◆第一章
第3話 胸の痛み
ハロルドは当時、「世界をまとめ、一人の支配者が全てを統治することが唯一、人類存続につながる」──そんな馬鹿げた妄想を私に熱弁した。
二歳頃から始まった語りだが、そのときハロルドは私が理解して聞いているとまでは考えていなかっただろう。
彼は幼少に刷り込みを行う事で、私を世界統一の信奉者に仕立て上げる計画を立てた。
「安心したまへ。君が人工生命体であることは、ここにいる者しか知らないことだ」
ベリルはそれに、さしたる反応を示すことはなく。ハロルドはベリルが虚勢を張っているとみていた。
「わたしが何故それを知っているのか。気になるか」
それにも答えないベリルを鼻先であしらい、話を続ける。
「息を吹き返したわたしがまずしたことは、君に関する調査だ」
あれは、天才少年に対する研究施設というには、あまりにも不自然だった。
そこでわたしは優秀なハッカーを雇い、アルカヴァリュシア・ルセタ政府のコンピュータをハッキングして君に関する情報を全て吸い出した。
「驚いたよ。まさか、人工生命体が成功していて、それが君だったとはな」
あのような強引な手法でよくも成功したとベルハースに感心した。
にも関わらず、君は人として何も劣ってはいない。それどころか、わたしたち人間より優れた部分が多く見受けられる。
「君の成功で、どれだけの犠牲があったのかは、君についているナンバーから解るだろう」
もちろん、それまでの全てが命を宿せた訳ではないだろう。ただの細胞の小さな
「唯一、成功した君は政府にとって、あまりあるほどの
その結果が、あの巨大な施設を作り上げることとなった。
「君に教育を施す専門家にわたしも選ばれた事は、まさに幸運だ」
研究チームのリーダー、ベルハースの友人というだけで選ばれた訳ではないことは充分に理解している。
「どうやら、クローンも造られていたようだね」
ベリルの感情を探るように口に出すと、ハロルドの思惑通りベリルは顔を若干、歪めた。それに目を細める。
「だがそれも、偶然の成功でしかなかったようだ」
しかも、成功したとされるのは一体のみで、あとは精神が破綻している失敗作と判断された。その証拠に、不死の研究にと君を捕らえクローンを試みた組織は一体も成功していない。
「当然だ。君の細胞からクローン胚は作成不可能なのだから」
なのに、どうしてあの施設で秘密裏に実行されていたクローン作成が出来ていたのか不思議でならない。
「これは仮説としてだが、クローンを試みるにあたり、採取した君の細胞はそのとき、まだ不安定であったのかもしれない」
年を追うごとに細胞は安定し、君が十歳になる頃には細胞の増殖すら成功しなくなっていた。現に、手に入れた情報によると、クローンの失敗数と君の成長は比例している。
「もちろん、これは君もすでに推測していることだろうね」
「情報を得たなら、研究所がどうなったのか知っているだろう」
ようやく口を開いたベリルにハロルドは何かを含んだ視線を送る。
「ああ、知っているとも。情報を得なくともね」
その言葉にベリルは目を眇め、ハロルドの不気味な笑みから瞬時にそれを読み取った。
「貴様!」
透明の壁に拳を叩きつける。
突然に吹き出したベリルの怒りにトラッドと若者たちはざわめき、動揺した。ハロルドは背後を一瞥し、落ち着くようにと手でなだめる。
「わたしを殺した彼らがいけないのだよ」
「ベルハースは友人ではなかったのか」
「君を手に入れる事に比べれば、なんてことはない」
平然と言ってのけた老人にベリルは奥歯を強く噛みしめた。
「あの頃より表情は豊かになったじゃないか」
ハロルドのしれっとした態度とは逆に、トラッドたちはベリルから放たれる怒りに恐怖で体が震えていた。
温厚な気質のベリルだが、持って生まれた強烈なカリスマ性は、こんなときにも発揮されるようだ。
「あの施設には三百人が暮らしていた」
それを、正体不明の武装集団が全て奪い去り、後には何も残らなかった。己がどれほど無力なのかを思い知らされた。
「君を手に入れるために雇った連中だったのだが思いの外、君は戦闘に長けていた」
ブルーという兵士の教えがよほど良かったのか、君と闘ったであろう男が一人、裏口の通路で死んでいたよ。
「君を脱出させたのも、ブルーだな」
彼は君に戦術の全般を教えていたそうじゃないか。
「選り抜きの傭兵どもを雇ったというのに、随分と手間取ったと言っていた」
たかが一人の兵士に手こずるなど不甲斐ない。
「おかげで、わたしは君を逃した」
しかしどうだ! 君は不死を手に入れ、わたしの理想に真に相応しい存在となった。
「お前の理想など叶える気はない」
「いいや、叶えてもらう」
これまで自由に出来たのは誰のおかげだ。
「君を自由にしたのはわたしだ」
そうでなければ、君は今も閉じ込められ年老いて死んでいくだけだったのだぞ。外の世界に触れる事もなく、得られた膨大な知識はただ記憶するだけという虚しい人生に終わっていた。
「自由は望んでも、お前のようなやり方で得たいとは思わない」
「ただ望むだけで終わる人生でも良かったと言うのか」
「破壊衝動を起こすほどにはない」
「嘘はだめだ」
君は最も強い傭兵となった。それは、闘える力を持っていたということだ。
「ただ君は隠していた。自分で気がついていなかっただけだ」
いつか、君は爆発し彼らを傷つけていただろう。わたしが代わりにそれをやってやったのだ。
「お前が私を決めるのか」
それは
「一人も助からず、君だけ逃げた事が証拠だ」
ベリルはびくりと体を強ばらせた。
「自由が欲しくて、君は、一人で逃げたんだ」
「お前は私を過大に評価している」
私は超人などではない。私一人が闘ったところで、彼らを救えはしなかった。
「力のない子どもに何が出来るというのか」
戦術を学んでいても、実戦もない十五の子どもが正体不明の集団を相手に一人でまともに闘えるほど甘くはない。
ブルーが逃げろと言った事が全てだ。
「いいだろう。ここで、じっくり考えるといい」
君は、自分自身に嘘を吐いている事に気付くべきだ。
そう言い残し、部屋から出て行くハロルドをトラッドが追いかける。ハロルドは隣で歩く息子を一瞥し、溜め息を吐きつつ、やや残念な表情を浮かべた。
「あれほどの怒りを見せるとは、まだまだ若いという事か」
感情を制御出来なければ真の支配者たり得ない。これからじっくり教育しなければと嘆くように頭を振る父にトラッドは立ち止まる。
「そうかな」
口の中でつぶやいた。
彼の怒りは、あんなものではないんじゃないだろうか。そう、あれはパフォーマンスで、父に怒っていることを表現しただけのように思う。
本当は、彼の胸の中では怒りが煮えたぎっていて、それとは逆にその表情は絶対零度の如き冷たさで父を見つめている。
彼にとって、施設にいた人たちは家族同然だったろう。それが、たった一夜にして蹂躙され「家」を奪われた。
その怒りは、父さんが思っているよりも、ずっと強いんじゃないかな。
だって──
「目だけが、なんの感情も表していなかった」
ぞっとするほど綺麗で、怖い瞳だった。
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