サンタクロース 下
木製の安っぽいドアからコンコンという音が聞こえて我にかえる。
ガチャリと開いたドアからは、60歳くらいのおじさんが入ってきた。頭は白髪まじりの灰色で、顔にはにこやかな笑みを浮かべている。
おばさんがすっと寄っていって何やら耳打ちをした。
おばさんに店長と呼ばれたその人は、わたしの隣に、少し間隔を空けて座った。
その人は笑顔のまま、じっとわたしを見つめている。まるでわたしが何か言い出すのを待っているかのようだった。でも、何も心当たりのないわたしには、一体何と言えばいいのか分からなかった。
張り詰めた空気に、思わず背筋が伸びる。
痺れを切らしたように、おばさんが口を開いた。
「あんた、ずっとそうしているつもりかい」
それは冷ややかな声だった。しかしわたしはどうすればいいのか分からず、おじさんを見た。おじさんは相変わらずにこにこ笑っている。
「黙ってれば乗り切れるなんて考えるんじゃないよ!」
おばさんは大きな声を出した。思わずびくりと体が跳ねる。すると今まで黙っていたおじさんが、おばさんを手で制した。
「まあまあ、落ち着いて」
おばさんはここまで出かかっていた言葉を飲み込んだというような様子で、再び刺さるような視線を向けてきた。
「きみ、歳はいくつ?」
ようやく答えられるような質問が投げかけられた。
「十一です」
おじさんは少し驚いた顔でわたしを見た。多分背が低いから、もっと幼く見えたのだろう。そして再びにこりと笑うと、うんうんと頷いた。わたしはこの人ならちゃんと話を聞いてくれると思った。
「そっか、小学生五年生か」
「いえ、その、六年生です」
なんとなくここでは嘘をついてはいけないと思ったので、一応訂正した。おばさんが奥でため息をついた。
「そっかそっか。じゃあ、もうすぐ中学生だね」
「はい」
おじさんは頷きながら下を見た。そして顔をあげ、こう言った。
「もう直ぐ中学生になるなら、分かるよね?」
心臓がドクンと大きな音をたてた。笑っていると思っていたおじさんの細い目の奥は、無感情にじっとわたしを見つめていた。胃のあたりがキリキリする。わたしは何かを疑われているのだ。
それでもどう答えればいいか分からずに戸惑っていると、おばさんの怒号が飛んできた。
「いつまでしらばっくれてんだ!」
バンと机を叩くその様は、母さんがたまに見ている刑事ドラマのようだった。
「怒らないから、どうしてそんなことをしたのか言ってごらん?」
おじさんが優しい口調で言ってくるが、わたしにはこれが本心だとは思えない。
そう、取り調べだ。わたしは今まさに取り調べを受けているのだ。急に怖いという感情が迫り上がってきて、体ががたがた震えた。一体どうすればいいのだろう。わたしは何か悪いことをしただろうか。いつも何も買わないから? お客さんでもないのに試食を食べたから? 考えれば考えるほど、頭が真っ白になる。
しかし、おばさんの口から飛び出した言葉にわたしは愕然とした。
「万引きなんてやっておいて、その態度はなんだい!」
目の前の大人たちは、わたしを万引き犯だと思っていたのだ。
「いいかい、万引きは犯罪なんだよ。小額だから許されるとか、まだ子供だからいいとか、そういうことじゃないんだよ」
おじさんがなだめるように言った。わたしは緊張しながらも、少しだけほっとしていた。この人たちは勘違いをしている。もちろんわたしはそんなことはやっていない。確かにいつも限界までお腹はすいているけれど、やっちゃいけないことは絶対にやらない。
クラスの男の子たちが前に話していたことがある。その子たちはまるで万引きをした子がヒーローであるかのように盛り上がっていたのだ。いつもふざけて授業の邪魔をしているその子たちにわたしはムカムカしていたが、自分から何か文句を言うことはなかった。でも、その話を聞こえてきた時にどうしても堪えきれずに言ってやったのだ。お店の人がどんなに困るか、そんなことをする人間はサイテーだと。
