聖なる誓いをあなたに…

颯龍

聖なる誓いをあなたに…

目の前に展開した事象を信じたくなくて、信じられなくて、何をどうしていいのかも分からずに慟哭した。

愛しい少女が笑いながら、その身を散らすように空へと投げ出す。

私は慌てて彼女の腕を掴み自らの胸へ抱き寄せた。

その背から生えた刀身で思わず己が腕を切り裂いたが構うものか。最凶の邪神などと恐れられながら、最愛の娘が死に逝く様をただただ見守るしかすべしかないなど、なんと滑稽で無様な事か。


この蒼い果て無き蒼穹の元、幾星霜繰り返されていた行為。邪神と聖女の茶番劇ジ・ハード。いつから始まったのか、何をきっかけに始めたのか。当事者である私をして記憶が曖昧な封印劇である。

覚束無い記憶を辿れば、私の神気が世界へ及ぼす影響が気に食わないらしい何処ぞの神の御使いとやらが、私を封じ込めるために生きた匣を遣わした。それが聖女の始まりであったような気がする。


彼女達は幾度となく私をその身に封じるものの、私は時を経て内側から彼女達を取り込み、やがて目を覚ます。その度に新しい匣が造られ、また私を封じる。

しかし、その匣に宿る魂は私を封じた後、創造主の手元へ戻り、私が復活するとまた匣に宿って私の元へ遣わされるのだ。

なんと残酷なことをする。そう思いながらも私はまた馴染みの少女が目の前に顕れると、嬉しくもなり笑って迎えるのだ。


…―――さぁ、愛しい娘よ。極上の逢瀬ころしあいを堪能しようか。


彼女が悲愴に顔を歪め剣戟を交えるようになったのは何代前からだったか。

剣先が鈍り膠着したその時、彼女は私に告げたのだ。


『誓おう、暗黒神よ、夜のよすがの安らぎよ。私は次こそ貴方を守る。貴方こそこの世界の理にして始まりの神なれば。我が主こそが偽りの神だったのだ。唯、今は私の力が及びません。だから、おやすみなさい』


その時、初めて彼女の声を聞いた。とても美しい柔らかな清流のような心地よい声だった。泣きながら私を封じたのは何故なのだろう。

深い眠りから目覚めた時、愚かな私はその意味を考えなかったのだ。

また、彼女と逢える。そう期待に胸を膨らませて真意を見誤ったのだ。


遠く彼方から彼女が駆け参じる。

ああ、また来てくれたのだね、愛しい娘よ。さぁ、逢瀬を始めよう。幾度も互いの剣を交差させ、打ち込み、斬り込む。剣戟もいよいよ終盤に差し掛かり、少女の大剣が私の胸を貫くべくきっさきが触れたその瞬間、最悪の事態が訪れた。


触れた刃は私の体を屠ることなく亜空間を通り、彼女の腹から背へ向けて貫通したのだ。


「なっ………どういう事だ!何故お前が斃れるっ」

「これで…誓………果たし、た…」


ゴフッと彼女がその愛らしい唇から大量の血を吐き出し、息苦しさに咽せた。

その手から剣の柄だけが零れ落ちるが、刀身は彼女の身を屠ったままである。少女は何かをやり遂げた様に苦痛に顰めていた顔に満面の笑みを浮かべ、蒼穹へ果てようとしていた。


意味がわからない、こんな結果を誰が望むというのか。

我知らずに咆吼し慟哭し彼女を力一杯抱きしめた。抱いた拍子に腕を切りつけてしまったようだが、全く意に介さず、更に強く抱きしめる。


「お前は…分かっているのかッ。我が眷属でないお前を私は癒すことも治すこともできないのだッ。それを…お前は……なんと言う、ことを」


力なく事切れた人形のように少女の身体がしなだれ寄りかかる。

虚ろな目は虚空を映すばかりで…もう、私を見てはくれないのだ。少女の瞼をそっと閉じてやる。本懐を遂げることが叶わなかった少女の魂はそのからだとともに光の屑となって、徐々に崩壊を始めた。


