リモコン 8

 目を開けると、今度こそは見知った天井だった。亡くなった祖父が寝ていた部屋。薄汚れた和室の天井には、見覚えのあるシミができている。子供の頃、祖父の部屋に泊まろうとして、そのシミがどうにも人の顔に見えてしまったぼくは大泣きし、結局両親の部屋へと戻ったのだった。

 あの時の祖父のがっかりしたような、寂しいような顔は今でもはっきりと覚えている。


 最近は、父親がリビングに近くて楽だからとそこで過ごしていることが増えた。いや、ぼくにとってはついこの間のことでも、周りの世界にとっては一体何年前のことなのだろう。


 体を起こそうとしたが、力が入らない。なんとか首だけ動かして部屋の中を見回すと、どうやら畳ばりだったのをリフォームして、フローリングに変えたようだった。

 ぼくはその上に置かれた背の低いベッドに横になっていた。


 リビングとこの部屋を仕切る襖は新しくなり、一部が障子になっていた。その先から、柔らかな光が漏れ入ってきていた。薄い紙の向こうに人影が横切るのが見えた。

 それはゆっくりとこちらに近づいてきていた。入ってくる前に、ぼくにはそれが誰だか分かっていた。


 白髪になった静香は、顔中シワだらけになっていた。振り返って襖を閉めると、ゆっくりとした動きでこちにらに歩み寄ってきた。

 静香がベッドを覗き込んだ。ぼくと目が合うと、嬉しそうに笑った。

 

「なあ」

  部屋を出ていこうとする静香を呼び止めた。

「なあに」

  立ち止まった静香にぼくは言葉を続けた。しゃがれるというよりも、もう声にもならないくらいのかすれた音だった。

「お前、幸せだったか」


 静香はしばらく考えた後、照れ臭そうに笑ってこう答えた。

「はい、もちろんですよ」

 その笑顔は、綺麗だった。


 一人取り残された部屋で、ぼくは天井を見つめていた。ここでその生涯を終えようとしている男は、ぼくであってぼくではなかった。目も耳も、知覚できる世界は随分と遠のいてしまっていた。


 ただいつの間にか、手のひらの中に懐かしい感触があった。硬く樹木のようになった皮膚ごしに、いくつものボタンが並んでいるのが分かった。

 ぼくはごく自然に、まるで家でテレビを見ている時のようにそれを握った。


 人は死を感じるとその間際、走馬灯を見るというが、ぼくの場合はその全てが早送りだった。本当につまらない映画を観ているような気分だ。

 渾身の力を込めて起き上がる。

 全身から小さな悲鳴のような音が聞こえた。


 右手の親指に力を込めた時、ぼくにはそれが最後になることが分かっていた。

 

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DATの小さな短編集 DAT(Rabbits' Ear Can @DAT_REC

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