次の日からわたしの机にはこれでもかというほど落書きをされ、花瓶が置かれるようになったけど、それでもわたしは後悔していない。
こちらを睨んで声を荒立てているおばさんと、顔だけ笑っているつもりのおじさんが、急に滑稽に思えてきた。
「いつも怪しいと思ってたんだ。この子毎日店に来て、何も買わずに出てくんだよ」
毎日ではないと思いながら、でもそれは悪かったかもしれないなと思い言葉をつぐんだ。
「お客さんに出してる試食も全部食っちまうし。それでいつもお菓子のコーナーを恨めしそうに見てるんだ。全くどれだけ食えば気が済むんだろうね」
おばさんはおじさんに証言するようにまくしたてた。所々訂正したかったが、とても口を挟める状況ではない。おじさんは少し困ったような顔で腕を組んでいた。
「いいかい、お菓子が欲しいならちゃんとお小遣いを持ってこないと」
まるで小さい子に言い聞かせるかのようにおじさんが言った。一度ももらったことのないものをどうやって持ってこいというのだろう。
脅すような口調となだめる口調で、二人の尋問は延々と続いた。きっとこの人たちは謝罪の言葉を待っているのだ。
わたしはだんだんむかっ腹がたってきた。どうして言われのない罪でこんなに責められなければいけないのだろう。二人のやりとりが途切れたところでついに口を開いた。
「わたし、万引きなんてやってません」
おばさんは飛び出そうなほど目を大きく見開いた。おじさんの方は悲しそうにため息をついた。
「この期に及んで白を切るなんて、なんて子だ」
おばさんもため息まじりにそう漏らした。
「本当にやってないです」
「まだ言うのかい!」
おばさんは金切り声を出した。すると、難しい顔で黙っていたおじさんがわたしを見た。
「それじゃあ悪いけど、ポケットの中を見せてもらってもいいかな?」
わたしはしめたと思った。これでやっと冤罪であることが証明できる。そう思って意気揚々とポケットの中に手を突っ込んだ。
そして、その中にあったものの感触を確かめて、青ざめた。
わたしの様子を見て何かを察知したらしく。おじさんがじっとわたしを見つめてきた。わたしはポケットの中にあったものを素直に出さずにはいられなかった。
それは棒付きの飴だった。どこにでも売っているようなもので、もちろんわたしは見たことはあっても買ったことなどないのだが、これはたまたま公園で見つけたのだった。おそらくわたしがベンチの方へ行くちょっと前までそこに座ってカードゲームをしていた子達が落としていったものだ。彼らはたくさんの駄菓子が入ったスーパー袋を真ん中に置いて遊んでいたのだ。
わたしはそれを彼らに届けようかと思ったが、振り返るとちょうどキックボードに乗って公園を出ていくところだった。少し迷ったが、きっとあれだけお菓子を持っているならこれだけのためにここへ探しに戻ってくることはないだろうと思い、ポケットへ入れたのだった。
ずっと憧れていたこの飴を食べられるというのがここ最近一番の楽しみで、わたしは中々封を開けることができなかったのである。
その飴が、震えるわたしの手のひらの上にちょこんと乗っていた。
おじさんは悲しそうな顔でわたしを見ていた。
おばさんはほれ見たことかという顔でこちらを睨んでいる。
「違うんです、これは……!」
わたしは必死にこの飴を手に入れた時のことを話そうとした。しかし、二人は全く聞く耳を持っていないという様子で話し合っていた。
「お願いです、信じてください!」
聞いてもらおうと必死になって立ち上がった。あちらを向いていたおじさんがくるりと振り返った。わたしはやっと話を聞いてもらえると思った。しかし、おじさんの手には電話が握られていた。
