あやつりの糸

河野 る宇

◆-序章-

第1話 記憶の底

 オープン・カフェの白いテーブルセットが、街ゆく疲れた人々の足を止める。しかし、ほとんどはそのまま目的に向かって歩き始め、席に着く者はごく僅かだ。

 品良く作られたチェアに腰掛ける一人の青年は、アメリカのフロリダ州にある小さな街の一角でカフェ・ラテを傾けていた。

 アメリカ合衆国の南東部にあり、気候は比較的温暖で北はジョージア州とアラバマ州に接している。

 彼の名はベリル・レジデントと言い、傭兵という異色の職業に就いている。

 金髪のショートヘアにエメラルドを思わせる緑の瞳、外見は二十五歳ほどと見受けられる。カップを傾けている仕草は気品すら漂わせ、フリーランスの傭兵だと信じる者はいないだろう。

 ──彼が不老不死という存在になって十年になる。二十五歳で不死となり、三十五歳となった今でも外見は変わらない。

 それが事実であるならば騒ぎになってもおかしくはないのだが、彼が生業なりわいとしている世界では公然の秘密となっている。

 傭兵であったことが不死となってもおおやけにはならず、死ぬことが出来なくなったベリルは、それからも傭兵を続けているという訳だ。

 彼はいまひと仕事終え、数日ほど休暇を取って旅行にでもと計画を練っていた。

「やあ」

 そこに断りもなく唐突に向かいの席に腰を掛け、気さくな笑顔を向けてきた青年にベリルは眉を寄せる。

「初めまして。かな」

 軽いウェーブのかかった栗毛のショートに青緑の瞳は、まるで仲の良い友人のように屈託なくベリルを見つめた。

「誰だ」

 記憶にない。

「あれ。解らない? 僕は父によく似ているんだけど」

「父?」

 言われて青年の顔を眺める。

 目元には見覚えがあるかもしれない。だが、どこで──?

 いぶかしげにしていると青年が何かを含んだ笑みを浮かべた。その瞬間、ベリルの心臓が大きく鼓動した。

「──っ!」

 胸の奥底から湧き上がる嫌悪感に手が震える。

 これは一体、なんだ?

「少し、思い出したみたいだね」

 そう言ったあと、青年は腰を浮かしベリルの耳元にささやいた。

「No,6666フォーシクス

 瞬く間に世界が反転する。

 立ち上がり、無表情ながらも自分を見下ろすベリルに青年は口元を歪めて続けた。

「そろそろ父さんが、あなたを迎えに行けってさ。だから来た」

「なんの話だ」

「解っていても、そう言うしかないよね」

 薄く笑い、微かに震えているベリルの手を見やる。

「死んだと思っていた? でも、実は違うんだ」

 それにようやく、ベリルは確信した。しかし、はったりの可能性もある。なにより、認める訳にはいかない。

「人違いだ」

 日頃ベリルと接している者ならば、これほど冷めたあしらいをするのは珍しいと思うだろう。外見から冷たく見えるベリルだが、実際は柔らかな物腰で友人も多い。

 青年は遠ざかるベリルの後ろ姿を追うように腰を上げる。

「君はもう、逃げられないよ」

 青年が背中につぶやいたそのとき、ベリルの視界が歪み壁に手をついた。

「これは──っ」

「父が、待っているんだ」

 激しい眠気と戦っているベリルの腕を掴む。

「きさま。……いつ」

 そんな素振りはなかった。

「ここのウエイトレスは注意力が散漫でいけない」

 よくも言うと睨みつけるも、青年は涼しげな顔でベリルを見下ろす。

「案外しぶとい。今の状態でも十分に君を運べる」

 だから、無駄なあがきはやめた方がいい。

 まるで恋人にでもささやくように言い放ち、眠り崩れるベリルを優しく抱き留めた。



 ──アメリカ合衆国、テキサス州──合衆国本土の南部にあり、メキシコとの国境に接している。

 メキシコの国境から続く山脈のビッグ・ベンド国立公園の付近に、人目を避けるように無骨な建物があった。

 さして大きくもないその頑丈な建造物は壁も厚く、人の気配は外からではまるで感じられない、廃墟のような静けさをまとっていた。

 建物内はとても質素で生活感はまるでない。

 グレーの壁紙が貼られているだけの部屋が三つほどと一番大きな部屋に冷蔵庫が一つ、他はいずれもテーブル、クローゼットが置かれているだけだ。

 しかし、ここに数分も静かにしていれば妙な違和感に気がつく者もいるだろう。しかし、その違和感の正体にたどり着ける者はいない。

 一見すると、公園職員の休憩所に見えるこの建造物には地下がある。

 地下には居住空間だけでなく、数種の機器がずらりと並べられた部屋もあり、何に使うのか解らない巨大な水槽を中央に設置した部屋もあった。

 そこに、左足を引きずった白髪の老人が何かを待っているのか、随分と落ち着きなく樫の木で作られた杖をしきりに動かしている。

 デスクに置いていた端末が振動すると、老人はすかさず手に取った。

「──そうか! よくやったトラッド。丁寧に運ぶんだぞ」

 望んだ言葉が聞けたのか、彼は喜びにうわずった声で応えてすぐに通話を切る。

「よし、よし。これで、私の理想に一歩近づいた」

 拳を握り、勝ち誇ったように何度も繰り返しながら部屋を移動した。

「いよいよだぞ。準備を進めろ。到着までに済ませなければ!」

 老人は、鉄格子の前に並ぶ危機を調整している青年たちを急かした。

 指示された者は、それぞれに与えられた役割に集中し老人の指示に従う。そんな老人の待ち遠しい様子に、青年たちもどこかしら嬉しそうな笑みを浮かべていた。

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