サンタクロース 上
わたしには"誕生日"がない。生まれた日付は知っている。母さんの部屋でこっそり母子手帳を見たことがある。
でも、それを祝ってもらった事はない。記憶する限りは一度も。クラスメイトたちがあれをもらった、これをもらったと話しているのを聞くたびに、胸の奥がチクリと痛む。
でも、贅沢は言わない。うちは貧乏なのだ。母さんはいつも暗くなると化粧をして家を出ていく。そして、わたしが学校へ行く支度をしている時に疲れた顔をして帰ってくる。おかえりと言っても行ってきますと声をかけても返事はない。それくらい仕事でヘトヘトになっているのだろう。
ランドセルを背負って家を出ようという時に、いってらっしゃいの代わりに平手打ちや物が飛んでくることがある。理由は大体わたしと関係のないことだ。それがひどい時には学校に行けなかったし、頑張って見よう見真似で結った三つ編みをハサミで切られた時にはとても悲しかったが、たまに食事を用意してくれる母さんにわたしは感謝しなければならない。
アザはたえることはなかったが、それでもこの頃は幸せだった。
ある日、母さんは知らない男の人と帰ってきた。たまにそういうことがあったが、大抵一、二週間もすれば居なくなったので、わたしはあまり気にしていなかった。
でも、その人は違った。一ヶ月経っても、半年経ってもその人はわたし達の前から居なくならなかった。
わたしは笑っている母さんを久しぶりに見た。家の中でも化粧をするようになり、綺麗な服もたくさん買っていた。
たまに二人で外食に出かけて行くこともあった。そういう時はわたしは家の中で一人になるので、好きに過ごすことができる。入ってはいけないときつく言われていた母の部屋を探検し、母子手帳を見つけたのもその時だ。
その人は母さんだけでなく、わたしにも優しかった。わたしの分のご飯も買ってきてくれたり、話しかけてくれたりした。カップラーメンやコンビニ弁当でも、夏休みに入り給食がなくなたわたしにとっては貴重な食料だった。それになんでもないような話を人としたのはいつぶりだろう。
その人は気まぐれに、わたしの頭をわしゃわしゃ撫でていた。わたしはむず痒いような気持ちになった。でも、前髪で見え隠れする視界の中に、覚めた顔でこちらを見る母さんの姿を見つけてどきっとした。
その人がわたしに優しくするたびに、母さんのあたりは強くなっていった。その人のいない時や見えないところで、わたしを打ったりつねったり、少しだが熱湯をかけられるようなこともあった。母さんはその度に何かよくわからない恨み節を唱えている。わたしはきっと母さんはその人を取られたくないのだと理解し、あまり近づかないようにしていた。
しかし、離れようとすればするほど興味が出るのか、その人は引きこもっているわたしの部屋によく来るようになってしまった。それは母さんが外へ出ている時や、お風呂に入っている時だったのがまだ救いだった。
その人は別に何をするでもなく、ただわたしに話しかけたり、意外なことに宿題をやっている時には勉強を教えてくれたりもした。母さんが連れてくる男の人は大体頭がそんなに良くなさそうな人ばかりだったので、驚いた。
母さんが帰ってくる気配を察すると、その人はバイバイと手を振って部屋から出て行く。その人が部屋にいる時はその間中いつ母さんが怒鳴り込んでくるだろうと冷や冷やしながら過ごすので、男が見えなくなると私はほっと胸を撫で下ろすのだ。もう来て欲しくないな。そう思いながらも心のどこかでは反対のことを考えていた。
そんなある日、朝起きると枕元に小さなクマのぬいぐるみがあった。わたしは目を疑った。母さんが近づいてくる足音がして、とっさにそれをランドセルの中へ隠した。ちょっと来てという母さんに返事をした後、ふとカレンダーを見る。
その日は十二月二十五日、クリスマスだった。
その夜、母さんがとても残念そうな顔で仕事へ出て行った後、わたしは急いで部屋に戻り、ランドセルからクマを取り出した。クマの毛並みはふわふわで、クラスメイトが自慢げにつけているキーホルダーなんかよりもずっとかわいい。ベッドに座ってそのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめていると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
そして、あの人が部屋に入ってきた。
「どうしたの、それ」
とっさに後ろに隠したわたしにその人は優しく問いかけた。
わたしは観念し、クマを膝の上に乗せた。
「朝、起きたら枕元に置いてあったの」
「そっか、サンタクロースが来たんだね」
サンタクロースという響きにわたしの胸は踊った。そんなものは一生ここにはこないと思っていたからだ。誕生日もないわたしのもとに、サンタさんがやってきたのだ。
その人はわたしの隣に腰掛けた。わたしはそのクマがいかに素敵かを説明した。その人はニコニコ笑って話を聞いてくれた。
わたしはもう小学五年生だ。サンタクロースの正体はとっくに知っている。
その夜、わたしは初めてその人と一緒に眠った。
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