「いいかい、君がやったことは犯罪なんだよ。だから、警察に来てもらわなきゃいけないんだ」
警察という言葉に、一気に血の気が引いた。きっともうこの人たちも、警察の人たちだってわたしの話は信じてくれないだろう。そしてわたしは犯罪者になってしまうのだろう。そうなれば、もう母さんに完全に見捨てられてしまうかもしれない。
「いやだ!」
思うと同時に叫んでいた。はっと我にかえると、おじさんがわたしを見つめていた。その顔からは一切の感情が消えていた。わたしはゾッとした。怒り、悲しみ、呆れ、様々な感情が振り切れてそうなっているように思えた。わたしにはもう一つしか道が残されていなかった。
「ごめんなさい」
呟くような声でそう言った。おじさんは電話を持った手をすっと下ろした。よかった、これで許してもらえた。そう思って顔をあげると、電話が目の前に差し出されていた。
「今回は警察に言うのは勘弁してあげよう。だから、保護者の人を呼びなさい」
「申し訳ありません」
母さんがわたしの頭を掴み、思い切り下げた。あまりのスピードに、頭がくらくらする。
「全く、忙しいのに勘弁してくださいよ」
おばさんがさも迷惑そうに言った。
嘘だ。この人たちは母さんがここに来るまで、タバコを吸いながら暇そうに雑談をしていたのだ。
「すみません」
「もう今日はいいですから。ちゃんとお子さんに言い聞かせておいてください」
おじさんに言われて、わたしたちは店を出た。外はすっかり暗くなっていた。
家までの帰り道をとぼとぼ歩く。母さんはずっと押し黙ったままだった。どうしよう、なんて説明したらいいんだろう。わたしは母さんが店に来るまで、そのことばかりを考えていた。でもきっと、母さんはわたしのことを信じてくれる。母さんならわたしのことを分かってくれる。その時のわたしには、なぜかそんな自信があった。
少し先を行く母さんに向かって、思い切って声をかけた。
「母さん、あのね」
次の言葉を紡ごうとした瞬間、バシンと大きな音がした。わたしは何が起きたか分からなかった。左の頬が急に熱くなる。
わたしは母さんを見た。その顔には、はっきりとした嫌悪感が見て取れた。
「二度と母さんなんて呼ばないで」
そう言ってスタスタと歩き去ってしまった。真っ暗になった道に、わたしだけが取り残された。
その日以来、母さんは本当にそこに誰もいないかのように振る舞い始めた。わたしのベッドは撤去され、部屋には様々な荷物が運ばれてついには物置部屋になってしまった。わたしは外へ行くことも許されず、煮えそうな室温の日でも押入れの中で物音一つ立てることを許されなかった。
それに加えて、あの男の振る舞い方もだんだん酷くなっていった。所属する組織の上層部が入れ替わって、今まで通りに融通をきかせることができなくなったと母さんに話しているのがうっすらと聞こえてきた。
優しかった男の態度は豹変し、家にいる時はいつも機嫌が悪かった。酒が増え、タバコが増え、母さんに乱暴していることもあった。相変わらずわたしの元へやってくるのだが、その顔も体もどことなく一気に老けたように感じられた。
にやにやとしている顔も気持ちが悪かったが、ことあるごとにわたしを蹴ったり殴ったりしている時の男はもっと嫌いだった。一日中体を動かせないほど痛めつけられることもあった。
でも、わたしにとってはもはやどうでもいいことだ。あの日以来、どんなものも灰色に見えるのだ。もうずいぶんと学校にも行っていない。窓の外には雪が振っていた。
そうしてまたクリスマスの夜がやってきた。
押し入れにいると、二人が外へ出かけていく音が聞こえた。わたしはそれでもそこを動かなかった。唯一の支えである、クマのぬいぐるみを抱きしめる。先月男にハサミで手足を切られたので、あちこちから綿がでていた。