ゾッとした。彼女がこの世から永遠に失われる。今までに考えてみたこともない恐ろしい未来が展開されようとしている。

娘が生まれた経緯を考えれば、このまま放置することが正しい選択なのかもしれない。だが生憎と私は彼女を愛してしまったのだ。どうしようもないほどに。


私は理の神である。理は捻じ曲げてはならない。だがもう既に私は狂っていたのであろう、彼女を繋ぎ止めるため敢えて禁忌の業に触れる。我が存在の一部を細かく砕いて彼女に融合させたのだ。こうすることで匣としての役割は持たない、一個の存在が構築される。娘の記憶は引き継がれることはなく全く新たな存在へと生まれ変わるのだが、彼女が居るならばそんな事は些末事に過ぎない。唯存在してくれる、それだけでいい。それ以外何がいるというのか。


「さぁ、お行き。あの光の流れに」


新たに誕生した生命を送り出してやった。

世界の根幹に流れるという輪廻の大河。生きとし生ける物は本来、この聖なる大河を循環し、この世を巡り、世界を浄化する。

始まりの神わたしにしか感知できない神聖な流れ。あの河へ送り出せたのだから問題はないはずだ。いつの世か娘にまた巡り逢えるだろう日を想い、自ら深い眠りについた。




「お兄ちゃーん!見て、綺麗な流れ星」

「はッ…はぁーッ……あ、あぁ…綺麗、だな」

「ちょっと、お兄ちゃん。こんな簡単な山道登ったくらいで息上がらせないでよ」

「…けほっ。無茶を言うな。俺は役人。お前は騎士見習い。基礎体力が…違うだろうがっ」


金髪おさげで明るい緑色の瞳をした近所の妹分が宵闇に流れる流星群をどうしても見たいということで、王都近郊の小山の登山に付き合ってやったのが運の尽き。

小山だと思って侮っていた俺も大概なんだが、何とか登りきったものの非常に息苦しい。


息を整えて改めてみた夜空は、星屑が煌き、一部の星が長い光の尾を引いた流星群となって美しくも荘厳な景色を描いていた。


「本当に…綺麗だ」


それらを背景に金色を湛えたおさげを靡かせて、天真爛漫に笑った妖精がくるくると踊る。この小山の山頂は開けた草原地帯となっており、そこかしこに小さな白い花が咲き、青白い月明かりを宿して幻想的な世界を醸し出していた。


「シャルル、そんなに回ると目が…―――」

「うぇぇぇええええ。くらくらするぅ」

「ほら。言わんこっちゃない」


フラフラ身体を揺らす少女を見て、苦笑しながら優しく抱きとめてやる。シャルルが「捕まっちゃった~」とかクスクス笑いながら、俺の方へ向いた。


「ホント、お兄ちゃんこうして見ると神様みたい」

「あぁ?なんだ、藪から棒に」

「だってさ、艶めく漆黒の髪に星屑の如く煌く銀の瞳。顔もカッコいいし。まさしく伝承に描かれる始まりの神様みたいじゃない」

「…それを言うなら、お前はさしずめ封印の巫女だな」


クスクス笑って、彼女の鼻頭に自分の鼻頭を擦りつけてじゃれる。

ズクリと胸が原因不明の苦しみを訴えた。なんだろう、この途轍もない悲しみは…懐かしくもあり、温かなこの痛みは。


「えぇぇええ。やだよ~そんなの」

「なんだ、つれないな。そんなに兄ちゃんの相方は嫌か」

「だって、お兄ちゃんを封印しなきゃなんないでしょ。嫌じゃん、そんなの」

「…ん?」

「私だったら、お兄ちゃんに寄り添って、一緒に楽しく幸せになりたい。封印しちゃったらそんな事もできないもの」


その瞳が切なく揺らいだように見えたのは幻だろうか。

目を瞬いて、少女を見やれば飛び切りの笑顔を返された。


「なぁに?私の可愛さに惚れ直した?」

「馬鹿言うな」


…もう、とっくにお前の可愛さに溺れているよ。

恥ずかしいので言葉には出さず心の中で囁く。全く、この妹分は俺がどれだけアプローチしても全然気付きもしないくせに、こっちを翻弄させるようなことは平気で言うものだからたまったものではない。しかも天然なものだから尚更に性質たちが悪い。


「はぁぁ、前途多難だな…」

「ん?なんか言った?」

「何でもないよ。ほら、また流れ出したぞ」

「わぁああ、きれ~い」


シャルルを脚の間に挟むようにして、二人で地面に腰掛けて空を見上げる。彼女はその体重を俺の胸に預け、空を見上げた。

確か、遠いどこかの国では流れ星に願いを込めると、その願いは叶うという言い伝えがあったように思う。


…―――願わくば、この愛しくも掛け替えのない温もりが永久とわに共に有りますように。

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