 やれやれと溜め息を吐く。

 元々、ベリルは代謝が高かったが、不死になった事で薬物の効果は現れるも通常の持続時間のおよそ半分という短い効き目でしかない。

 死なないベリルの弱点は睡眠系、次に神経系であり、そのほか頭や心臓を撃ち抜く事で一時的に意識を失わせる事が可能だ。

 これまで、不死を得たいがためにベリルを捕らえ実験や研究を重ねた組織は多く、けれどもそれらは全て落胆する結果に終わっている。

 当然のことながらベリルも捕らえられたままでいる訳がなく、逃亡の際には建物を破壊、その後に組織を壊滅させている。

 ここまで戦闘に長けた者は、そういないだろう。

「まさに天賦てんぷの才能だよね」

 師匠が良かったこともあるのかもしれないけど、今では最強とまで言われ多くの国々で重要人物との扱いを受けている。

「薬は沢山あるから、安全運転でね」

「はい」

 運転している男性は緊張した面持ちで応えた。



 ──老人はトラッドの到着を今か今かと待ちわびていた。この数時間が何日にも思えて苛立ちを隠せない。

「到着しました」

「おお、おお……」

 女性の声に体を震わせ、眼前の扉を凝視して固唾かたずを呑む。

「父さん。ただいま」

 扉が開かれ、青年が笑顔を見せた。

「トラッド。彼がそうなのか! ああ、確かにそうだ。面影がある」

 青年に抱き上げられている眠ったままのベリルに歓喜の声を上げ、手を振るわせる。

「そ、その中に」

 老人は興奮気味に透明の円柱形をしたスペースに促した。それはまるで、水族館の水槽のように分厚く、頑丈さを持つ造りになっている。

 トラッドは、透明の開かれた扉からベリルを静かに床に降ろした。

「とうとう手に入れた」

 老人は壁越しに横たわるベリルを見下ろし、勝利に拳を握りしめて独り言を繰り返している。

「いつ目を覚ます」

「もうしばらく。数十分くらいかと」

「そうか、そうか」

 答えたトラッドには目も向けず、ひたすらベリルを眺めた。それをトラッドは無言で見つめる。

 幼少の頃から父は何かを隠していると感じていた。それを知らされたのは十二歳のときだったろうか。

 それまで父は持論を唱え続け、息子の僕がそれに心から賛同したと確認したあとに、隠してきた真実を話した。

 そんな事がと驚いたものだが、少しも疑わなかったのかと言われれば嘘になる。でも、ベリルが本当に存在すると解ったとき、僕は父さんを信じた。

 しかし、彼を調べれば調べるほど、父さんが考えている計画が実現するのか不安になっていった。

 それほどに、ベリルという人物は精神的にも強い。



 ──数十分後

 ベリルは静かに目を開き、捕らえられた事を再確認した。

「久しいな」

 聞こえた声に視線を向けてゆっくりと立ち上がるその瞳には、さしたる感情は映し出されていない。

 しかし、青年の言葉が真実だった事にベリルはやや安堵していた。

 私の事を知る者は、まだ外にはいない。それならば、やりようがある。

「わたしを覚えているだろう」

 嬉しげに両手を広げる老人にベリルは眉を寄せた。

「ハロルド」

「そうだ。君にあらゆる国の言語を教授した」

「今更、私に何の用がある」

 ハロルドは、刺々しいながらも耳にしたベリルの口調に口角を吊り上げる。

「そうでなくてはな」

 喜びに喉の奥から笑みを絞り出した。彼の背後にいる若者たちまでもが、それに同意するように歪んだ笑みを顔に貼り付けている。

 ゾッとするほどの不気味な光景にベリルは眉を寄せた。

「分からず屋どもはわたしの殺害に失敗し、研究所だけでなく君まで失った。しかしどうだ。わたしは君を手に入れた」

 ハロルドは声高に語る。

「君を見た瞬間、わたしはまさに、稲妻に打たれたような衝撃を受けた。わたしの描いた世界に君こそが相応しい。そう、はっきりと確信していた。しかし、奴らはわたしの主張は危険だと判断し毒殺しようとしたのだ」

 当時、三十一歳の若き言語学者だったハロルドは、その薬で一度は死んだものの再び息を吹き返した。

「馬鹿どもは、薬物が残らないギリギリの致死量を誤ったのだ」

 わたしにはすでに、わたしの考えに賛同する学生たちがいた。

「そうだ。ここにいる同志は皆、わたしの死に嘆き、生き返ったわたしについてきてくれた」

 事業に成功した同志から潤沢な資金が送られ、ハロルドの意志に添った設備が整えられる。

「足りないものは君だけだった」

「お前の理想に私を巻き込むな」

「何を言う。わたしの理想には、君が不可欠なのだ」

 そのために君にはわたしの思考と、それに足る口気こうきを仕込んだ。

「お前のつまらない話にはうんざりしていた」

 冷ややかな視線を送るベリルにハロルドはますます熱を持つ。

「理解していたという事だな。私が見込んだだけのことはある」

 君にわたしの教えを語ったのは二歳頃からであったか。それから九歳までのあいだ、君は実に優秀だった。

「お前のためではない」

「不死となって、世界はどうかね?」

「お前が喜ぶような意見はない」

 抑揚のない返しにもハロルドは笑顔のまま、ゆっくりとさらに口を開く。

「君は真に支配者に相応しい。その証拠が不死だ。そして、忘れてはいないだろうね。己がミッシング・ジェムであるということを」

 ──人類の中にありながら、人類の歴史にあってはならない存在──それをミッシング・ジェムと呼ぶ。

 見つめてくるハロルドにベリルは静かに視線を外した。

 忘れる訳がない。自身がいかにして生まれたのか、許されるはずのない存在であることも、不死などどうでもよくなる程に理解している。

 打ち明けることの出来ない真実を抱えたまま、私は生きなければならない。いつか、それが珍しくもない時代が訪れるまで──

「心配しなくとも、君を造り出した国は、もうすぐ終焉を迎える」

 喜びたまへ──ハロルドの歪んだ口元にベリルは嫌悪を募らせた。





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口気(こうき)

1 口から出る息。気息。

1 ものの言い方。くちぶり。口吻 (こうふん) 。

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