頑張れば自分で直せるだろうか。そう思い、家庭科の授業を必死に思い出していた。たしか、この物置のどこかに裁縫セットがあったはずだ。わたしはゆっくりと押し入れを開けた。
しばらく探していると、玄関から何か小さな音が聞こえた気がした。まさかもう二人が帰ってきたのだろうか。そう思ったが、その音は聞き馴染みのないものだった。わたしは気になって、そっとドアの隙間から玄関を覗いた。
音はドアノブの方から聞こえてきた。そして、カチャンという音が廊下に響いた。この音は知っている。玄関の鍵が開いた音だ。
わたしは恐怖でそこを動くことができなかった。だが、次の瞬間ゆっくりとドアノブが回るのを見て、ここにいてはいけないと思い、慌てて押し入れへと逃げ戻った。
バタンと音がしてドアが閉まる。しばらくして、スススと誰かが廊下を歩く音が聞こえた。わたしは手で口を押さえて、とにかく音を立てないように努力した。恐怖からか寒さからか、全身がブルブル震えていた。バレないように押入れの中にあった毛布にくるまった。この足音は二人のうちのどちらのものでもない。
足音は家の中をあちこち歩き回った。強盗だろうか。うちには多分、お金になるようなものは何もない。それは住んでいる家の外観を見ればわかりそうなことだった。そんなこの家に、この人は一体何をしにきたのだろう。
そんなことを一生懸命考えているうちに、足音がしなくなった。わたしはますます混乱した。再び玄関ドアが開いたような音はしなかったはずだ。では、足音の主は今どこにいるのだろう。
考えれば考えるほど、その人は今まさにこの押入れの前に立っていて、わたしがのそのそと出てくるのをじっと待っているのではないかという思いに駆り立てられた。わたしは毛布をすっぽり被り、ぎゅっと目をつぶりながら祈った。
玄関のドアが開く音で目が覚めた。いつの間にか眠っていたようだ。あんな状況でよく眠れるものだと自分に呆れた、もしかしたら怖すぎて気を失っていたのかもしれないと思い直した。
廊下の方から、聞き馴染みのある足音が二つ聞こえてくる。二人が帰ってきたのだ。そう思った瞬間、何か言い争うような声が聞こえてきた。お前はという悲鳴のようなあの人の声が聞こえてきた。それに続けて、母さんの甲高い叫び声が聞こえた。だが、それもすぐに消えてしまった。
わたしは驚いて押し入れから飛び出しそうになった。しかし、その後に聞こえてきたあの足音に気づいてピタリと静止した。
あの足音の主がまだ家の中にいたのだ。そしてその音は、あろうことかこの部屋の方へと近づいてきた。
きっとあの人と母さんに何かあったに違いない。それはこの足音の主がやったのだ。わたしなんかがかなう相手ではない。どうしよう、どうしようと焦ったが、ついに部屋のドアが開き、足音が中に入ってきた。それは一直線に押し入れへ向かっているようだった。
わたしの頭では他の考えが浮かばなかった。押入れのドアがゆっくり開けられる。わたしは毛布にくるまって、眠っているフリをしていた。何者かの影がわたしに被さる。痛みや恐怖には慣れたつもりだったが、今回のことは今までの経験を遥かに超えていた。
わたしはぎゅっと目を閉じた。もうきっと、寝たフリなんてバレているだろう。
でも、その影はまたスッと遠のいて行ったのだった。
しばらくして恐る恐るリビングへ行くと、血溜まりの中にぐったりとした男と母さんが倒れていた。男は腹を、母さんは首を切られたらしい。二人とも顔に恐怖が張り付いていた。
わたしはクマを抱え、二人にくるりと背を向けた。
見知らぬ足音は玄関へと向かって行った。わたしはそっと目を開けてみた。一瞬だったが、家を出ていくその人の姿が見えた。
信じていてよかった。やっぱり彼は実在したのだ。
サンタクロースは絵本の通り、真っ赤な服を着ていた。
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